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10月 01 2019

執着

10:55 AM ブログ

今日から消費税が上がりますね。複雑な軽減税率の導入で当分混乱が続くでしょう。

こういうことがまた災いのタネにならなければいいのですが。

その災いのタネといえばです。昨日の中日新聞の一面に、例のあいちトリエンナーレの補助金の不交付のニュースが載っていました。

もちろん中日新聞は、不交付に反対の意見ばかりを載せていたのですが(さすが左翼新聞、災いのタネづくりに必死です)その中に、表現の自由への萎縮効果が働くだの、文化庁をつぶせだの、いっている野党の党首の記事も載っていました。

左翼思想丸出しのこの党首などは、それこそ左翼団体から(しかも超のつくくらいの)献金をもらい、ずいぶん支持もされているようです。(この党首、一見善良そうな顔をしていますが、実は超左翼なのです…名古屋の人たち、大丈夫ですか?こういう人たちを支持していてです)

だからもう必死でしょうね。こういうこと(補助金の不交付)がこれから行われては、そのような左翼団体の金づる(補助金を懐に入れる)が減ってしまうからです。

それでは自分たちへの献金も減ってしまいます。だから、今回の「表現の不自由展・その後」のような、芸術とは名ばかりの超左翼で不遜な中身は一切問題にせず、過度の表現の自由をうたい、自治体が萎縮するだのなんだの理由をつけて、補助金の不交付をやめさせようとする。

その補助金を狙っているからです。(さすが超左翼、悪党です)

いつもの左翼のたかり手法の一つなんですが(極論を言い立てて無理やり自分たちの意見を通す。無理が通れば道理引っ込むというやつです)しかし、この問題が騒がれれば騒がれるだけ、これからこのような公的イベントをする時には、その目が厳しくなります。

逆によいことなのかもしれませんね。国民、皆の監視が強くなってです。

まあ、政治家(与野党問わず)やマスコミは、このような左翼の味方をしているところが多々あります。(私たちのような善良な市民を〔笑〕だまくらかしてです。つまり人のためより利権ばかりに群がっているということです)

そこはこれからはよく見ておいた方がいいと思います。なんだ、かんだきれいごとをいっていても、そんな政治家など選べば不幸になるのは我々国民の方であるからです。(しかし、政治家にしてもマスコミにしても、そっち系が多いのでどうしようもないといえばないのですが。〔苦笑〕)

どちらにしてもです。あまりに偏ったことをいっているところ(人)は、決して正義ではないということです。

正義は(正しさは)どちらにも偏らない中道の中にあるからです。

だから、そういう一方に偏ったこと(極論)をいっている連中は、みな何らかの利権に群がっている強欲な人たちであるということです。

少なくとも、そういう連中は我々国民のためにやっているのではないのです。金のため、自分たちのために、そのような運動をしているということです。

もし、その人たちが純粋に人のためにやっているのであれば、そこに奇跡が起きてくるからです。

しかし、そのような人たちに奇跡が起きたとはきいたことがないからです。

そこらへんは一つの基準としておいた方がいいのですが、それにしてもです。このような(政治家やマスコミのように)口には出さずとも、カネカネカネカネと思っている人はどこも多そうです。

しかし、あまりに金に執着が強いと結局は不幸になるのです。

その金のために何でもするという人も出てくるからです。また、そこまで極端な考えにならなくても、ある程度のことは(おかしいと分かっていても)やるという人はたくさんいます。

そうして、自分が稼いだお金は自分のためには使うが人のためには絶対に使わない、などというケチな人も出てきます。

そういう人たちは結局は不幸になるのです。特にこれからは、そのような時代に変わって来ているからです。(悪いことをしている人たち〔狭量なことをしている人たちも同じ〕はすぐに不幸が現れる)

だから仕事でも自分たちがしていることでも何でもそうですが、常に反省ということを忘れてはならないのです。

反省を怠ると自分たちの間違いに(狭量さに)いつまでも気づかないからです。

特にこのブログを見ている人たちは、その反省ということを知りません。(そういう人が多いです)

それで不幸になっている人がごまんといるようです。(特にこの辺りは)

次々にコロリと逝くという究極の天罰があちこちで現れてきたようです。(私のいった通りなんですが…どこかの会社など毎日のように出ているらしいですよ。だからもうドン引きです。〔ちゃんと確認していますから。そのことはこの近所の人たちも皆知っています〕それに大きな会社のトラック連中もやたら引きだしました。出ているんでしょうね。運転手連中にもです)

例えば、このような天罰が寺や神社で起きたのなら、もう「罰が当たった」だの「天罰を食らった」だの大騒ぎになり「へへー、もう悪いことはいたしません」となるはずなんですが、不思議なことに私の周りで起きると、みな居丈高になり「お前のせいでこうなった」だの「悪いのはすべてお前」ということになって「だからお前のいうことなど絶対にきかない」ということになるようです。(ほんと不思議な態度です。何をもってそう思っているのでしょうか?)

しかし、このようなことが次々に起き出した以上、私のいうことをきかないのなら、コロッと逝くしかないように思えますが、そこはどうなんでしょうか?

別にそれでもいいという人は、そのまま(小さな)意地を通せばいいのですが、さすがにそれは嫌だという人はです。

まあ、あまり先ほど書いた金などに執着を持たず、いろいろ教えてくれたのだからと、謙虚な心で快く布施くらいされることです。

そうすれば、そのような人にそのような危ない現象は現れて来ないからです。

しかし、さっきも書きましたが、金のためなら何でも(悪いことでも)するとか、少々のことは(悪いことでも)仕方がないとか、金など絶対に出すのは嫌だとか(ここら辺の人はそういう人が多そうです。ちょと「布施でもしろ」とか「ブログ代払え」とかいうと、やたら怒る人が多いですから。〔苦笑〕どんだけ金に執着が強いんだと呆れます)そのように金に執着が強い人は、必ず不幸になります。

金などこの世を渡っていく上での方便として必要なだけであり、それ以上のものでも、それ以下のものでもないからです。ただ、それだけのものであるからです。

それを必要以上に欲しがるのです。自分の欲望丸出しです。そのような極端な人は(中道から外れていますので)不幸になるのです。

それで自分の感謝の心が表現できるのなら、自分たちが救われるのなら、いくらでも出した方がいいと思うのですが、このブログを見ている(ウナッシーさん以外の)人たちは、そうは思わないようです。

金を出すくらいなら、死んだ方がマシという人もいるようです。(苦笑)

本当に哀れなんですが、しかし、ここまで来たら仕方ありません。そのような人たちは、そういう(執着の強い)ことがいかに間違っているのか、それを身をもって知ることになるでしょう。

そのような(究極の)現象が、すでにあちこちに現れてきているからです。

早く、そのような執着の心から抜け出ることを願ってやみません。

そのような執着心が強い人ばかりであるなら、本当に滅ぼされてしまうからです。

追伸…あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」の再開が決まったそうですね。(今月の六日~八日で協議中だとか)

そうですか。では、この再開が正しいものかどうか、天に祈ってきいてみることにしましょう。

どうでしょう。愛知県の皆さんも一緒に祈りませんか?(特別、愛知県の人たちだけに限りませんが)こういう企画展の再開はおかしいと思っていても(左翼連中が)強引に決めてしまったのです。

決めてしまったものを力づくでやめさせるわけにもいきませんし、向こうが強引に決めたのなら、こちらは神の力で、それが正しことなのかどうかを問うてみればいいのです。

神は正しい人たちの味方であるからです。(そこらへんは神は公正だからです。この世の人たちと違ってです)

決まってしまったのなら、もう苦情の電話などかけても仕方ありません。

決まったのに苦情の電話などかけても電話代がもったいないだけです。祈りはただです。(笑)この再開に疑問がある方はぜひ一緒に祈りましょう。

神がこのような行いが正しいのかどうかを教えてくれるからです。(いうべきことをいって後は心静かに祈る。平和でいいでしょう。デモなどするよりです。〔笑〕)

再開の日からあいちトリエンナーレが終わる今月の十四日くらいまででよいのです。朝でも夜でもいつでも結構です。

祈る気のある人は祈ってください。

その祈りとは、まず「神よ、わが心に光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」と祈って、自分の心を落ち着けます。

そして自分の身体全体に神の光がさんさんと降り注いでいるイメージをします。

そうして、その神の光を身体全体に浴びて、神の光が自分の身体全体を覆っているイメージを心にありありと描き、そのような心のまま「神よ、いま開催されているあいちトリエンナーレで中止になった企画展『表現の不自由展・その後』がまた再開されることになりました。もし、この再開が正しいものでないのであれば、それを再開しました大村知事はじめ実行委員会の方々に様々な現象を現し、その方々を正しくお導きください。この方々に光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」と祈り、心に大村知事はじめ実行委員会の方々に、神の光がさんさんと降り注いでいるイメージをします。

この時、実行委員会の方々がどんな顔をしていてどんな方かなどは関係ありません。そういう方々がいるということを想像して祈ってもらえればそれでいいのです。(注、決して怒りの心では祈らないでください。その人たちの幸せを祈るのです)

そういう祈りをしばらくしてから「神よ、この方々を正しくお導きくださり、ありがとうございます。ありがとうございます」と祈り、そうして「神よありがとうございました。神よありがとうございました」と神にお礼をいってこの祈りを終えてください。

こういう祈りを一日一度で結構ですからしてください。別にこの通りに祈らなくてもだいたいで結構です。そういう祈りをするという心が大事だからです。

このような祈りを皆がするなら「表現の不自由展・その後」が正しいものであれば、大村知事たちに奇跡が、間違ったものであるならば、それは間違いであるという現象が何か現れてくるはずであるからです。

正しい祈りは必ずきかれます。

どうぞ、祈ってもいいという人はぜひ一緒に祈りましょう。そうすればこの方々を神が正しく導いてくださるからです。

祈りを始めるのは「表現の不自由展・その後」が再開されるその日からとします。もし、祈ってもよいと思われる人は、その日までせいぜい心を整えておいてください。

心が調和されている人の祈りほどよく神にきいてもらえるからです。(笑)

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