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4月 26 2020

天罰は天罰

10:55 AM ブログ

またウナッシーさんより布施をいただきました。毎月毎月ありがとうございます。(他の人に皮肉を込めて。〔苦笑〕)

すれば止まるししなけりゃ止まらない。実にシンプルです。

どこかの会社など怒りまくっていますが(今日も日曜日だというのに朝からガタガタやっていました。八つ当たりばかりです。バカじゃないでしょうか)しかし、神理をきいているにもかかわらず、無視し逆らい、感謝の布施もしないでは止まらないのです。

その災いは(天罰は)です。

まあ、分かるまで書きますが、神理をきいていて、布施しなかった(感謝しなかった)などという人は古今東西ほんの一部の人しかいません。

残念ではありますが、そのような不遜な人たちは必ず罰が当たったのです。神理と知っていながら無視し逆らうなど、神を無視し逆らうことと同じであるからです。

だからこれまでも当たっているのです。罰はです。そのような不遜な態度を取る人にはです。

それを現代の人たちは理解していない(知らない)だけなのです。現代の人たちは罰など当たらないと思っているからです。

しかし、神理に不遜な態度を取れば罰は当たるのです。神理に宿る神の力は永遠不変であるからです。

その通りのことが現代でも起きているではないですか。それなのにまだ分からないんでしょうか。それが天罰だということがです。

それが(その無理解が)これほど悲惨な結果を現しているといえるのですが、しかし、現代の人たちといえどもです。もう信じてはどうでしょう。天罰をです。

これだけ多くの天罰が日本には(特にこの辺りには)現れているからです。

「悪いことをすると罰が当たる」それは悪いことをさせないためのただの方便であり、実際に罰など当たるわけがないと、そんなのは迷信であると、そう思い込んでいる人が未だ多いようですが、しかし、それは違うのです。

昔も今も、悪いことをする人には確実に罰は当たるのです。

そうして昔から多くの人に多くの罰は当たってきたのです。それを現代の人たちは単に理解していないだけなのです。

そのような多くの天罰を、現代の人たちは、偶然とか、たまたまとか、そのようにしか考えて来なかったからです。

別々にしか考えなかったのです。それは、たまたま悪いことをしたことと悪いことが重なっただけで、それはそれ、これはこれ、というようにしかです。

だから分からないのです。いつまでたってもです。そのようなことを関連して考えず、皆、別々に考えて来たからです。

例えば、本当は天罰で病気をしているのに、悪いことをしたことと病気はまったく別の話である、というようにです。

だから多くの人が、悪いことをしても天罰など当たらないと思い込んでいるようですが、しかし、もうそういう考えは古いのです。

明らかにその考えは間違いであると、それと分る現象が次々に現れているからです。

そうではないでしょうか。だって、これだけ分かりやすく私の周りには災いが現れているのです。さすがにもう認めるしかないでしょう。

私の周りに起きていることはどう考えても天罰であるとです。

そうでなければ説明がつかないことがたくさん起きているからです。

この辺りなど、これだけ私に嫌がらせをしてくる人に災いが起きているのです。

それもすぐにです。私に嫌がらせをして一ヶ月も二ヶ月もしてから何か起きた、というのではないのです。私に嫌がらせしてすぐに(一日、二日のうちに)何か悪いことが起きるのです。

そういう人がたくさんいるのです。

こういうことを天罰といわずして何というのですか?そうでなければ起きないでしょう。これだけ多くの災いが(例えば病気などの)私に嫌がらせをしている人たちにです。

それは違うと、それはお前が人を病気にしているだけだといくらいわれてもです。

そんなに多くの人を私が病気にしているのなら、私も病気になってしまいます。

因果応報、善因善果、悪因悪果という法則は確実に作用するからです。特別それは私にだけではなく、すべての人にです。

だから、もし私が人を故意に病気にしているのなら、私自身も病気になるはずです。

しかし、私は病気になってはいませんし、病気になるどころか、私には様々な鳥やら魚やら喜んで寄って来て愛ある態度を取ってくれます。

私が人を病気にしているのなら、まさか愛の心で人を病気にする(不幸にする)などということはないでしょう。

もし私がそういう心を持っているのなら(人を病気にしてやろうなどというです)当然、怒りや憎しみの心でそうするはずです。

では、怒りや憎しみが私にはたくさん返って来ないといけないはずですが、しかし、私に怒りや憎しみの心を放ってくるのは逆恨みしている人間だけで、他の動物たちはことごとく愛の心で私に寄ってくるのです。

私には怒りや憎しみの心よりもはるかに愛の心が返ってくることの方が多いのです。(もう道など歩いていると、しょっちゅう鳥が寄って来ますから)

なぜでしょうか?何で怒りや憎しみの心しか出していない者に、そんなにたくさんの愛の心が返ってくるのでしょうか?

それは私がそれだけたくさん愛を出しているからです。だからたくさんの愛が返ってくるのです。

だから、私の周りでは確かに多くの人が病気になっているようですが、それも私が怒りや憎しみの心でそうしているわけではないということです。

というより、そういう人たちは、私の周りで勝手に腹を立てて勝手に病気なっているのです。はっきりいえば私には全然関係ないことであるんですけどね。

そういう人たちが私の周りで勝手に何か(悪いことを)しているだけであるからです。

つまり、そういう人たちのやることを私には止めることが出来ないのですから、そういう人たちに何か起きても知らないということです。

だって、自分が勝手に間違ったことをして、自分が勝手に天罰を受けているだけであるからです。そういう人たちはです。

だから私には何も悪いことが起きて来ないのです。私がそういう人たちを(嫌がらせをしてくる人たちを)どうにかしているわけではないからです。

私は、そのような人たちに辻説法をしたり、祈ったりもしますが、その祈りや辻説法は、そういう人たちが病気になれというような怒りや憎しみの心からするのではなく、このような(哀れな)人たちを正しくお導きくださいという愛の心からしていることであるからです。

だから私には何も悪いことが起きないのです。

私の周りで天罰を食らっている人たちとは違い、私は怒りや憎しみからそのようなことをしているわけではないからです。

愛の心からそのような行いをしているだけであるからです。

それでは天罰を食らいようがないわけです。自分の心も行いも間違っていないのですから、悪いことが自分に返ってくるわけがないからです。

私と私に嫌がらせをしてくる人たちとでは、残念ではありますが、それだけ心も行いも違うのです。それでは起きてくることも当然違ってくるでしょう。

だから、私に嫌がらせをしてくる人たちもです。愛の心で嫌がらせをするなら悪いことは自分に返って来ないのでしょうが(笑)そんな愛の心で嫌がらせを(間違ったことを)する人などいないでしょう。

だから不幸になるのです。自分の心と行いが間違っているからです。

まあ、私でも悪いことをしていることがゼロではありませんから、その至らない分は確実に私にも悪いことは返ってきますが、そういうことを天罰というのであり、正確にいうなら、その天罰もです。

自分の心と行いが自分自身に返って来たその結果にすぎないということです。

つまり、すべて自分の責任であるということです。

だから、その天罰を人のせいにするのはおかしいことですし、そういうことを責任転嫁すればするだけ、また自分の罪が増えていくということです。

そのような行いは(責任転嫁は)間違っているからです。

だから私に対する嫌がらせも、そうして神理をきいているのに感謝もせず布施もしないということも、間違いなのですが(だから天罰の対象となるのですが)それでもまだやり続けますか?

そのような間違った行いをです。

それは個人の自由ですが、しかし、そんな間違った行いをし続けていれば確実に不幸になっていきます。

それをどれだけ人のせいにしていても、不幸になるのは自分自身なのです。(ほんとドンドン不幸になっていきますよ。今のような行いを続けていてはです)

天罰を素直に天罰と認め、反省されませんか。これまでの自分の行いをです。

それをすれば救われますし、またそれをしない限りです。残念ではありますが、絶対に救われることはないのです。

こういうことが分かるのはこのブログ(神理)だけです。

それを素直に感謝され布施くらいされませんか。そういう人は確実に救われていくからです。

追伸…中日新聞に名古屋の河村市長のインタビューが載っているんですが、それによると河村市長は残り任期があと一年で、次の市長選に出るかどうか迷っていると(国政復帰もしたくて)そのようなことが書いてありました。

なんか、前回の市長選の前もそんなこといわれていたようですが(笑)どうですか、国政に復帰して総理を目指す前に(河村市長はよくそれをいわれていますから。総理を目指す男とです。〔笑〕)次は愛知県知事を目指されたらです。

だから、次の市長選には出馬され、知事選になったら市長を辞職されて今度は愛知県知事を目指されるのです。

だって、市長の次は知事であり、そうして国政に復帰されて総理を目指された方が順番としてはいいからです。

だからそういっているのです。名古屋も大阪の様にやってはどうですかとです。

そこは大阪維新の会のマネをされ、減税日本で名古屋市長と愛知県知事の両方を占めるわけです。

そうして名古屋、愛知を統一して、名古屋、愛知から日本の統一も目指すわけです。

どうですか。なかなか良い案でしょう。信長や秀吉に倣うわけですから。(笑)

もう大村知事には、あの愛知トリエンナーレの件でピリッと来ています。(もうびっくりしました。あれだけ大村知事が左翼だったとは)いつまでもあまりに左翼の方が知事などしていると愛知県に何が起きるか知れません。

だからもう知事は代わってもらった方がいいのです。大村知事ではあまりに危ういからです。

大村知事に代わることが出来るのは河村市長しかいません。

ぜひご一考ください。その時は私も全力で応援するからです。(笑)

そうして減税を日本中に広めましょう。現在の日本の民は(新型肺炎だけではなく)増税に苦しんでいるからです。

あれ、そういえばです。消費税減税の方はどうなっているのでしょうか?

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