11月 01 2019
次々に現れだした過ぎ越しの祭
昨日コメントに書いたからかどうなのか、それは知りませんが、昨日は次々に分かりましたね。
コロッと逝く人が出いるところがです。ほんとやばいですよ。あちこち出ているみたいだからです。
中川運河沿いの鋼材屋やその近くの合板屋、その近くの会社など出ているようです。異様に怒っていて「コロッと逝ったのが出たのか」ときくと急にシーンとしたり(だから同じ態度を取るなよ、怖いから、と思うんですが)これまで散々嫌がらせをしていたところが急にやめたりするからです。
だから異様に怒っているところや散々嫌がらせをしていたくせに、急にやめたところなど出ているんでしょうね。
コロッと逝く人(過ぎ越しの祭)がです。その極端さが何よりの証拠であるからです。
だとしたらです。これは相当出ていますね。そういうところがいま考えるとあちこちにあるからです。
そうだとしたら昨日のコメントではありませんが、もう知らんという態度を取っていると明らかにまずいですし、いいんですかね。私のいうことを無視し続けていてです。
特にこの辺りの人たちなどです。
そういう態度を取っていたら過ぎ越しの祭が続出するんじゃないでしょうか。(というか、もうしているようなんですが……この辺り)
前にブログを書くのをやめた時トラックが激減しましたが、今回また同じことをしたら、今度は人が激減するかもしれないからです。(というか、もうしているようなんですが……この辺り)
この状況で過ぎ越しの祭が自然に減って行くということは考えずらいんですが(広がってはいってもです)本当によいのですか?
このまま如来の教えを無視し続けていてです。
「よけいなお世話だ」「お前がそんなこと心配することじゃない」ということならよいのですが、ドンドン過ぎ越しの祭が現れだしたらどうします。
現れかねませんよ。
どこかの会社などすでにそのようであるからです。(昨日も凄そうだったし〔頭を下げて来た者までいたくらいですから〕今日も朝からもうドンドン出ています。〔完全にパニくっています〕この現象は自分だけではなく家族にまで出てしまいますからね。だから怖いのです。神に逆らい続けていると一族郎党滅ぼされるからです)
どちらにしてもです。その過ぎ越しの祭は私に感謝して布施する以外、止める方法はないのですが、それでも無視しますか?
私のいうことをです。(そりゃ、如来の教えを何年にもわたり無視して感謝の布施もせず嫌がらせを繰り返しているのです。究極の災いも現れます)
そうして、次々に起きて来ている過ぎ越しの祭もです。
それでも関係ないというなら、このブログを見ている人たちの気が変わるまで待つしかありませんが、こちらもそう長くは待つことが出来ません。(もう十年待ちましたから。もう限界です)
だから、激しく現れてくるのではないでしょうか。
過ぎ越しの祭がです。
心臓が止まってからでは遅いのではないですか。いい加減、私のいうことを信じ従ってもらえませんか。
このままでは本当に危ないからです。多くの人がです。
どれだけそれをいっても(このブログを見ている人たちは)信じようとしませんが(その恐ろしさを認めようとしませんが)しかし、こちらでは次々に過ぎ越しの祭が現れているのです。
あちこちのところで私がそれを教えてもらっているのですから、それは間違いないのです。
私のいうことを信じなければ、このブログを見ている多くの人たちに過ぎ越しの祭が確実に広がるのです。それはこちらで走っているトラックを見れば分かるはずです。
これだけトラックが激減しているのです。(それはこの辺りの人たちにしか分かりませんが)
それでもまだ理解しようとしないのですか。こちらで起きているすさまじく恐ろしい現象を(過ぎ越しの祭を)です。
決して大袈裟なことをいっているわけではないのです。
私たちはもっと恐れないといけないのです。神の業をです。
今のような神をまったく恐れず、神の業も全然恐れようとしない、そんな傲慢な態度の人たちばかりでは(よけい神を怒らせ)どれだけ多くの過ぎ越しの祭が現されるか知れないからです。
別に私は多くの人たちを恐れさせようとして書いているわけではありません。それだけ恐ろしいことがすでにこちらでは起きているから、もっと神を恐れなくてはいけないと書いているだけなのです。
そうしないと、この災いは止まらないからです。(これほどのことが起きているのに脅している場合ではないでしょう)
本当はもっと早くそのことを知らなければいけなかったのです。私たちは(このブログを見ている多くの人たちは)です。
もっと早く神を恐れ、私のいうことに従うなら、これほどひどい天変地変も、これだけトラックが激減することも、これだけ過ぎ越しの祭が現れることも、なかったのです。
しかし、このブログを見ている人たちはどれだけいってもそれが分からなかった。(今もまだ分かっていませんが)
それがこれほどの災いを呼んでいるのです。
もうドンドン現れてきます。恐ろしい災いがです。多くの人々が、そのような恐ろしい災いを責任転嫁しているだけで、まったく神を恐れようとはしないからです。
自分たちのそのような考えをまったく反省しようとはしないからです。
しかし、このような正しいことが(ここに書いていることが正しいのです)分かるのはこのブログを見ている人たちだけなのです。
私のいうことに従ってください。如来の教えを説いている者に感謝して布施してください。
とりあえず、それをする以外で(そのように愛を出す以外で)この恐ろしい災いを止める手立てはないからです。
(もうどこかの会社がパニックになってきました。ここまでキレているのは初めてです。〔ほんとメチャクチャ怒ってます〕もう相当起きて来ているようです〔怖〕……しかし、この状況でここまで怒りますかね。大丈夫なんでしょうか。怒っているだけでです)
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追伸…もう相当やばいですね。こちらはです。(恐)
しかし、昨日の方などです。口だけ正法じゃなくて、もっと真剣にこのブログを読んで実践されたらどうでしょう。
そうすれば、周りに奇跡も現れてくるからです。(なんか、全然現れてなさそうですから。そちらの周りに奇跡などです)
ウナッシーさんのマネをされたらどうですか。ウナッシーさんなど布施もしないといけないと書いたら、即してくれましたよ。
そうして毎月その布施を続けていられます。(私はそんなにしなくていいです。年に一、二度くらいでいいです、といっているにもかかわらずです)そうして、少しでもこの教えを実践しようと頑張っていられます。
そういう方にはちゃんと奇跡が現れて来ているようです。
私のように、すべてを投げ出してこの教えを伝えているとです。もう周りに次々に奇跡が現れてきます。(もうこの辺り、すさまじいですから)
このような現象が現れているのですから、私が説いているものが本当の正しい正法神理であると、正法をご存知のあなたであるなら分かるはずです。(文証、理証、現証が揃っているのは私たちだけですから)
上から目線で(正法を知っているという人はそういう人が多いですから。〔笑〕お前より自分の方がよく正法を知っているなどというです)このブログを読んでいるのではなく、もっと謙虚になって、このブログに従ってみませんか。
そうすれば奇跡も現れてくるからです。



人目の訪問者です。

いよいよ夏の暑さも過ぎ、朝の低い気温が秋の訪れを感じさせます。この時期の寒暖さにはお気をつけ下さい。さて話は変わりまして、人が変わりましたね本当に変わったのがひしひしと心に響くのです。もちろん自分自身のことです。自分のことを一番理解していると思った、その自分が驚いているのです。例えば今週など職場では、チームのメンバーが一人の仲間に対して怒り心頭なまでに愚痴ってきたのです。私は暫くの間何故そのようなことを私に振り掛けてきたのか考えていたのですが、結局のところ就寝までわかりませんでした。そこで就寝前の反省に入り、その人のことをどうやって祈ろうかと思っていたら自然に言葉が湧いてきたのです。「私は貴方のその愛によって生かされているのです。神の子として愛ある貴方が幸せになりますように」とです。もう私の観念の中には愛が溢れているかのような錯覚さえしたのです。それからというもの、ことあるごとにその言葉しか浮かんで来なくなっております。自分の心は常にそのような感覚であるので、もしかしたら周りの人は既にその変化に気付いているかも知るませんね。
ウナッシーさんの愛がそのメンバーの人を愚痴らせるのでしょう。ウナッシーさんの愛に気を許してです。
そういう人の愚痴を黙ってきいてやり、最後に一言、二言、愛の心でアドバイスされるとよいのではないでしょうか。園頭先生はそのような指導の仕方をされていたからです。
心の内より浮かんでくる思いは大切にされ(それは天からの言葉ですから)その思いのままに行動をされると益々よいことが起きてきます。
ウナッシーさんの心の向上が手に取るように分かります。その調子で頑張ってください。
と、それはそれでよろしいのですが、問題はこちらです。もうこちらは修羅場ですから。
昨日の夕方でもすさまじく怒っているところがあり、今日の朝もどこかの会社などお怒りで(その後ドン引き)明らかにコロッと逝く人が出ているのが分かるのですが、こういう話をです。
他の地域の人たちって理解しているのでしょうか?
この前の正法をご存知の方が、このブログを読んでいるのに中身をあまりにしっかり理解していないのでちょっと驚いたんですが、ウナッシーさんから見て、最近のブログの内容って理解出来ますか?(過ぎ越しの祭などです)
正味な話、こういう話が理解出来るのかどうか、率直な意見をききたいのですが、ウナッシーさんの意見を正直に教えてもらえませんか?
別に理解出来ないなら出来ないでかまいませんので、よろしくお願い致します。(こちらは他の地域の人の意見を正しくききたいだけですから)
私について言えば、過ぎ越しの祭は洋画「ヨハネの福音書」も観ているので分かります。そして、コメントに載せて下さった方のことについて話せば、先ずはお陰さまで自分のスタンスが明らかになったことが嬉しかったです。しかしながらあの方について言えば、私が口にするのも恐縮ですが、やはり実践がなされてないような気がします。私は最近になり、九州の講演会で園頭先生と握手した感触が懐かしくその意味が分かるような気がしてなりません。実践が伴ってこその大矢先生のブログが愛に満ちた尊いものと分かるのです。と言うことは、実践が伴わない人には理解出来ないものとなっているのが現状でしょう。実に惜しいことですが数年後には必ずやこのブログが現代の福音書となり感謝されることになると考えます。
やはり実践が伴っているウナッシーさんは理解出来るのですね。この辺りで起きていることがです。
しかし、実践が伴わなければ無理っぽいですね。
そうですか、分かりました。参考になりました。ありがとうございます。