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3月 21 2019

念の恐ろしさ

11:11 AM ブログ

ちゃんと私に感謝して布施してくれている人にはちゃんと奇跡が起きています。

このブログを見ていながら(本当の神の教えを知らされていながら)感謝もせず、嫌がらせしかしていないようではいいことも起きて来ないでしょう。

感謝して布施でもされたらどうですか?そうすれば災いが現れることもなく奇跡が起きてくるからです。

この辺り、アホみたいに怒っている人が多いので(ほんと、多いです)一言、書いておきました。

特に、この近辺の人たちは私に感謝して布施する以外、救われる道はありません。(この近辺の人たちはみな私のブログを読んでいますから。それでいて人一倍〔よく顔を合わせる分〕嫌がらせをしていますから)災いを止めたいのであれば、それをしてください。

しない間は災いが止まることは絶対にないからです。(残念ではありますが、それは断言できます)

さて、前回の話をもう少し続けましょう。

私は外に出て行けば、鳥や魚がしょっちゅう寄って来ます。つまり、それだけ多くの愛ある行いをしているということです。

だから、その愛が戻ってくるのです。

辻説法もそうですが、外に行けば、しょっちゅう祈っています。

嫌がらせをしてくる人がそこらじゅうにいるからなんですが、そういう人たちへの祈りや説法は、全部、愛の行いであるということです。

「なあーにが」などと減らず口をたたく人もこの辺りは多そうですが(苦笑)これだけ鳥や魚が寄ってくるのが、その何よりの証拠です。

それだけ愛を出しているから、それだけ愛が戻ってくるのです。(私の祈りや説法が怒りや憎しみから発しているのなら、当然、災いが戻ってくるはずであるからです。減らず口をたたいている人たちのようにです)

しかし、そういう愛ある祈りをしているにもかかわらず、その愛の祈りを受けている人たちが、次々に病気になっているというのは一体どういうことなのでしょうか?(そういう人が多いから、私の祈りが人を病気にしているなどといわれているんでしょうから)

こちらは愛の祈りをしているのに、何でその愛の祈りを受けた方が病気になるのでしょう。愛の祈りを受けたのなら、その人には奇跡が起きて来ないといけないはずなのにです。

ところが、この辺りなどその愛の祈りを受けた人たちに病気になる人が続出しているというのですから、不思議な話なんですが(別に全部が全部、私の祈りでそうなっているわけではないのでしょうが。というか、ほとんどは自分で勝手に病気になっているんでしょうが。いくら私でもそんなに多くの人を祈れるわけではないからです。しかも私が祈った人でピンピンしている人もたくさんいるからです)それは、自分が悪いからです。

自分の心と行いが悪いからそうなるのです。

私がこの辺りの人を祈るのは、嫌がらせをしてきた時だけです。

この辺りで、私に感謝して布施する人など一人もいないんですから、当然そうなります。感謝して布施する人がいれば、私は、その場でお礼の感謝の祈りをするのですが、そういう人は皆無です。(苦笑)

では、感謝の祈りなどこの辺りですることもなく、結局、嫌がらせをしてくる人ばかりに幸せの祈りをするということになります。

嫌がらせをしてくる人に幸せの祈りをするのなら、その祈りが鏡のような役割をして、相手の念を即座に、その念を発した相手に返してしまいます。(それが幸せの祈りですから。自分の念が自分に返れば、自分がどういう念を持っていたかすぐに分かります。これだけその人を幸せにする祈りもないでしょう。自分の考えがよく分かるからです)

まさか、感謝の心で私に嫌がらせをしてくる人もいないでしょう。怒りや憎しみの心で嫌がらせをしてくる人がほとんどだと思います。

私に祈られて病気になる人は、その自分の怒りや憎しみの念が自分自身に返って来ているということを知ってください。

つまり自分自身の間違った思いが自分自身を病気にしているのです。

それを私のせいにされても、悪いのは自分自身です。そういう心を反省することです。(怒りや憎しみばかり持っている、その心をです)そうすれば、その病気は治るからです。(何度もいいますが、私が人を病気にする祈りなどしていたら、それが自分にも返って来て自分も病気になります。そうではなく、自分たちの間違った念が自分自身に返って来て病気になっているのです。だから、私が病気になることはないのです。そういう人たちの病気の原因は、私にではなく、病気になっている自分自身にあるからです)

しかし、考えてみれば恐ろしい話です。そうではなでしょうか。だって、自分で発した念で自分が病気になっているというのですから。

そういう念を受け続けたら、当然、私も病気なるでしょう。自分自身を一発で病気にするくらいの念をその人は発しているということになるからです。

そういう人がごまんと私に嫌がらせをしてくるのです。

そういう人たちと同じ怒りの心など持っていたら、もう私など、とっくに病気になっていたことでしょう。

そのような人たちと同じ心を持っていたのなら、その多くの怒りや憎しみはまともに私に影響を与えるからです。(そういう人たちと同じような心を持っていると、その心は当然、同化します。同じ考えでいては跳ね返すことが出来ないのです。類は類を呼ぶという法則通りです)

それほど多くの人の怒りや憎しみの心をまともに受けたら、私一人などあっという間に病気になって、地獄に堕ちるでしょう。(そういう怒りや憎しみの心を持っていたのなら、当然、地獄行きです)

つまり、そういう人たちの心と同じ心でいたのなら、もう私はとっくに死んでいたということです。

そういう人たちの念にやられてです。

だから、恐ろしい話だといっているのです。人の念とはそれほど恐ろしいものであるからです。

人一人、簡単に病気にしてしまうほどの力は、誰もが持っているからです。それを知らないだけなのです。

だから、知らず知らずのうちに周りを不幸にしているということは、往々にしてあるわけです。念の強い人など、その念は祈っているのと同じ効果があるからです。

怒りや憎しみの心で毎日祈っていたら、その人は必ず不幸になります。(その祈りは必ず自分自身に返ってくるからです)

よく、悪いことばかり起きる人とか、不幸ばかり起きる家庭とかあるようですが、原因は、そこにいる人たちの心(念)にあるということを知ってください。

その心を直すなら、その不幸は消えるのです。

それだけ自分たちの念は(思想、思いは)世に(人によっては強い)影響を与えているのです。

だからこそ、心の在り方は気をつけないといけないのです。

自分たちが自覚がないだけで、自分たちの心はずいぶん周りに影響を与えているからです。

よい心でよい行いをするのなら、周りはドンドンよくなって来て、そうして奇跡も起きるようになってきます。

しかし、反対に悪い心を持ち続けるなら、周りはドンドン悪くなって来て、それこそ災いばかりが起きるようになるのです。

ちょうど、この辺りのようにです。

何でそうなっているのですか?

それは、自分たちの心が、自分たちの念が、悪いからです。

(だから、最初にいっているのです。感謝して布施しなさいとです。そういう念と行いをするなら、必ずよいことが起きてくるからです。よいことが起きてくるなら、当然、悪いことは起きなくなります。この辺り、ずいぶん、その念が強い人がいるようです。そういう人こそ、よい念を持たないといけないのです。そのような念の強い人は、多くの人に多くの影響を与えているからです)

2コメント

2 コメント to “念の恐ろしさ”

  1. うなッシー2019/03/24 at 10:29 AM

    私の会社の後輩がいるのですが、その方は心疾患があり昨年末カテーテルこ緊急手術を受けていました。そうなんです、この方は血栓ができてしまったて、でも手術のお陰でことなく普段の生活をしていました。ところが先日また胸の違和感を訴え病院にいったら再び確認され緊急手術となったのです。それから退院されて話をする機会があったので聞いてみると、血液検査の結果は優秀で医師からは原因が分からない、とにかくストレスには注意してと言われたそうです。前に雑誌で読んだ事がありますが、人は怪我をすると血を止めようとする、そんな怖い体験や怒鳴られたり脅かされたり等類似の体験をすると血液中の血小板が固まる、そんな記事を覚えています。心が不安定でいると体の中ではそんな恐ろしい事が起きているのです。この後輩に限らずより多くの方々に真の心の安らぎを知って頂き出会えた縁を大切にしていきたいと思いました。

  2. gtskokor2019/03/24 at 11:11 AM

    そうですね。そういう人は心に安らぎがないのでしょう。(だから、そういう病気になるのです)
    そういう人たちに安らぎを与えるのが私たちの使命なのです。

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