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2月 07 2020

これまでの信仰とこれからの信仰

11:03 AM ブログ

しかし、ニュースでやっていましたが、京都はもうガラガラだそうですね。あれだけ観光客が多すぎて地元住民が大迷惑していたあの京都がです。

もちろん新型肺炎の影響でです。

観光客が多ければ多いで住民が迷惑し、少なければ少ないで観光業界が迷惑し、なかなか難しいものですが、しかし、普通であればです。

こういう非常の時にこそ、京都などは多くの人が集まってこなければいけないのではないですか。

それなのに、こういう時になったら京都も他の観光地と同様に人が少なくなるというのですから、ずいぶん情けない話です。

そうではないでしょうか。だって、京都などは立派なお寺や神社が多いのです。

では、こんな新型肺炎などが日本はもとより世界中に流行り出したこういう時にこそ、そのような寺や神社で、その流行病(はやりやまい)を鎮める祈りをしてこそ(そうしてちゃんと鎮めてこそ)本来のお寺や神社の意味があるはずです。

それなのに、そういうことがまるで出来ないでは、その寺や神社はただの観光地と何も変わらないではないですか。だから私は情けないといっているのです。

それではお寺や神社のある意味がないからです。

だから、こういう時に馬脚があらわれるのです。間違った信仰はです。こういう時に何も出来ないからです。

寺や神社の坊さんや神主たちがです。こういう時に皆と同じようにオロオロして恐ろしい病気が過ぎ去るの待っていてどうするのでしょう。

現在の坊さんや神主たちは、平時に祈りやお祓いなどして、さもそれで人を救ったような顔をして布施をいただいているようですが、このような非常時こそ、自分たちの真価が問われるのです。

このような時に、その流行病をすぐに鎮めてこそ、本来の自分たちの役割が果たせるはずであるからです。

しかし、それをしないで(こういう時に他の人たちと同じようにオロオロとしか出来ないで)平時に祈りやお祓いしかしないでは、いる意味がありません。

平時には特別そんなことをしなくても平和に暮らしていけるからです。しかし、このような大きな災いが現れた時にこそ、その災いから身を守る祈りやお祓いが必要であるからです。

しかし、それが出来ないというのであればです。それはその信仰をしている意味がないのであって、だからこういう時に(本当の恐ろしい災いが現れた時に)馬脚があらわれるといっているのです。

間違った信仰はです。

間違った信仰ではこのような流行病を鎮めることは出来ないからです。偽の信仰をいくらしたところで神から守られることはないからです。

だから、このような(間違った)信仰をしている人たちが仮に寺や神社に集まって、皆でこの流行病を鎮めましょう、と祈ったところでです。

その場所に、それこそ新型肺炎が発生して、そこで祈っていた人たちがみな感染するくらいが関の山なのです。

間違った信仰で間違った祈りをいくらしていたところで、神は守ってはくれないし、その祈りが神にきかれることもないからです。

逆に災いが起きてくるくらいにしかならないからです。間違った信仰などいくら続けていても神の怒りしか買わないからです。

しかし、正しい信仰で正しい祈りをするのなら(神も喜ばれ)神からも守られ、その祈りはきかれるのです。なぜなら、正し信仰の正しい祈りは必ず奇跡が現れてくるからです。

その奇跡が何らかの形となって多くの人々を救っていくのです。

だから、その信仰が正しいかどうかは平時から分かるのです。正しい信仰で正しい祈りをするのなら、平時であっても何かそれと分かる奇跡が現れてくるからです。

しかし、間違った信仰の間違った祈りでは、平時であろうが有事であろうが何も起きないからです。(ただ、気分がスカッとしたとか、心が軽くなったとか、いっているだけでです。しかし、それはただの自己満足、自己催眠のようなもので、そういう祈りのようなことをしたことによって勝手に自分で満足しているだけの話なのです。そのように思い込んでいるだけの話なのです。実際は何も変わらず何も起きていないのです。間違った祈りをどれだけしようが意味がないからです)

そのような祈りの差が、その信仰が正しいか正しくないかを教えているのです。

もうこれまでの信仰では救われない(救われていない)のは明白であり、それはこのような時代になれば分かるのです。これまでの信仰がいかに間違っていたのか、何の力もなかったのかということがです。

こういう(災いばかりが現れてくる)時代になれば必然のごとく正しい信仰が現れてくるからです。

そうしてその正しい信仰は、皆が驚くほどの(怒るほどの…この辺りの人たちはみな怒っていますから)奇跡を現すのです。

その奇跡が現れてこその信仰であるからです。

だから、これだけ災いが起き出した時代に本当の正しい信仰をしないくらい愚かな話もないのです。

これまでのような間違った信仰を続け(まったく奇跡を現す力のない信仰を続け)災いが現れているようでは信仰をしている意味がないからです。それでは幸せにはなれないからです。

だから多くの人々がドンドン不幸になっているのです。もう時代が変わっているのに、相も変わらず間違った信仰をし続けているからです。

しかしそれではもういつ不幸が襲うか知れないのです。何の奇跡を現す力もない信仰など続けていても、災いを防ぐことは出来ないからです。

奇跡を現す力のある信仰を続けてこそ災いを防ぐことが出来るからです。(奇跡を現す力のある信仰でなければ災いを防ぐ力も現れて来ないということです)

これまでのような信仰をいくらしていたところで、もう何もならないということは、いま現在の混乱を知るならばそれは誰でも分かるはずです。

奇跡が起きているのは私が説くこの正法神理だけなのです。(それもこのブログを見ている人たちであるならもうお分かりであると思います)

この教えを信じ行いませんか?そうすれば災いは避け奇跡が現れてくるからです。

この教えを信じ行ってください。

そうしない限り救われる道はもうないからです。

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