2月 05 2020
広い心
昨日は出ていくとたくさんの中学生と行きあいました。
いつもは、あの時間帯にはまだ中学生は帰って来ないはずですが(だから早めに家を出るのです。学生連中と行きあうとちょっかいばかりかけてくるからです)昨日はやけに早く帰って来ていたようです。試験か何かあったのでしょうか?
しかし、昨日の中学生たちはちょっかいをかけて来ませんでしたね。どうしたんでしょう。珍しいですね。
少しは分かりましたかね。私が正しいということがです。(笑)まあ、それはともかくです。
その中学生たちも親や他の大人たちにいってやるといいでしょう。このブログを見ているのなら布施してくれとです。
誰も大人たちが布施しないと、新型肺炎のことを祈ろうにも祈れないからです。誰も布施しないのに新型肺炎のことをどれだけ祈ったところで、その祈りはきかれないからです。
このままボーっとしていたら、必ず隣の中国ですさまじい勢いで広がっている新型肺炎は日本にも入って来て(もう入って来ていますが)蔓延することになります。(いま横浜港に停泊しているあのクルーズ船から、たくさんの〔十人〕感染者が見つかったようですね)
そうなれば当然、その中学生たちにも感染する子が出てきます。他人事ではないのです。自分のことでもあるのです。
だから、神を信じる中学生は(そういう中学生は救われますが)親や他の大人たちに強くいわないといけないのです。
私に寄付して祈ってもらえとです。そうすれば、その新型肺炎は日本に入って来ても被害は最低限ですむことになるからです。
しかし、このまま何もしなければどれだけ感染者が増えてくるか知れないのです。神の力がなければ中国からの新型肺炎の感染は止めることが出来ないからです。(蔓延しようがしまいがどちらにしても神には祈っておいた方がいいのです。その方が被害は少なくてすむからです)
もし、その新型肺炎が日本中に蔓延し、自分だけでなく家族にも広がるようなら、誰が重病になるか知れないのです。
家族の誰が重病になってもその家は不幸になるのです。そうなったら、まだこれからの中学生たちはどうするのでしょう。
家族から重病人(あるいは死人)が出るなら、当然、その中学生も同じように不幸になるのです。中学生や小学生など自分だけでどうにか出来る年でもないからです。
まだ、親兄弟がいないと(健康でいないと)幸せになれない年であるからです。
だから、全然する気のない(布施などです)大人たちの尻をあなたたちが叩いてやるといいのです。自分たちが新型肺炎にかかったらどうするのか、といってです。
しかし、自分のことはともかくです。(まあ、年取った大人はいいですよ。それほど先もないのだから)子供のことも考えたらどうでしょう。
そんなすさまじい感染力を持った新型肺炎など入って来て日本が混乱したら、子供も勉強どころではなくなります。
そうしたらみな不幸になるのです。その新型肺炎にかかっても不幸になるのだし、子供らが落ち着いて勉強できなくても不幸であるのだし、そういうことでまともに生活が出来なくなっても不幸であるからです。(それは中国の武漢など見れば分かるでしょう。学校や仕事どころではなくなり隣同士でケンカしてるんですよ。寄ってくるなとかなんとかいって)
そういう状況を考えたらです。いつまでも同じ態度を変えないのはどう考えてもまずいでしょう。もう自分だけのは話ではないからです。
そんな子供のことまで知るか、という人もこのブログを見ている人たちの中にはいるのでしょうが、しかし、自分が今一人で出来るからと、そういう子供のことなど一切考えないというのもあまりに狭量なのではないでしょうか。
だって、自分だって子供から大人になって来たのでしょう。いきなり大人で生まれてくる人などいないのですから。
その大人になるまでの間に、自分だって周りの人たちにずいぶんお世話になって来ているはずです。単にそのことを自分が忘れてしまっているだけでです。
私たちは赤ん坊で生まれてきて、そうして成長してくる過程で親や学校の先生はもちろん、周りの大人たちに見守られて、そうして段々成長してきたのです。
自分一人で勝手に大きくなって、そうして出来るようになった人など一人もいないのです。子供の時は子供の時で周りにお世話になり、そうして成長して大人になってもです。
自分一人で出来るようになっているわけではなく、日本という国があって、その日本の仕組みの中で周りに働くような場所があり、そこで金を稼いで、そうして段々一人で出来るようになっていったのです。
これもまた一足飛びで出来るようになったわけではありません。
いま現在稼いでいる人だってそうでしょう。自分一人で稼いでいると、その人は勝手に思っているのかもしれませんが、実際はそうではなく、周りのたくさんの人の協力があって、自分はいま稼げているのであり、自分一人だけで稼げているわけではないのです。
それはその人が一人で無人島などいって、そこでも同じように稼げるのか、ということを知るならそういうことはよく分るはずです。どれだけ出来る人であろうと、周りの協力がなければ自分一人では何も出来ないのです。
働く場所や協力者がいてはじめて自分は金を稼ぐことが出来るのです。
そうであるならです。自分の周りの人たちに感謝して思いやりを持つのは当たり前のことであるのではないでしょうか。
こういう場所をつくってくれたのは誰ですか?私たちより先にいた大人(今の年寄り)の人たちですよね。そうして、私たちを小さな時から見守ってくれて無事に成長させてくれたのも、そのような年寄りの人たちです。
では、年寄りを敬い感謝するのは当たり前のことであるのだし、自分たちも小さな時から見守られて成長してきたのですから、自分たちも小さな子供たちを見守って成長させてあげることも、これもまた当たり前のことなのではないでしょうか。
持ちつ持たれつというのがこの世の基本精神であるからです。自分一人だけで何もかも出来る人などいないからです。
では、先ほど書いた、子供のことなど知るか(そのような人は当然、子供だけではなく年寄りのことなども知るかと思うでしょうから)という人はあまりに狭量な考え方なのではないですか。
自分はこれまで散々周りにお世話になっているのにです。それをすべて忘れてしまい、いま現在の自分のことだけしか考えないのではです。
あまりに狭量でしょう。だから私はもっと心を広くしないといけないといっているのです。
そうしないと正しいことは分からないし、正しいことが分からないと不幸になるからです。だから、現在は不幸な人が増えたのです。
そんな狭量な人が多いからです。だから不幸になるのです。狭量では正しいことが分からないからです。
だからこの辺りの人たちもそうなのです。自分たちが悪いのがどうしても分からないのです。自分たちがあまりに狭量だからです。
違いますか?だってそうでしょう。
普通であるならです。自分たちが心が救われているものを書いている者に、感謝もしないで嫌がらせをしていて、それでいいことが起きてくると思いますか?ときけばです。
少し心が広い人なら、それは感謝もしないで嫌がらせをしている人が悪いとすぐに分かるはずですが、この辺りの人たちは、その当たり前のことが全然分からないのです。
その嫌がらせをやめて詫びを入れ、感謝して布施でもすれば、その悪いことはすぐに止まると、どれだけいってもです。
それをしようとしないのです。
自分たちが悪いことをしているという自覚が全然ないからです。だから、詫びを入れる意味も、感謝して布施するという意味も全然分からないのです。
こういう狭量な人たちは、自分たちの心が救われ(あるいは知らないことを教えられ)恩を受けているという気持ちもなければ、自分たちが嫌がらせをして悪いことをしているという自覚もないからです。
自分たちが恩を受けたわけでも悪いことをしているわけでもないのに、何で詫びを入れて感謝して布施などしないといけないのか、としか思わないのです。
自分たちが狭量であるため、そういう普通の悪いことが全然理解できないということです。
自分たちが悪いことをしているのだから、自分たちによいことが起きてくるわけがないのですが、それが全然分からない。
自分たちがあまりに狭量であるからです。
だから、心を広くしないといけないと書いているのですが、しかし、このくらいの考えはです。(このくらいの心の広さはです)少し前であるなら(昭和の時代以前であるなら)誰でも持っていたことなのです。
年寄りを敬い、子供を大切にし、そうして自分の行いを考える、などということはです。
こんなこと昭和の時代であったのなら、誰でも知っていたことであり、そんなことは人として当然のやるべき当たり前の行為であったのです。
それが今では(平成の時代以降は)こういうことをどれだけいっても分からなくなった、だから、これだけの災いが起き出したのです。
あまりに多くの人々が狭量になり、自分のことしか考えなくなっていったからです。だから、これだけひどい災いがこれだけたくさん起き出しているのです。
そのような狭量な心が間違っているからです。(そのような大間違いを気づかせるための天罰が〔それが災いとなって〕今はたくさん現れているということです)
もう少し広い心になりませんか。昭和以前の時代の心をもう少し取り戻しませんか。
そうすれば、これだけ起きている(起き続けている)災いは止まり、もっと幸せなことがたくさん起きてくるからです。
・
追伸…だから、狭量な人たちにいっておきます。もう少し広い心を持ちましょう、とです。
今日も朝からやっていますが(どこかの会社などです)もうこの近所など私が歩いていると、そういう(自分たちに悪いことばかり起き、それに腹を立てて私に八つ当たりしようと出てきている)人がウロウロしています。
しかし、そのような人たちは自分たちのしていることが間違っているのです。だから自分たちに悪いことが起きているのです。
その自覚がないだけです。自分たちがあまりに狭量であるからです。
だから、そういう人は早く自分の狭量さに(間違いに)気づいて反省し、そうしてあとはウナッシーさんのマネをすればいいのです。
そうすれば幸せになれるからです。
ウナッシーさんは、このブログが正しいと思って実践したらすぐに奇跡が起きました。
それで私のいうことをきいて、すぐに感謝して布施したらまた奇跡が起きたのです。そうして自分で気づいて私に毎月布施をするようになりました。
そうしたらドンドン奇跡が起きて来たのです。
そのウナッシーさんのマネをすればウナッシーさんと同じこと(奇跡)が起きてきます。だから、災いしか起きていない人たちは、ウナッシーさんのマネをするといいでしょう。
そうすれば(災いは止まり)奇跡が起き出すからです。
学ぶは真似るから来ています。くだらない意地などいつまでも張っていないで、自分の間違いに自分で気づいて、早く奇跡が起きている人のマネをしてください。
そうすれば早く幸せになれるからです。
しかし、いつまでも自分の間違いに(自分が悪いのに)気づかなければ災いはまだこれからも続きます。
自分で気づいて自分で直す、それ以外で幸せになる道はないのです。



人目の訪問者です。
