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11月 18 2018

末法の信仰

11:17 AM ブログ

次々に起きているようですね。どこかの会社などです。

昨日でも朝から騒いでいましたからね。急に騒ぎだすので何か起きたとすぐに分かります。

だからいってやるのです。「詫びをいれて、感謝して布施すれば(その現象は)すぐに止まる」とです。

しかし、一切態度を変えようとしません。(相変わらずでかい音を立てて嫌がらせをし続けています)それでは、恐ろしい現象はずっと出続けるでしょう。

あの会社の人間がいなくなるまでです。(ずいぶんひどいことをしていますからね。この連中はです。〔私だけではなく回り中に迷惑をかけてです〕全然その自覚はないようですが)

別にどこかの会社だけではないでしょう。ブシュブシュやっていく運転手連中も同じなのです。

私に詫びを入れ、感謝して布施しなければ、恐ろしい現象は止まらないのです。

皆、私のブログを見ているからです。(本当の神の教えを知らされているからです)それなのに嫌がらせしかしないからです。

昨日も(土曜日とはいえ)走っているトラックは少なかったですね。(こちらは静かでよいのですが)夕方などほとんど見なかったくらいです。

これほどの現象が現れてきても、それでもまだ神を認めて、本当の神の教えを勉強しようとはしないのでしょうか。

このままではまだまだ恐ろしい現象は現れます。特にこの辺りなどです。

この辺りの人たちは、皆、神の教えを知らされているにもかかわらず、少しも感謝せず、嫌がらせを平気でして心が汚いまま、反省のない生活をし続けているからです。(まあ、元々はその心が汚いのがすべての不幸の原因なのですが)

これから正法の世がドンドン深まって行きます。それなのに、そんな心と行いのままでは必ず天罰はくだるでしょう。

そういう時代になっているからです。

もう本当の神の教えを信じ行われてはどうでしょう。

無神論はもちろんですが、これまでのような信仰をどれだけしたところで、もうそのような信仰では起きている恐ろしい現象は止められないからです。

これまでの信仰は間違っていたからです。

これまでの信仰では少しも心をきれいにしないのです。では、止められないですね。この起きている現象はです。いま起きていることは、その心に原因があるからです。

どこかにお参りに行くだけで、あるいは寺などでお経を上げたり座禅をしたりしているだけで、それで心がきれいになると思いますか?

多くの人はそれが正しい信仰だと思い、そのようなことを続けて、それで心が軽くなった、気分がよくなったなどと思っているのでしょうが、それはただの思い込みなのであり、実はまったくそうなってはいないのです。

実際は、そういうことをしても心が軽くもならなければ、気分もよくはならないということです。そのような行いに何の意味もないからです。(だからそれは自己満足にすぎないということです。意味のないことをしていて、心が軽くなるわけも、気分がよくなるわけもないからです)

そのようなことをしている人たちも(お寺や神社など行くとよくお参りに来ている人が多いですから)こちらでは次々に病気になっています。

では、これ以上の証拠はないのではないですか。そういうことをしていても次々に病気をするのなら、そんなことをしていても何の意味もないとです。

それが正しい信仰であるのなら、こういう時であるなら、何がしかのご利益が出てこないといけないからです。

しかし、こんな非常事態にもかかわらず何のご利益も現れないのです。これ以上、このような信仰が間違っているという証拠はありません。

これが現実なのです。こちらではもうそのような間違った信仰の馬脚まであらわれてきているのです。

そういうことをしていても、実際は全然心が軽くなってはいないからです。それが正しい信仰で、そういうことをすれば(お参りやお経など上げれば)本当に気分よく心が軽くなったのであれば、その人にそのような災いが現れることはないからです。

しかし、こちらではそういう人たちにも災いが現れている。ということは、こちらで起きている現象は、そのような信仰がまるで意味がなかったということも、同時に(罰が当たるということだけではなくです)教えているのです。

お経やお参りをしているだけでは心はきれいにならないのです。禅定をしてこれまでの自分の行いをしっかり反省しないといけないのです。

そうしない限り、自分の心はきれいにならないからです。

だから座禅もいけないということです。正しい禅定ではないからです。

無念無想などといって、少しでも動けばひっぱたかれるのであれば、そちらばかりに気がいって無念夢想どころではありません。

それに無念無想では(何も考えようとしないのでは)反省など出来ないではないですか。

心静かに禅定しながら、これまでの自分の悪かったところを反省する、それをしないと心はきれいにならないのです。(だから私は反省しないといけないとくどいほどいっているのです)

今の信仰はそのようなことを一切していません。(反省禅定などしていませんよね。どこもです)だから、そのような信仰をしている人たちにもこちらではボンボン罰が当たっているのです。

正しい信仰をきいているのに(私から)それを無視して、間違った信仰をし続けている人たちばかりであるからです。

そのような末法の信仰(間違った信仰)をどれだけしていても、通用しない、逆にそんな間違ったことをすればするほど罰が当たる、もうそういう時代になっているのです。

だから、このような恐ろしい現象が(こちらだけでなく)日本中で起きているのです。

多くの人たちが心と行いだけではなく、間違った信仰までし続けているからです。

そのような諸々のこと(大間違い)を考えるならです。

神の怒りは大変なものであると理解でき、この大変な事態に気づいて、早く心と行いを切り替えないといけないと分かるはずです。

それともまだ分かりませんか?自分たちの大間違いがです。

無神論も間違いなら、今までして来た信仰も間違いであったということです。

何もかも間違えているのですから、これだけの罰はくだるのです。

早く心を変えないといけないのです。この正法の世に合わせてです。それがどれだけ難しいことであってもです。

時代はドンドン進んで行くからです。

それだけの(皆さんが大間違いしているだけの)神の業がすでに日本には現れているからです。それを多くの人たちはただ無視しているだけなのです。(または、他のもののせいにしてごまかしているだけ)

この正法の世に合わせて心を切り替えることが出来るのなら、私たちのように次々に奇跡が現れるようにもなります。

私はいっているだけではないのです。自分たちでちゃんとそのようなこと(奇跡)を現しているのです。

では、私のいっていることは正しいということになりますが、それにもかかわらず、くだらない反発ばかりして、自分たちの行いを頑として変えようとしない、そんな人たちばかりです。

だから、いつまでたっても不幸が続くのです。

しかし、そんな間違った態度を取り続けていては救われる道はありません。

凄まじい現象がすでに日本中に現れています。

この教えに帰依されませんか?

もう心と行いだけではなく、これまでの信仰まで、しっかりと変えていかなくてはいけない、そのような時がすでに来ているからです。

追伸…唯物無神論の人たちだけではなく、間違った信仰をし続けている人たちまで変えないといけない。

もう本当に大変です。

しかし、そこまで変えないと、この恐ろしい状況は変わってこないのです。

今のまま考え方を変えようとしない人たちには、まだまだこれから、恐ろしい現象は現れてきます。(もう認めてはどうでしょう。その通りのことが起きているのですから)

いつまでも(自分は関係ないと)無関心を続けている場合ではないのです。いつまでも無関心を続けている人が多ければ、この国はもう滅ぶしかないからです。

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