12月 13 2011
パワースポット
パワースポットといえば神社などが有名ですが、しかし、そういわれている神社も、その不思議なパワーはほとんどが地獄霊のそれであり、本物の神の光が注がれている場所などそうはありません。
パワースポットの一つであり、信仰の山としても有名な富士山などで、たまに“菩薩を観た”という修行者がいますが、あの富士山で観る菩薩は皆地獄霊(動物霊)が変化したものである、と高橋先生は言われていました。(それだけ今の富士山の霊域は悪いということです)
あの有名な霊場恐山も地獄霊の巣と言った方がいいでしょう。(現在の日本に霊域のいいところなどほとんどありません)
それはそうでしょう、本当の神の教えが全然拡がっていないのですから、日本の霊域がよくなるはずありません。近年、異常現象が連続して起きていることでも、その事実が分かります。
そこにいくと、今私がよく行く“白鳥公園”など神の光が注がれ始めている、といっても過言ではないでしょう。そうでなければ、前回書きましたような、異常な数の鳥など集まってくるはずがありません。
私がよく行くということは、当然、私は神の力を借りなければ不思議な現象が起きないわけだし、その不思議な現象が私には起きているのですから、不思議な現象が起きているということは、それはすなわち私には神の光が注がれているということになるわけだし、その神の光が降り注がれている、私がよく行くということになれば、そこに神の光が降り注ぎ始めても何も不思議ではありません。(むしろ当然です。だから鳥たちも集まるのです)
だからおかしなパワースポットに行くくらいなら、白鳥公園に行って、天に向かい(白鳥公園に神殿も何もありませんので)祈った方がよほど効果があるということになります。(笑)しかし、本当の信仰とはそういうもので、この地球そのものが、すでに神につくられた神殿でありますので、特別なものをつくらなくても、その場その場で祈れば、その祈りは天に伝わるのです。(ただその祈りを天がきいてくれるかどうかは別ですが)
しかし、仮に白鳥公園に神の光が降り注いでいたとしても、残念ではありますが、その光をまともに受けられる人はいないでしょう。それは現在の白鳥公園に来ている誰一人、神の方に心を向けていないからです。
白鳥公園に、毎日マラソンや散歩などに来る爺さんや婆さんたちがいますが(その人たちの何人かは私に鳥がよく集まってくることを知っています)その毎日来ている、その人たちの誰にも、スズメなどが寄っていかない、ということでもその事実が分かります。(エサをやっている人は別ですが)
ある爺さんなど、私が座っていた場所にわざわざ腰掛け、その場所で一時間も二時間も座っていたことがありますが、一羽もスズメが寄ってきませんでした。(私はそれを少しはなれた場所から見ていたことがあります)最初なんで私が座ったところに、この爺さんよく腰掛けるのだろうと不思議でしたが、そのうちに意味が分かりました。私がその場所に座ると、しばらくするとスズメがたくさん寄ってくるので、自分もその場所に座っていればスズメが寄ってくるのではないか、と思い座っていたようです。
しかし、結局その爺さんにスズメが寄ってくることはありませんでした。(よくその爺さんは他の場所にも座って、そこでジッと座り続けていることがありますが、その爺さんの周りにスズメがいるのを見たことがありません。しかし、私は他の場所に座ってもスズメが寄ってきます)
結局、心が違うからです。その爺さんは法を知りません。ということは心をきれいにする方法を知らないので、心は汚れたままで真っ黒でしょう。それではスズメは寄ってきません。少しでも心をきれいにしなければ、臆病なスズメは寄っては来ないのです。(この爺さんなど老い先短いので、このような心のままで死ねば、まず地獄行きです。本当の神の教えを知り心を正さないと、ほとんどの人が死ねば地獄に堕ちるのです)
そこがどれほど霊域のよいところでも、本人の心が汚れていては、その恩恵を受けることはできません。
心をきれいにすることがいかに大事なことなのか、このような現象一つとってもそれは分かります。
パワースポットなどと話題になり、そんな地獄のパワーが充満しているところへ行くよりも、自分の心さえ正せば、本当のパワースポットは自分の周りに出来上がるのです。
(立川のオバちゃん、私を相手にしないだなんだと書いてくる割には、もう私のブログは読まないとは一切書いてきません。〔やはり相当私のブログから法を学んでいるようです〕しかし、我の強い心のままでは、法を心で理解することはできませんし、心が変わらなければ、どれだけ法を知ろうと〔それは頭で知ったに過ぎないのですから〕心は向上しません。だいたいこの人たちのグループ、自らモーゼ系と言っていながら、一方で現象はまったく起きていないといっているのです。モーゼ系なら、現象を出すのが得意な人たちばかりのはずですから、私などより現象が起きていなければいけませんし、現象が起きないと言うのであれば、それは、まったく法を理解していないということが、そのまま現れていることになるのですが、それが分からないのでしょうか?〔私のように法を知っている者からすると、モーゼ系と言いながら、胸を張って何も現象は起きていないと言っているのですから“バカじゃないか”と思ってしまいますが…〕モーゼ系の人たちが現象は起きないと、よく堂々と言えますね…恥ずかしくありませんか?〔何も恥ずかしいことはない、と言われるのであれば本当に法を理解していません〕モーゼも天上界で泣かれていると思います。あなたたちが、私のブログを読みたいのなら読めばいいのですが、心を変えなければまったく意味がありません。この“モーゼ系”の人たち早くそれに気づいてほしいものです)



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