11月 11 2018
一度に起きる悲劇
どれだけ大昔であろうと、どれだけ科学が発達した現代であろうと、神仏を粗末に扱うのなら天罰はくだるのであり、神は遥か昔から現代はもとより未来に至るまで永遠に存在し、私たちを導いてくださっているのであり、だから神を粗末に扱ってはいけないのであり、だから昔から人々はみな神仏(仏とは神の心をもっともよく知る人間のことをいいます。釈尊やキリストがそれにあたります)を大切に扱っていたのです。
しかるに現代の人々は、その神仏を(とりあえず神の心を説いているのですから私も仏の「ほ」の字くらいはいっています)ぞんざいに扱って平気でいます。
だから、天罰をくらうのです。
ここ数年、その神仏をぞんざいに扱った結果の天罰が、次から次に起きる天変地変であり、異常な流行り方をする疫病であり、数々起きる異常現象なのです。(まあ、すべてがそうとはいいませんが、時代も変わってきていますから)
そういう(罰当たりなことをしているという)自覚をもう無神論の人たちも持たないといけないのです。(いつまでも無神論などという間違った考えでいるのではなくです)
多くの人が神を一と考え、神を恐れないといけないのです。
その神をいつまでも無視していると多くの人々が不幸になるからです。
というより、あまりに神を無視した場合、そういう国は滅ぼされるのです。
その恐ろしさをよく理解してもらうために、前回書きましたが、そのようなここ数年で起きた様々な異常現象が現代のような科学が発達した時代ではなく、少々前に起きていたのなら一体どのようなことになっていたのか?
少し検証してみましょう。
天変地変の地震などそうですが、東日本大震災以降、何度大きな(震度六、七以上の)地震に見舞われたかしれませんが、そのような大地震でも少し前に起きればどれだけ大きな被害となったのか?
例えば、1923年(大正十二年)に起きた関東大震災など死者、行方不明者が十万人を超えました。(あの東日本大震災でさえ、死者、行方不明者は約一万八千人でした)
明治に起きた三陸地震は二万人以上、濃尾地震では七千人以上の死者、行方不明者が出ています。
江戸時代など(人口が少なかったにもかかわらずです。〔江戸時代の人口は三千万人前後といわれていましたから〕)地震で数千人以上の死者が出たことなどざらにあったのです。
台風はどうでしょう。
台風など一昔前まで「台風ひと吹き千人」とよくいわれたものです。それだけ多くの人が台風が来ると亡くなるということです。
その言葉通り、昭和三十四年に上陸した伊勢湾台風は五千人以上の死者、行方不明者を出し、それ以前の室戸や枕崎台風などは三千人以上の死者、行方不明者を出しました。
もっと凄まじいのは、江戸時代に関東を襲った「安政三年の台風」です。
この台風は江戸を壊滅させたとまでいわれ、江戸や関東でなんと約十万人の死者を出したのです。
それクラスの強くて超大型の台風がここ数年は頻繁に日本を襲っているのです。
そうして数えきれないくらいの豪雨です。(しかも激しいです。ゲリラ豪雨、ゲリラ雷雨もそうです)
西日本豪雨は凄まじかったのですが、しかし、昭和の時代だけでもひどい豪雨被害は頻発していて、昭和五十七年七月、四十七年七月の豪雨被害は四百人を超える死者、行方不明者、四十二年七月の豪雨被害は三百五十人を超える死者、行方不明者、三十二年七月の豪雨被害は五百八十人を超える死者、行方不明者、二十八年の六月と七月の豪雨被害はそれぞれ七百人を超える死者、行方不明者を出しているのです。
西日本豪雨を別にして(西日本豪雨は台風七号も影響していましたから)平成前の昭和以前の豪雨被害は平成とは犠牲者の数が丸が一つ違っているのです。(平成のひどい豪雨被害の犠牲者の数は数十人単位なのですが、昭和以前になるともう数百人単位となります)
昔と現代では、インフラ整備や避難指示などの違いが、このような被害の違いにつながっているのでしょう。(だからこそインフラ整備はしっかりしておかないといけないのですが…)
それはこのような天変地変だけでなく、火事などの人災でもそうなのです。
二年ほど前に新潟糸川市の大規模火災などありましたが(あの時は不思議と大きな火事があちこちで続きました)江戸時代にこんな大規模な火事など起きたら大変なことになっていました。
江戸三大火事といわれる明暦の大火など十万人以上の人が死んでいますし、明和の大火では一万人以上の人が死んでいて、その他、火事で数千人の人が死ぬことなどざらにあったのです。
疫病なども同じで、インフルエンザでも毎年亡くなる人はいますし(特に高齢者が多いのですが)これからが危ないノロウイルス感染症(食中毒)も亡くなる人はいます。
はしかなどももちろんですが、今年の夏のように異様な暑さになれば熱中症で死ぬ人もたくさんいるのです。
これがもっと昔なら死ぬ人はもっともっと増えていたはずです。
つまり、このような様々な異常現象がもう少し前に今ほど起きていたのなら、死傷者は数倍、数十倍(あるいはもっと)に増えているのであり、だから、私は少し前に今のようなことが起きているのならもう日本は滅ぼされていたといっているのです。
こういう異常現象が五十年、百年というスパンで起きているというのなら、まだ話も分かりますが、現在の日本は、東日本大震災以降(2011年以降)わずか数年で一度に起きているのです。(ちょっと考えられない異常現象の起き方です)
大地震や火山の噴火、超巨大で超強力な台風に異常な豪雨、異常な大雪、異常な暑さや寒さ、長雨、日照り、こういう現象が次々に現れてきて、そうしてこれまででは考えられないような大火事や多くの疫病、こういうことがここ数年で一度に起きているから、私は日本には天罰がくだっているといっているのです。
だって、おかしいでしょう。これだけわずかな期間に一度にこれだけ悪いことが起きてくるなどです。
また、他の国を見回してみても、これほど災いが立て続けに起きている国など日本をおいて他にないと思うからです。
まあ、そこはよく調べたわけではないので分かりませんが、しかし、日本くらい例えば、激しい天変地変が起きるているのなら、世界的なニュースになります。(どこかの国に大きな地震や大きな台風が襲来したのならニュースになりますから)
そういうニュースをあまりきかないというのですから(世界的な異常気象ということですから、いくつかそういうニュースはききますが、日本ほど立て続けに起きている国はないでしょう)やはり日本には特異なことが起きているといってもおかしくはないでしょう。
では、なぜ、こんな特異なことが起きているのか?ということです。
だから、それが天罰であると私はいっているのです。
まあ、いつまでもそれをただ否定すのではなく、いい加減、疑問くらいには思うことです。私のここに書いていることはよく当たっているからです。
日本のようにこれだけの異常現象がこれだけ一度に起きていたのなら、普通であればもっと多くの人が亡くなっていても決しておかしくはないのです。
一昔前なら、もっともっと多くの人たちが亡くなっていたのは(先ほども検証しましたが)事実であるからです。
こういうことをきいても、あまり恐れない、あまりピンとこないという人は、ただ、自分の死がピンときていないだけなのです。
他の人は死んでも自分の死はよく分からない、そういう人が多いと思うからです。
しかしそれは、単に自分が死ぬという自覚がまだないだけのことであって、自分も確実に死ぬのです。
また自覚がある人はある人で、自分はいつ死ぬのであろうと、不安でならない人もいるのでしょうが(不治の病の人やもう年を取っている人たちなど)どちらにしても、そういう両極端な考え方は間違いなのであって、自分がいつ死んでもいいよう、その心がまえだけはしっかりしていないといけないのです。
急に死ぬことになり、その時になってパニくって、死にたくないだのなんだのいったところで、もう遅いからです。(そういう心のまま死んで行くなら当然地獄行きです)
この教えをよく勉強しておくなら、そういう時の心がまえも(もういつ死んでもいいという安らかな心です。〔決して投げやりな心ではありません。そこはお間違えのないように〕)段々出来てくるのです。(そういう心が出来てくるなら死後は天上界に行けます)
罰当りな態度を改めないと、その死は確実に早まります。これだけ天罰がくだっている国など他にないからです。
何度もいいますが、現在の日本の人々はすでに滅ぼされていてもおかしくはないのです。
いい加減、心と行いを改めたらどうでしょう。私のいうようにです。
これだけ災いが次々に起きている日本で、次々に奇跡が起きているのは私だけなのです。
もう自分たちの考えだけではどうにもならないのです。(だからこれだけ悪いことが起きているんですよね)
心と行いを私のいうように改めてください。
そうしないと、この一国を滅ぼしかねないほどの天罰はまだまだ続くからです。



人目の訪問者です。

また、先生も存じ上げていることでしょうが、障がい者を取り巻く環境lも疲弊しております。国策や条例により制度や支援は整備されるものの、また障がい者にに愛をとか配慮をというもの、一向に障がい者差別なるものは後を絶ちません。はた目からは分からない内部疾患、精神的な障害を患う方が、東京都が考案したヘルブマークという支援が必要な方のストラップ状のシンボルマークがあります。例えばそれをバッグに付けてJRの優先席に座ろうものな懐疑的な目で見られ、また罵倒される等の情報があります。また
障がい者差別解消法というものがあります。これは障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律です。こういったものが施行され私の記憶が間違いないなければ4年は経過しているのです。それにも関わらず障がい者が実社会の中で虐げられているのです。一般企業ならそういった事例もなきにしもあらずですが、残念ながら、障がい者を支援するはずの就労者支援施設で事件があることには驚く他ありません。まあ、事実は戦時中から、穀潰しと虐げられていたのもありますが、時代が変わり、障がい者が優遇される環境が整備されしている中で、障がい者福祉だとか、そういった道徳的な精神が欠如しているのも配慮という言葉のみが独り歩きして、本来人として、助け合いとか譲り合いの心をなくしたところからくるのだと思います。
結局、この正法神理が拡がって、皆が神の心を知るようにならないと、そういう障害者の人たちにまで愛はしっかり回らないのでしょう。
私も一度、地下鉄に乗ると目の前に寝たきりの子供をつれた人が乗っていたことがありました。(だから、その子供を寝かせたベットごと地下鉄に乗っていた人がいたのです。女の人が一人ついていたので、多分、その子供の母親でしょう)
私が乗った次の駅で(次の次だったかもしれませんが)その人たちは降りたのですが、女の人が一人でついていただけでしたので、その人たちが降りかけたので、私が「(降りるのを)手伝いましょうか?」と声をかけたのですが、その女の人は「ありがとうございます。結構です」と笑顔で返され、手馴れた手つきで、その子供が寝ているベットも一人で降ろして電車を降りていかれました。
しかし、その地下鉄に乗っている、私以外の人たちはみな知らん顔をしていました。(そういえば、オバちゃんが一人、手伝おうとしていたようですが…)
こういう人たちが乗ってきているのに、周りの人たちはよく知らん顔をしていられるなと(少しは気を使えと)少々、呆れましたが、どうなんでしょうね。
こういう態度はです。(自分に置き換えて考えたことはないのでしょうか?このような人たちはです)
本当に愛がありません。だから益々、早くこの教えを拡げないといけないなと思った次第です。
そのことをウナッシーさんのコメントで思いだしました。(といってもまだ最近の話ですけどね。この話は)
早く、そのような障害者の人たちにも愛を出せるような人が増えるといいですね。