2月 15 2019
普段から神を思う
愛知県の田原市にある「養豚団地」に隣接する養豚場で豚コレラが発生して、養豚団地の全養豚場と関連施設の一万五千頭の豚を殺処分するらしいですね。
隣の岐阜県などもそうですが、中部地方で最も多い豚を飼育をしている愛知県は豚コレラの影響でいま現在、大変なことになっています。(愛知県ってそんなに養豚していたんですね)
この辺りは車がずいぶん減っているのです。では、豚が減っても仕方がない話でしょう。人が滅べば同じように豚も滅びるからです。
このような縁起の悪い話を好んでしたくはないのですが、昨日でも普段歩かないところを久しぶりに歩いたら本当に車が少ないのです。
なんか段々車が減っていっている感じがするんですが、大丈夫なんでしょうか。この状況で、皆、怒っているだけでです。
トラックの連中など怒っているのか、それともパニくっているのかよく分かりませんが、本当は怖いんでしょう。(もう正直にいきましょうよ)誰もがです。
こんなことが起きていて怖くないわけがないからです。
その怖さを怒ってごまかしているだけなのです。真剣にいま起きている現象を考えたら怖くて仕方がないからです。
テレビなど観ると、あの白血病になった水泳選手がずいぶん話題になっていて、骨髄バンクにドナー登録が殺到しているそうですね。(ずいぶん多くの人が同情して)
そうして本人が更新したツイッターのこともいわれていますが、そのツイッターの中に「神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」と書いてあるようですが、確かにそうでしょう。
神は乗り越えられない試練は与えませんし、自分に乗り越えられない壁はないのです。
しかしそれは、普段から神を思っている人に対してはそれはそうなんですが、普段は少しも神を思わずにいて、そうして自分が困った時だけ、神を引合いに出して、神様は乗り越えられない試練は与えないなどといわれても、そんなに都合のいいものではないのです。
神は人に、必ずしも、乗り越えられる試練ばかりを与えるわけではないからです。
だから、志半ばで死んでしまう人もたくさんいるわけで、神が乗り越えられない試練を与えない人は普段から神を思っている人なのです。
困った時の神頼みしかしないような都合のいい人たちなど、助けない方がその人のためになるからです。(そうなって〔不幸になって〕はじめて神を真剣に思うようになるからです。助けてくれないからと「だから神は存在しない」などと思ったら、よけいひどい目い遭うのです)
普段から神を信じていない人を、神が助けるかどうかは、その人の心次第なのです。
こちらの人たちなど、あの水泳選手の比ではないのではないですか。
あのような病気が周りに次々に現れているはずだからです。
そうであるなら、よけいに神を思わないといけないのです。いいのですか。この状況で(怖いのをごまかして)責任転嫁して怒っているだけでです。
いくら責任転嫁をしたところで助からないのです。そういう人たちがドンドンいなくなっているからです。(よく現実を見ましょうよ)
もう真剣に神に助けを求めなくてはいけない時がきているのです。
この状況から救われる道は、それこそ神に頼るほかないからです。
それとも、まだ「神などに頼れるか」「神など存在しないのだ」と強がるのですか?こちらはドンドン車が(ということは人が)減っていっているのにです。
このまま何もしなければ(今のような神を思わない心のままの人ばかりなら)この現象はドンドン広がっていきます。
この現象を止めるにはもう神に頼るしかないのです。
その神に頼っている私には次々に奇跡が起きています。
前に母が肺炎で入院した、ということを書きました。
そうして昨日も母のところに顔を出しに行ったんですが、行く少し前に、母が入院している病院から電話がかかってきました。
「あれ、母に何かあったかな?」と思って電話に出ると、母を担当している先生からの電話でした。
一週間前に緊急入院した時に、その先生から「一応、二週間ほどの入院を予定していますが、お母さんは年も年でありますし病状がちゃんと回復するかどうか分からないので、その都合で三週間、あるいはもっと長く入院するかもしれません」みたいなことをいわれていたので、入院が長引くのかなと話をきいていると、なんと、その電話は母の退院の話でした。
「ええ、もう退院なんですか」と私がいうと、母の担当の先生は、この一週間、抗生物質を点滴して昨日採血をして血液を調べたら、どの数値も正常に戻っているので、もういつ退院してもらってもいいというのです。
つまり母はもう健康に戻ったということなのです。
一週間前は、肺炎になって咳のし通しで、まともに食事も出来ずにいた八十すぎの年寄りが(うちの母は八十二か三くらいです)いくら入院していたとはいえ、わずか一週間で体が正常に戻るでしょうか?
回復力がたいしてない八十すぎの年寄りが、一週間ほどの間に、ひどい肺炎だった体が正常に戻ってしまうというのですから、これもまた奇跡でしょう。
よく考えてみればです。私は母が入院したその日に祈ったのです。
母を病院に入院させ、家に帰って来たその日の夜、私は「神よ、いま母に死なれたら、法の流布が出来なくなります。どうぞ神よ、もう一度、母の体を正常に戻してください。母の体を癒してください。母の肉体細胞に光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」と祈りました。(そうして、その後、母の体が完全に健康体に戻っている相念をアリアリと心に描いて「神よ、母の体を癒してくださり、ありがとうございます。ありがとうございます」と続けて祈ったのです)
そうしたら、その祈りがたちまちきかれたということでしょう。
そうでなければ八十すぎの年寄りが、そう簡単に病状が回復するとは思えないからです。ずいぶん前から母は無理していたようだからです。(入院する前は、ほとんど寝ていないし、一週間近くまともに食事もしていないとか、なんとかいっていましたから)
普段から神を思い、そうして神の心に忠実である者には、このような奇跡が次々に起きるのです。(これは別に私にだけ起きていることではありませんから。ウナッシーさんにも同じような奇跡が起きていますから)
こちらはこういう恐ろしい(人も豚も次々にいなくなる)状況なのです。もう、普段から神を思い、神の心に忠実になった方がよいのではないでしょうか。
特に、こちらの人たちなどはです。
もう真剣に神を思わなければいけない時がきています。
怒って責任転嫁をしていたところで、この恐ろしい状況は変わりません。(むしろひどくなっていきます)この恐ろしい状況から逃れたいのであれば、これまでの(神を思わなかった傲慢な)心を反省し、普段から謙虚に神を思い、神の心に従うことです。
そうすれば、自分の周りには奇跡しか起きなくなるからです。



人目の訪問者です。

今年は奇跡的体験を感じる事が多くなり、それに伴い神への思いも深くなっています。例えば朝晩の祈りですが時間にして15~20分くらいですかね、自分の神への思いを丁寧に、言葉を確かめながらそうして実践しているとそのくらいの時間は経ってしまうのです。(時間のかけ方ではなく内容が問われるところと認識しています)しかし、あえて時間をかけているのではなく神に向かうとそうなるのです。ですから、あっという間に時間が経ってしまうと言った方が適切かもしれません。それでも現実的には以前よりは時間的には長くなり、しかも負担は微塵も感じるとなく、やる気はでるし結果も良い方向に出ているのですから今のところは間違いはないと考えています。ということは、これからの課題の一つには、この現状を継続するという側面も合わせ持つことになるので、しっかりと神に感謝しつつ実践をして行きます。感謝
それでよろしいかと思います。その調子で頑張ってください。
それにしても、私たちの周りには次々と奇跡が起き、この近辺の人たちの周りには次々に災いが起きているようです。
そのあまりの違いに驚いているのですが、この時代、この教えと巡り合って本当によかったなとつくづく思います。
いつまでも突っ張って、この教えを無視している周りの人たちが、本当に哀れです。