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12月 06 2019

すさまじい数の現象

11:17 AM ブログ

昨日はちょっと驚きましたね。なぜって、まるで申し合せたかのようにどこも同じような態度を取っていたからです。

最近はどこかの会社までドン引きしているんですが、そのようなドン引きしているところがあちこちでドンドン増えているのです。

それだけではなく昨日など、ほとんどのところで(工場や工事現場で)みな同じようにドン引きしていたから驚いたのです。

あまりに取っている態度が同じであったからです。

あれだけ多くの場所で同じようにドン引きしていたことはこれまでなかったですね。昨日は金山の方に行っていたのですが、一社だけでしたもんね。怒っていたのはです。(またその怒り方が異様な怒り方でしたが。町中にきこえるようなでかい音を立てていましたから)

あと、その辺りはいくつも工事現場があるんですが、どこもドン引きしていて先週までとは大違いでした。

一週間前にも同じ場所に行きましたが、その時はどこでも嫌がらせをされましたから。あっちでガンガン、こっちでゴンゴンみたいにです。

というか、それが私は普通なんですが昨日など、異様な怒り方しているところが一社あっただけで、あとはどこもシーンとしているのです。

あんなに静かだったのは初めてですし、それにその場所には(金山駅のすぐ近くで線路がありますから)電車も走って行くんですが、その電車がまた静かなのです。

私がどういう声をかけても(もうこっちはドンドン病気になっているぞとか、帰依しなくて大丈夫かとかです)何もしていきません。いつもならファンファンやっていくのにです。

なんでこんなにどこも静かなんだろうと不思議で仕方ありませんでしたが、その時にふと気づいたのです。「あれ、そういえば今日は金山にくる時も(いつもと比べれば)どこも静かだったな」とです。

トラック連中が相変らずブシュブシュやっていましたので(この連中は変わりませんね。あれだけ減っているのにです。よく頑張ります)それまで気づかなかったのですが、昨日はどこを歩いていても妙に静かだったのです。

その金山からの帰り道でもそうでした。

どこも静かで、いつもなら(その道を通った時は)必ずでかい音を立ててくる工場があるのですが、昨日はそこも静かだったのです。私が何をいってもです。

だから不思議で仕方ありませんでした。

私からは、そのような態度が異様に思えて仕方なかったからです。これまでは静かな時でも、いくつかの会社からは、必ずでかい音を立てられ嫌がらせをされ続けていたからです。

ところがそういうところがドンドン減って行き、昨日などはもうどこの会社も同じように静かなのです。

さすがにちょっと気持ち悪かったですね。ずっと嫌がらせをし続けていたところが一斉にその嫌がらせをやめてしまっていたからです。(まあ、町中に響く程のでかい音を立てていた一社をのぞいてですが)

ということはです。それだけ一斉に現れ出したということなのではないでしょうか。同じような災いがです。

まさかもう嫌がらせに飽きたからやめたということはないでしょう。この辺りは、ずいぶん執念深い人たちばかりであるからです。(笑)

みんなが同じように嫌がらせに飽き、そうして一斉にみんなが私に対する嫌がらせをやめたということなど考えられません。

とうことは、それだけ多くの災いが、それだけ多くの人たちに現れだしたと考えた方がよいのではないでしょうか。

まだ、この状況でも私に嫌がらせをし続けていたところなど、どこも札付きのところばかりであったからです。(札付きの罰当たり連中が多いところという意味です)

このような状況でもまだ私に嫌がらせをしてくるところなどは、もうどれだけ災いが現れても、そんなこと知るかという奴が何人もいて、少々の災いが現れたくらいでは嫌がらせをやめようとしない、そんなところ(会社)ばかりなのです。

そんな札付きのところが一斉に私に対する嫌がらせをやめたということは、それだけ激しい災いが(多くの災いが)そういうところにも現れだしたということになります。

そういう札付き連中が嫌がらせをやめるくらいの数の災いがです。

だから私に対する嫌がらせをやめたのです。よほどの(数の)現象が現れて来なければ、このような札付き連中が私に対する嫌がらせをやめるわけがないからです。

そういう札付きの会社の連中が一斉に嫌がらせをやめたのです。そう考えるとです。ちょっと想像がつかないですね。

何の想像がつかないかといえばもちろん、今この辺りで起きている災いの数の想像がです。

そうではないでしょうか。

だって、昨日だけでもです。私は金山まで辻説法をしながら歩いて行ったのです。私の家から金山までは五~六キロはあるでしょうか。(もっとあるかもしれませんが)その間、会社や工事現場などは数知れずあります。

そうして、私に必ず嫌がらせをしてくる札付きのところなどいくつもあるのです。(もちろんそういう会社は五社や十社ではききません)

そういうところが昨日など一斉に嫌がらせをやめてしまったということはです。ここ数日で一体どれくらいの数の災いが現れたか知れないということになります。

どれだけ災いが現れていても、嫌がらせをやめなかった札付き連中が一斉に私に対する嫌がらせをやめたというのですから、もうそういうところには相当数の災いが現れたと考えて間違いないからです。

そういうところが一社や二社ではないのです。

では、何度もいいますが、そういうのを全部考えればです。一体どれだけ多くの災いがこの辺りに現れているのか想像がつかないといっているのです。

それだけすさまじい数の災いが現れているのは間違いないはずであるからです。

だから、もの凄い数の災いが現れていると思いますよ。だから札付き連中が嫌がらせをやめたのだし、それプラスこの車の減りようです。

もうすさまじいまでの災いがこの辺りだけでも現れていると想像できます。それなのに誰もこの起きている現象を怖がらないし(いや、凄い数の現象が現れているのですが……)奇跡が起きているこの教えに興味を示さないというのですから、起きていることがちゃんと分かっているのでしょうか?

この辺りの人たちはです。

多分、分かっていないのでしょう。だから歩いている人も、そうしてトラック連中なども平気で私に嫌がらせをし続けているのです。

いま起きていることが、全然理解出来ていないからです。

理解出来ていないでしょう。ちゃんと理解出来ているのなら、これだけ車だけ見ても減っているのです。

もう少し、この奇跡が起きている教えに興味を持って、帰依する人が出てきてもおかしくはないはずだからです。

しかし、そういう人は皆無です。では、いま何が起きているのか(どれだけ恐ろしいことが起きているのか)それをしっかり理解している人は皆無であるといっても過言ではないでしょう。

理解できないから、この教えの有難さが分からないのです。(起きていることの恐怖もです)

いま現在は多くの天変地変が日本中に現れているのです。(その数だけでもすさまじいですが)そして、この辺りだけ考えてもです。

多くの車が減り(これだけトラックが減っているのに、その減っているトラックの運転手連中がその恐ろしさの自覚が全然なさそうです。これだけトラックが減っていたら、次は自分がいなくなると想像できそうなものですが〔そういう想像が出来れば何とか助かりたいとか思いそうですが〕それをせずに私に対する怒りしか持たない。これではそんな運転手がいついなくなるか知れません)多くのところに次々に災いが現れているのです。

しかもその数はすさまじく、その災いの数がまだドンドン増えているのです。

それなのに、何一つしようとしない、その災いに対する対処をです。

しかし、その起きる災いは凄い勢いで増えているのです。それは私が一番分かっています。(これまでの体験でです。今回もしっかり書きましたが)

こういう状況にもかかわらず(何度もいっていますが)今のまま態度を変えなくてよいのですか?

今のままの態度では確実に現れてくるのですよ。自分たちにもその災いがです。(どれだけ目をつぶり、耳をふさいでも現実は変わらないのです。悪いことがドンドン増え続けているからです。だからこれだけ書いているのです。事実を事実のままです)

しかし、私が実践している正法神理はこれだけ災いが起きている中にあっても、唯一、奇跡を起こせる教えであるのです。

実際に奇跡が起きているのは私たちだけであるからです。

災いを防ぐには奇跡しかありませんが、それでもまだこの教えの無視を続けるのですか?このブログを見ている多くの人たちはです。

しかし、何度もいいますが、すでに日本中で天変地変がドンドン増え(いま現在でも北日本は大荒れですし〔震度3~4程度の〕地震が関東などにも頻繁に起きています)この辺りに起きる(病気などの)災いもすさまじい勢いで増えているのです。

何度も書きますが、私が祈り天気を変えたことも病気が治ったこともあります。

ということは、この教えを実践するなら、天気も変わり(天変地変もおさまり)病気も防げる(癒せる)ということになります。

そのような災いが今の日本には激増中ですが、その災いを防ぐことが出来るのはこの教えだけなのです。にもかかわらず、それでもまだこの教えをこのブログを見ている多くの人たちは無視するのですか?

この教えを日本中の(もっというなら世界中の)人々が待ち望んでいるにもかかわらずです。

2コメント

2 コメント to “すさまじい数の現象”

  1. ウナッシー2019/12/07 at 6:27 AM

    反省の機会があるのは本当に尊いことたと思います。私など結婚し婿入りしてから疎ましく感じていた姑が今は咳一つしても労る心が出てくるのです。変われば変わるものですが、自分を変えたいと若い頃から思ってきましたが何故変わらなかったのかようやく分かってきました。長年掛かって変えたいという思いが、数年前に縁がありこのブログに触れての現在のこの心なのです。思いだけでなく、また行いも正しいものでなければならないことも自身の体験を通して知ることができました。さて以前よりご指摘して下さった流布にも視野を入れて日々の反省に精進して参ります。

  2. gtskokor2019/12/07 at 9:26 AM

    ウナッシーさんはドンドンよくなっていきますね。それも自分でこの教えを本気で実践しようと思われ、それを行っているからでしょう。(園頭先生がいられる時は、皆、園頭先生に頼っているだけで、今一実践が出来ていませんでしたから。〔私もそうでした〕)
    この辺りの人たちとは(このブログを見ている他の人たちとは)対照的です。
    実践した人たちだけが救われて行くのです。早くそれにこのブログを見ている他の人たちも気づいてほしいものです。

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