>>ブログトップへ

11月 25 2011

鳥の不思議②

10:47 AM ブログ

また、震度五の地震が起きたようです。(今度は北海道で)最近多いですね震度五の地震が…これは立川のオバちゃんだけのせいでもなさそうです。(私の存在を知っているにもかかわらず)多くの人が私のことを無視しています。そろそろまずいことが起きるのではないか…と危惧しています。

それは次回に書くとして、本題に戻りましょう。

数ヶ月前のことです。

その日も私は白鳥公園にいました。その時も私の周りに何羽かのスズメが寄ってきていたのですが、一羽のスズメだけが妙に近くに来ていて、私のすぐ足元まで来て「ピョピョ」鳴いていました。見るとまだ生まれて間もなさそうな子スズメのようでした。

あまりに近くにいるものですから踏んづけそうです。それで私が「おまえ近すぎる踏んづけるぞ」と足でもっとむこうに行けと、その子スズメに蹴るような素振りを見せると、その子スズメは少し後ろに後ずさりしました。その時です、その子スズメが片目をつぶっているのが分かりました。病気か怪我かは分かりませんが、どうもその子スズメは片方の目が明かないようでした。

見ていて何かかわいそうになって、少しこの子スズメを祈ってやろうと思い、右の手のひらをその子スズメの方に向け、その手のひらから神の光が出ていることを想念し「神よ、このスズメに光をお与えください、安らぎをお与えください、このスズメの目に光をお与えください、安らぎをお与えください。このスズメの目の肉体細胞よ、あなたたちは本来の機能を回復しなさい」と祈りました。

すると、そう祈っている最中にこの子スズメが、私の方に嬉しそうにピョンピョン跳んで近づいてきたのです。そればかりではありません、私が祈り始めると周りにいたスズメたちも急にざわつきはじめ私の方に少し寄ってきました。スズメたちは気が小さいので、少し私が変わったそぶりをするだけで、逃げてしまうのですが、私が右手を上げて、それを子スズメの方にかざしているにもかかわらず、それをされている子スズメも、その周りにいるスズメたちも嬉しそうに私に近寄ってくるのです。(普通なら手を上げた途端に逃げるはずです)

その時、私は「アレ、祈ってるのが分かるのかな」と思ったのですが、どうも今回のこのスズメたちの行動を見ていると祈るのが分かるようで、しかも、祈っている意味も分かっているようでした。

不思議な話ですが、スズメの生態を調べた人はたくさんいますが、では、スズメの心の中を調べた人はいるのでしょうか?心の中を調べる機械などないので、誰もスズメの心の中までは調べた人はいないと思います。

であるならば、スズメたちの心の中を私たちは誰も知らないのです。

もしかすると、そこらを飛び回っている鳥たちは、私たちの心の中を知っているのかもしれません。そうして、それだけではなく鳥たちは、私たち以上に神の存在を理解しているのではないでしょうか。(だから神に祈ると、その祈られた鳥たちは必要以上に喜んだのです)

追伸…ついでに書いておきますが、その片目をつぶっていたスズメですが、その後何度か私は白鳥公園に行き、多くのスズメを見ていますが、一羽も片目をつぶっているスズメを見ていません。私がその片目のスズメを見かけていないだけなのか、あるいは私の祈りで、そのスズメの目が治ってしまったのかもしれませんが、私はこのようなことを前にもしたことがあります。

さすがに人にはありませんが、前に私が住んでいたマンションでの出来事です。

そのマンションの近くには何匹かの野良猫がいました。私がマンションから出入りする時には、近くに猫がウロウロしていたのですが、その猫の中の一匹が子猫を数匹生みました。親猫はいつもその子猫たちと一緒にいたのですが、その子猫たちの中に私が近くを通っても逃げない猫が一匹いました。他の猫は逃げるのに何でこの猫逃げないのかな、と思い近づくと、その子猫は片目が膿んでいて開かず、もう一方の目も半分くらいは明いていましたが、その明いている片方の目も回りに膿がついていて、どうもこの子猫、病気であまり目がよく見えないようでした。

「それでこいつだけ逃げないのか」と納得し、その猫の頭をなでて仕事に行ったのですが、ある日のことです。

その子猫が一匹で「二ャー二ャー」鳴いていました。どうしたのかと思い近づくと、その猫の両目が膿んで目が明けなくなっていました。この猫の病気が進行し完全に目が見えなくなっているようでした。

「もう両目が完全にふさがれてしまったな…」目が見えなくなったのでは、この猫も長くは生きられないだろうな、と思った私は、その猫がかわいそうになり、その場でその猫の目に手を当て祈りました。

「神よ、この猫に光をお与えください、安らぎをお与えください。この猫の目に光をお与えください、安らぎをお与えください。神よ、この猫がもう寿命が来ていて死ななければならないのでしたら、この目が潰れたままでも仕方ないと思います。しかし、もしまだ、この猫がこの世で生きる使命が残っているのであれば、この目をお治しください、この目を癒してください。神よ、この猫の目に光をお与えください、安らぎをお与えください、この猫の目の肉体細胞よ、あなたたちは本来の機能を回復しなさい、自分たちの使命を果たしなさい」

そう祈り私は部屋に戻ったのですが、翌日のことです。(日曜日でしたので)私は昼ごろ部屋を出て昼飯を食べに行こうとしてマンションの下まで下りました。すると昨日祈った子猫が近くで寝ていたのですが、私が横を通ってもピクリともしません。

「アレ、昨日あんな祈りをしたから死んだんじゃないか?」と少し不安になり、寝ている猫のそばまで行き、頭を指でこずくと、その子猫が頭を上げて私をギロッとにらんで「二ャー」と一度鳴いて、また寝てしまいました。

「何だ、生きてるじゃん」と思い、安心して行こうとしたのですが「ン?」私はその時、妙な違和感を感じたのです。

それでもう一度戻り、その子猫の頭を指でこずくと、また頭を上げ、今度は片足を私に向けひっかくようなそぶりを見せ「二ャー」とまた鳴いて、私をギロッとにらんでいます。私はその時「うそ」と思いました。その猫の両目がきれいに明いているのです。

「何で両目明けてんだお前」私は思わずその猫に話しかけてしまいましたが、猫が理由を言うわけありません。(笑)私が祈ったのは昨日の夕方でした。まさか、それから誰かが、その猫を獣医に連れて行って目を治した、ということも考えられなくはありませんが、家の飼い猫ならともかく野良猫にそんなことをする人いるでしょうか?それにこの猫、片方の目は生まれた時から膿んで潰れていて、仮に誰かが獣医に連れて行き治療したとしても、すぐ治るような病気でもありません。

「何で目が治ってんだろ?」その時は不思議でしたが、私の祈りで様々なことが起きている今思えば、あるいは、私の祈りを天がきいてくれて、あの子猫の目が治ったのかも知れないと思えます。

正しい祈りは天に通じ様々な奇跡を起こします。キリストや釈尊は多くの癒しを行っているのですから、猫やスズメの目を癒す奇跡が起きても決して不思議ではありません。法を知っているならそのような奇跡も行えるのでしょう。

この教えを多くの人がぜひ勉強していただきたいと思っています。

(立川のオバちゃんですが、祈っても何一つ起きないようです。子供の悪口のようなメールがいくつもきました。〔苦笑〕そしていつものように私の祈りを否定しています。〔あなたが祈ったから何か起きたのではないと〕この人の送ってくるメールを見ていて、何で私にこんなくだらないメールを何度も送ってきているのか、理由が分かりました。結局この人ひがんでいるのです。この人これまでも何度も祈ったんだと思います。しかし、自分が祈っても何一つ起きないのに、私が祈って次々に現象が起きるものですから、それが悔しくて仕方がないようです。その、ひがみと妬みの心で何度もくだらないメールを私に送ってくるようです。しかし、祈って何も起きないのは自分の心が悪いからであり、それは自分の責任であって、心の差がそのまま現れているに過ぎないのですが、それを自分は認めたくないものですから、私の祈りがきかれているわけではないと、私の祈りを必要以上に否定しているのです。二十年以上も法を勉強していて、祈って何一つ起きないとは哀れと言うしかありませんが、この人を見ていて笑うどころか、何かかわいそうになりました。しかし、自分の心が悪いのに、いくら人をひがんでもそれで自分の心がよくなるわけではありません。早く自分の間違いに気づいてほしいものです)

0コメント

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。