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12月 08 2019

責任転嫁の愚かさ

11:01 AM ブログ

もう心の汚い人たちにドンドン災いが現れているようですが大丈夫なんですかね。この辺りの人たちなどです。

しかし、ずいぶん違いますね。同じこのブログ見ているのに、ウナッシーさんと他の人たちとではです。

昨日もウナッシーさんからコメントが来ていましたが、愛が深くなってくるとああなるのです。

これまでうっとおしいとか思っていた人が、急に可愛らしいと思えてきたり、かわいそうと思えてきたり、まったく逆の感情が現れてくるのです。自分の心が向上し愛が深くなってくるとです。

その愛の極致がキリストがいわれた「汝の敵を愛し、責め憎む者のために祈れ」なのです。

そうなっていかないといけないのです。私たちすべては同じ神から生れ出た神の子であり、ということは、それは即ちすべて神であるということだからです。(神から生まれたのならみな神でしょう)

神が、それぞれの姿かたちをして現れて来ているにすぎないのですから(人にせよ、動物にせよです)そのすべてを愛さないといけないのです。

だから、他人を怒るとか憎むということは、それは即ち神を(そうして自分自身をも)怒り憎んでいるということになるのですから、そういう心ばかり出している人は不幸になるのです。

所詮、怒りや憎しみの心など、神の心とは正反対の心であり、神と逆の心ばかり出していてはそれは不幸の道を自ら進んいるのと同じだからです。

神の子である私たち人間は、神と同じ心を出さないと(愛と慈悲)幸せになれないようつくられているからです。

だからこの辺りの人たちなど不幸になる人が多いのです。怒りや憎しみの心ばかり出しているからです。

すべて責任転嫁(私のせいに)してです。

しかし(怒りや憎しみばかりでなく)そのような責任転嫁もまた大間違いな不幸な心であるのです。

よく考えてみてください。釈尊やキリストが責任転嫁などされたことがあるでしょうか?

釈尊が「あいつのせいで自分はこんなことになった」とか、キリストが「あいつのせいでこんなにひどい目に遭った」などといわれたことがあると思いますか。

キリストなど、自分が十字架にかけられても「ユダのせいでこうなった」などとはいわれなかったのです。

キリストは、十字架にかけられても、それでも人々を愛せられ、最後に「神よ、人々を見捨てたもうな。そのなすところを知らざればなり」(神よ、この者たちを見捨てないでください。この者たちはまだ自分のしていることが分からないのです)といわれ、昇天されたのです。

最後の最後まで、人々を愛し神に祈られたのです。(その祈られた人たちも自分を十字架にかけた人たちですよ。そういう人たちを含め、自分のことでなく人のことを神に祈って亡くなられたのです。どれほどの愛でしょう)これこそ神の子としての本当の正しい姿であり、このようなところを見習わないといけないのであり、キリストとこの辺りの人たちとではあまりに違いすぎませんか。

していることがです。(苦笑)

それこそ天と地ほど違います。

本当にそうなのです。キリストの思っていられることこそ天上界の考えであり、この辺りの人たちの考えは地獄界そのままの考えなのです。

だから、この辺りは悪いことばかり起きるのです。地獄界の考えそのままに支配されているからです。(怒りや憎しみ、責任転嫁などすべて地獄界の考えです)地獄界は(秀吉の件でもお分かりでしょうが)悪いことしか起きて来ないからです。

しかしそれは、他の地域も同じで(責任転嫁ばかりしている人が多いので)だから日本のどこもいいことが起きないのです。

日本のほとんどの人たちが地獄界そのままの考えでいるからです。

所詮は責任転嫁など大間違いな考えであり、地獄界の人々の考えでしかないのです。天上界に責任転嫁などという言葉はないからです。

自分の周りに悪いことが起きて来たのなら、それは自分のせい以外の何ものでもないと天上界の人々は(霊たちは)みな知っているからです。

しかし、地獄界の人たちは違います。すべて責任転嫁です。絶対に自分のせいにはしません。(この辺りの人たちとそっくりです。〔苦笑〕)だから悪いことばかり起きるのです。

そういう考え自体、間違っているからです。(だから激しい天変地変などを温暖化のせいにしていてはいけないということです。温暖化のせいではなく自分たちのせいであるからです。自分たちの心を直すなら、激しい天変地変はおさまるからです)

この辺りの災いだけではなく、この一週間くらいは関東では地震が続いているようですね。(この一週間で十五回とかテレビでいっていましたが)この地震が首都直下型地震を誘発する可能性もなくはないと(どっち?)専門家はいっていましたが、どちらにしても(多分近いうちに)起きるでしょうね。

そのような大きな地震はです。関東(東京)辺りにはです。

なぜって、みな心を変えようとしないからです。今の心ではすさまじい災いが関東など起きているのです。(東北もそうですが、今年の台風十五号、十九号のすさまじさをもうお忘れですか?)

では、そのような心のままではまた起きてくると思いませんか?同じような激しい災いがです。

そのような災いは(天罰は)今のままではいけないから起きているのであり、しかし、そういうことが起きていても現代の人たちは一切反省などせず、心を変えようとしません。

同じ心のままでいるのです。

では、同じような災いはまた起きてきます。そういう(間違った)心を直すため、そのような災いは起きているからです。

しかし、特に東京などはすさまじい雨が降っても大して被害は出ません。(十九号の時もそうでしたが。あれほどの台風が来てもです)インフラがしっかりしているからです。

では、そういう反省しない人たちが、反省しなければいけないほどの災いを起こす(被害を出す)にはどうしたらいいのですか?

もう大地震くらいしかないということです。東京の人たちを反省させるにはです。

東京などのインフラがしっかり整備されているところに大きな被害を出すには(反省させる機会を与えるには)大地震くらいしかないのです。

だから私はどちらにしても東京には大地震は起きるといっているのです。

もう関東には、あれほどのひどいことが起きているにもかかわらず(十五号や地球史上最大の十九号台風の連続直撃)そうしてすさまじい被害が出ているにもかかわらず、まったく(まったくですよね)心を変える人がいないからです。

では、同じレベルの災い(か、それ以上の災い)がまたすぐに起きるでしょう。その変わらない心を変えるため、そのような災いが起きているからです。

だから、最近は関東辺りはこれほど地震が多いのでしょう。その(近いうちに大地震を起こすという天上界からの)警告としてです。

だと思いますよ。だって、こちらとあまりに歩調があっているからです。

あっているでしょう。だから書いているではないですか。この一週間くらいは起き出した災いが凄いと。

だから皆、一斉にドン引きし出したとです。だから一週間前と今では全然違うとです。

だから大きな災いを(たくさんの天罰を)もう天上界は起こすことに決めたのでしょう。いつまでたっても、多くの人々が心を変えないからです。(何度もいいますが、昔の人ならもうとっくに心を入れ替えています)

だからこれだけ災いが起きて来たのです。(なお一層です)皆が責任転嫁ばかりして少しも反省しようとしないからです。

だから近いうちに東京辺りに大地震がくるといっているのです。この一連の流れを考えればそうとしか思えないからです。(それに東京など男女平等とか、LGBTとか盛んですよね。何せ日本の発信地ですもんね。そのような性や風俗の乱れは何か聖書に出てくるソドムとゴモラの町を想像させます。もう絶対にすごい〔滅ぼされるような〕ことが起きるでしょう)

でも、このブログを見ている人たちは絶対に考えを改めず、反省などしないんですよね。これだけすさまじいことが起きて来ているにもかかわらずです。(苦笑)

まあ、どれだけいっても分からない人たちは分かりません。では、気をつけてくださいと、それではいつ(激しい)災いが現れても仕方ないですよと、そういう警告だけはしておきます。

何をいってもきかない人たちばかりであるからです。

心を入れ替える気などサラサラない人たちばかりであるからです。

どちらにしても、怒りや憎しみ、そうして責任転嫁などし続けていてもよいことは起きてきません。

しかし、そのような心を変えるなら(最初に書きましたように愛や慈悲の心にです)すぐにでもよいことは起きてきます。

愛や慈悲の心をもう少し出しませんか?

そうすれば自分が一番救われるからです。

追伸…今日の朝などでも私が窓を開けて軽く掃除を始めたら、横からピィピィたくさんの小鳥の鳴き声がきこえてきました。

何だと思って、その鳴き声がする方を見るとメジロが(だと思いますが)四、五羽、横の家の木にとまり一斉に鳴いていました。

「何だお前らか、元気だな」などと声をかけるとよけい大きな声で鳴き出します。

しかし、あまり大きな声で鳴かれても迷惑です。(すぐに怒る人がいますから、この辺り。〔苦笑〕)「分かった分かった、お前らの元気なのは分かった。頑張れよ」と声をかけてまた掃除を始めましたが、本当に可愛いものです。

朝からずいぶん癒されたのですが、こういう愛あることが私にはしょっちゅう起こります。

愛を出せば愛が返ってきます。

愛を出しませんか?怒りや憎しみばかりを出していないでです。

2コメント

2 コメント to “責任転嫁の愚かさ”

  1. ウナッシー2019/12/10 at 6:35 AM

    昨日は眼科に行ってきました。診察を待っていると呼ばれた年配者が、私に聞こえるように看護師へ愚痴をこぼしました。「ついた順番で呼んでもらわないと困る」とです。私と優に一回りも越える年配者がです。2~3番違ったところで何の問題があるのかさっぱり見当もつきませんね。しかし、この方も時間の流れの中でそのようなことも有り得るだろうし、持っている愛を数多く出されて神の祝福があることを祈っておきました。私に聞こえるように言うことは・・?多分祈って欲しかったのかな等と心を巡らせました。

  2. gtskokor2019/12/10 at 11:02 AM

    いますよね。そういう細かい人はです。(こちらもそういう人が多数います。〔笑〕)
    ほんとそういう人たちは祈ってあげるしかありませんよね。

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