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7月 30 2019

権威(けんい)

10:55 AM ブログ

梅雨が明けたとたん、すごい暑さなんですが(こちらは)この辺りでお怒りの皆さん、いくら怒っても災いは止まりません。(よけい暑くなるだけです)

謙虚に反省して感謝して布施されることです。そうすれば、少なくともこの辺りで起きている災いが自分に起きてくることはないからです。

特に最近は、この近所でもう何度も災いが起きて、それで怒っていたところがまたひどく怒りだして、また私に嫌がらせをやりだしたというところがあちこちにあるようですが、私に対し、一旦やめていた嫌がらせをまたしてくるということは、そういうところにまた災いが起きだしているということになりますので、それならその災いは、如来の教えを伝えている私に少しも感謝せずに、嫌がらせをしたままで知らん顔をしていることに原因があると思います。

そうであるなら、もう、ちゃんと私に詫びを入れ、これまでの行いを反省し、感謝して布施されてはどうでしょう。

そうしないと、大変なことになるからです。(どこかの会社のようになったら大変でしょう。なんかこの会社は毎日何か起きているようだからです。〔恐〕)

もうそのような時が来ているのです。ちゃんと私に詫びを入れて、しっかりこの教えを勉強しなければいけない、そのような時がです。

だいたい、如来の教えを教えられていて、感謝もせず嫌がらせをしたままで知らん顔をしていて、それですむわけがないのです。

どこかで反省して、如来の教えに帰依しなければいけないのです。(絶対にそうなるんですって。もし今生、縁がなければ来世で。来世でも縁がなければ再来世で。どこかでやらなければいけないのです。如来の教えの勉強はです。それが神の子の人間の使命であるからです)

では、早めに(今生のうちに)そうされてはどうでしょう。今生はすでに凄いことになっていて(この辺りだけではなく日本中で)この辺りだけ見ても、どこかの会社のようになってからでは遅いからです。(今も怒っていますが、とにかくここはもう最悪ですね。次から次に災いが現れて止まらない様だからです)

どちらにしてもです。如来の教えであるこの正法神理を拒否することなど誰にも出来ないのです。

いい加減、そのような事実を理解されてはどうでしょう。事実は事実であるからです。

もちろん、拒否できないといっても、別にそれは強制という意味ではありません。神の心に強制などという言葉はないからです。

強制ではなく権威なのです。本当の神の教えの権威の前には誰も逆らうことなど出来ないということです。

如来の教えであるこの正法神理が発する権威には、神の子である人間はみな頭を下げて従うしかないからです。

正法神理の権威とは、強制ではなく、そうせざるをえない、そうするしかないという、心の底からわき上がってくる強い思いと、起きてくる現象(神の業)それには逆らいようがないという意味です。

実際にそうではないでしょうか。それほどの現象がすでにこの辺りには起きているからです。(災いばかりでなく私に起きている奇跡なども含めてです)

それに、自分たちの思いでもそうでしょう。これほどの現象が起きているのです。この教えを勉強したくない人などいるはずがありません。

そうしてそれとは別にです。この教えを勉強しなければいけないという強い思いも出てきているはずです。なぜなら、この教えの大事さは誰でも知っていることであるからです。

すべての人の心は天に通じています。その天に通じている心が知っているのです。この教えの偉大さをです。

だから、そのような強い思いが出てくる(来ている)のであり、その思いに素直に従えばいいのです。

そうすれば奇跡が現れるようになるからです。(そのような〔天に通じている〕心の奥からわき上がる思いこそ正しいものであり、その正しい思いに従えば誰でも奇跡は起こせるのです)

だからいっているのです。この正法神理に逆らっても無駄だとです。なぜなら、この教えに逆らえば逆らうだけ自分の心も苦しくなり、災いも起きてくるということになるからです。

本当の神の教えの権威の前には誰も逆らうことなど出来ないのです。

それを無理に逆らっているから、このような(すさまじい)ことになっているのです。

だから、別に私に頭を下げろといっているのではないのです。(何度もいっていますが)この本当の神の教えである正法神理に頭を下げなさいといっているだけなのです。

この教えは(正法神理という神の心は)すべての人が合掌して頭を下げるべき偉大なものであるからです。

釈尊やキリストのような、人が偉大なのではないのです。釈尊やキリストが説いていられた神理が偉大なのであり、その偉大な神理をあのような方々は完璧に説かれて、それを実践され、現象として現されたから、あのような方々は偉大な方々といわれているのであり、しかし、その偉大な方々を突き詰めるならば、その説かれていた正法神理が偉大なものであったということです。

その正法神理を素直に受け入れ、行うなら、その神の心のままの奇跡が現れてきます。

だから、やらないといけないと私はもうずっと前からいっているのです。この教えは神の子である私たち人間にとって不可欠なものであるからです。

逆らっても、無視しても、そのままではいられないものであるからです。

三日、四日前ですか、庄内川に行くと多くのツバメたちが飛んでいて(その時は凄くツバメがいました。全部で十羽くらいいました)暑かったので、橋の下で休んでいたんですが、その休んでいる間中、私の周りを鳴きながら飛び回っていました。

前の川ではあっちでガボガボ、こっちでガボガボ、大きな魚が顔を出します。(あちこちからガボッとでかいのが急に顔を出すのです。〔ちょっと驚きますが〕多分、鯉だと思うんですが…もちろん跳ねているのもいました)

そうして、細かいの(魚)がたくさん前(の川)を泳いで行きます。「元気か」と声をかけるとピチャピチャ跳ねています。

本当に癒されますが、そのような精神的な部分だけではなく、この辺りはずいぶん多くの人が病気になっているようですが(だから怒っているんでしょう)その病気も祈れば奇跡的な治り方をする人も出てくるのです。

この正法神理を実践するならです。

そうして、この正法神理を実践しながら祈るのであれば、多くの現象が現れ正しい道に導かれていきます。

嘘でも大袈裟でもなく、本当にこのような教えはあるのであり、この教えを実践するなら人によっては様々な(まだ現れていないような)奇跡も現れてくるのです。

これほどの教えを無視することくらいもったいない話もないのです。自分自身にどんな可能性があるのか、それはこの正法神理を実践してみないと分からないからです。(だから、自分自身にどんな奇跡が起きてくるのかは、自分でやってみないと分からないということです)

本当の神の教えの権威の前には誰も逆らうことなど出来ないのです。いい加減、従ってはどうでしょう。(自分自身の心の思いに素直にです)

そうすれば、これまでとは違うまったく別の世界が目の前に現れてくるはずだからです。

(まだブシュブシュやっていくトラックの運転手連中がいますが、正味な話、もう怖くて仕方ないのではないですか。これだけトラックが減ってしまってはです。あなたたちこそ真っ先にこの教えを実践しなければいけないのです。そうしないと〔あまりに〕危険であるからです。素直に従いませんか。正法神理にです。〔あまり無理をせずです〕そうすれば救われていくからです)

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