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12月 15 2011

法を説いてお金を取ることの意味

10:53 AM ブログ

モーゼ系(モーゼに縁が深いと言う意味です)の人たちは、私をもう相手にしないそうですがブログは読まれるようです。(何か矛盾していますが、笑)多分、相手にしないと書いたのではなく、自分たちの間違いが分かりました、と書いて、メールしてきているつもりなのでしょうが、それに初めて気づいた動揺から書き間違えているようです。(笑)

この人たち、いろいろ分からないことが多いようで、私に、いちゃもんのような質問をされていますが(文句ではなく質問されているんですよね、笑)仕方がないので一つそれに答えておきましょう。(私は新規開拓だけでなく、高橋先生の〔ダメ?〕弟子たちも指導しなければなりません。まったく大変ですが仕方がありませんね、高橋先生の教えを継いでいるのですから)

立川のオバちゃんがやたら私に、法を出しにして、お金を取ることが悪い、お金を取ることが悪い、と言い続けていますので、法を説いているのに、お金を取ることがいいのか、悪いのか、布施はなぜしなければならないのか、その意味を書いておきたいと思います。

法を説いているにもかかわらず、なぜ、お金を取る(寄付してください)と言うことが悪いことなのでしょうか?

この論法でいくと、釈尊もキリストも悪いことをしていたということになり、高橋先生も園頭先生も布施(寄付)は受け取られていましたので、このような方々すべて悪いということになりますが、そのような解釈でよろしいのでしょうか?(もちろん、あなた方が言っているモーゼもです。この方々すべてが、仕事をしながら法を説かれたわけではありませんので)

いいわけありませんね、園頭先生はともかく、立川のオバちゃんたちは、高橋先生や釈尊やキリストの教えを学んでいると称しているのですから、この方々のやられたこと、説かれたことは絶対に間違いはないはずです。(すると、もうこの時点で矛盾していますが、どうされるのでしょうか?)

高橋先生が「私は宗教などで飯を食べません」と言われたのは、今生が、神の教えを説くと言っていながら、神の名を利用して金儲けをする人があまりに多いということが、すでに分かっていられたから、敢えてそのような立場をとって法を説かれたのです。

決して好きでそのような立場を取られたわけではありません。(法を説くこと一本で行きたかったと思いますよ、その方が法はより多くの人に伝わるのであるし、過去世ではすべて悟りを開かれてからは、そのようにされていたはずですから)その証拠に高橋先生は布施を強要されたこともありませんが、布施を拒まれたこともありません。(布施は感謝して受け取っていられたはずです)

法を多くの人に伝える使命を持たれた方は、法を一としなければなりません。(釈尊にしてもキリストにしても、そうされていました)法を伝える使命を持つ者は法を説くことが仕事なのです。それは普通の人が仕事をしていることと同じです。であるならば、仕事をしているのですから、その報酬をもらうのは当たり前のことではないでしょうか。(しかも法を説くという仕事は神の心を説くのですから、神に対する一番の仕事です。つまり、この世で一番尊い仕事なのです)

仕事をしていれば売り先も仕入先もあります。それはどのように形でそうなるにせよ、それはすべて縁が生じているからそうなっているのであり、であるならば、私も縁がある人から法を伝えていき、その人たちにお気持ちだけでいいですから、代金をお支払いください、ということがなぜいけないのでしょうか?法を知るということは、仕事でこの世の利益を得ること以上に、大事なことなのではないでしょうか。

あなたたちは物を作ったり、売買することだけが仕事であり、それ以外のことでお金をもらうのは間違いであると、ただ単純にそう思っているだけで、木を見て森を見ない意見に過ぎないのです。(汗水たらして働くことだけが仕事ではありません。〔もちろんそれはそれで大事なことですが〕法を説くことは仕事ではない、と思っている人も多いかもしれませんが、釈尊やキリストはかすみを食べて生活していたわけではありません。世の中で一番尊い〔人の心を救うという〕仕事をしてその報酬をもらい生活していられたのです。何か心を救うというと形がないので、あまり価値がないように思われる人もいるかもしれませんが、例えば、人はこの世限りと思っていた人があの世もあることを知れば、それだけで死の恐怖は和らぎます。自分や自分の身内が理不尽な目に遭い、泣き寝入りしなければならなくなったとしても、理不尽なことをした人も後で必ず裁かれると知れば、心は幾分軽くなるでしょう。心が救われるということは、どんな物を作ったり、売買するよりも遥かに価値があることなのです)

あなたたちは、高橋先生が言われた「私は宗教などで飯は食べません」という一言だけを取って、私を批判しているのです。(高橋先生の本当のお気持ちも知らずにです)

とはいえ、あなたたちがやっている、仕事をしながら法を勉強するというスタンスは、あなたたちは間違っていません。(だってあなたたちはまだ正しい法を説けないのですから、お金などもらえるわけありません。そんなことをしたらそれこそ詐欺です)しかし、私は違います。私が説いている法は正しいものであって、その証拠にここに書いたことが次々に起きて祈りが現象化しています。(これは私がここに書いていることは正しいという証明です。その証拠にあなたたちには何も起きないのでしょう。それはあなたたちは正しいことを言っていないという証明です…それはあなたたちだけでなく、他の高橋先生の弟子たちも同じですが)

それにすでに私は多くの人に法を伝えています。

今年、総理大臣が代わりましたが、新総理の所信表明演説の時に、新総理は「正しい心」と言われました。こういうことを所信表明演説の時に言われた総理が過去にいたでしょうか?

私の書いているブログは国会議員の何人かの人は読んでいます。(それはテレビで〔総理も含めてですが〕私がここに書いていることを〔わざと喋っているのかもしれませんが〕何人かの国会議員の人たちが喋るからです。国会議員の人たちのブログを読んでいてもそれは分かります)

それにテレビキャスターの人たちも、あるいはドラマでも、明らかにこの人このブログ読んでるな、と思える人が何人もいます。スポーツ選手もそれは同じです。(次回、信長と秀吉のことを書こうと思っていますが、それを書こうと思ったきっかけとなったトヨタのCMもそうです)

私のブログはすでに多くの有名な人たちにも読まれ、その人たちが法を信じつつあります。このような人たちが法を信じ世に伝えたならどうなるのでしょうか?一変に法は世の中に伝わります。

すでにそうなりつつあるのです。それを理解していないのは、あなたたちのような小さな考えに固執した視野の狭い人たちだけです。

天は法が大きく拡がりつつあることをすでに知っています。だから、私の祈ったことを次々に現象化させるのです。(ここに書かれたことの正しさを証明するためです。また、そのようなことが起きているから、そういう人たちも信じるのです)

物の売り買いだけが仕事ではありません。私がやっている“神の心を伝える”という仕事は、これ以上ない仕事なのです。その仕事に協力されるということは、神の子として当然の行為であり、もっとも尊いことである徳を得るという行為でもあるのです。逆に言えば、法を伝えているのにまったく報酬をもらわないということになれば、それは相手の徳をこちらが奪っていることになり(一方に徳が偏ることになりますので)よいことではないのです。神の心ではないのです。(神の心は集中より分配です。これはすべてにいえることなのです)

法を聞いたのなら、そのお返しに布施をしなければならない、それを教えることも大事なことなのです。

私は法を伝え、その証明として次々に現象を世に現しています。あなたたち以上の仕事を私はもうとっくにしているのです。(それに何度も言いますが、ここに書いたこと〔それはすなわち私に起きていること〕は現代の人々だけでなく、後世の人々をも救うことになるのです。私に起きたことは後世、正しい法を勉強すればこのようなことが起きる、という目安になるからです)

その私がお金をくださいと言って何が悪いのでしょうか?分不相応の金を要求する(または出す)ことがいけないのであり、仕事に対する相応の金は受け取らなくてはいけないのです。従って私が私のブログを読んでいる人たちに(私のブログを読み法を知って、救われた人もいるはずですから)お金をください(そんな露骨には言っていませんが)と言うことは悪いことではないのです。むしろ当然の報酬なのです。(もちろん釈尊もキリストもされていたことです)

少しは私のやっていることがモーゼ系の方々にも、ご理解いただけたでしょうか?

私のブログをどうしても読みたい、と言われるのならそれも結構ですし、私に質問したいことがあるのならしていただいても結構なのですが、その質問の仕方が、人をけなすような言い方ではいけません。もっと、辞を低くして謙虚な気持ちで聞いていただかねばなりません。それが当然の礼儀でしょう。こんなこと子供でも知っていますよ。以後気をつけてくださいね。(笑)

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