6月 19 2020
神の不思議な力
この近所だけではないですね。私は、この近所の人たちだけだと思っていたんですがそうではなかったようです。
昨日あちこち歩いていて分かりました。そこらじゅうの人が怒っていたからです。
ある場所に大きな工事現場があるのですが、そこの工事現場は私は作業していないと思っていたのです。私が何度近くを通ってもでかい音を立てられたことがなかったからです。
そこが昨日通ったら急にでかい音を立ててきたのです。
「あれ、ここやってるんだ」と思って「よう、自分のところなど祈ったことないぜ。だって、一度も嫌がらせされたことがないのだから祈るわけないだろう。なんか起きたのか?だったらそれはこっちのせいじゃないだろう。自分たちの心が汚いから起きてるんだよ。だから、神理をやれよ。神理を実践し心がきれいになれば悪いことは起きなくなるから」といったのですが、そこは私に一度も嫌がらせをして来たことがないだけあり、そういうと後はシーンとしていました。
「あそこ何か悪いことが起きたのかな?」とか思っていたら、そこを皮切りにあちこちで急に嫌がらせを受けだしまして、そういうところが昨日はやけにたくさんあったのです。
それで「何で今日はこんなに多いんだ」と思っていたのですが、それとは逆にこれまで嫌がらせをしていたところが急に静かになっています。
その時ピンと来ました。ああ、もう近所だけじゃなかったんだなとです。もうそこらじゅうで起きだしたんだとです。
災いがです。だから、そこらじゅうの人が怒りだしたのです。
よく考えてみればです。この近所だけで悪いことがたくさん起きだすというのも変な話です。(いくら家が近い分、私に嫌がらせをしている回数が他の人たちより多いとはいえです。〔苦笑〕)
急に、この近所のあちこちの人たちが怒りだしたのでおかしいと思ったのですが、この近所だけではなく、要はそこらじゅうで起きだしたのです。
多くの災いがです。だからそこらじゅうの人たちが怒りだしたのです。それをみな私のせいにしているからです。(だから、それは違うと昨日書いたでしょうが)
しかし昨日などでも多くの人が怒っていました。いくら何でもそれだけ多くの災いを私一人で起こせるわけがありません。
いい加減、起きていることを正しく理解されてはどうでしょう。
個々の人たちが理解していないだけで、もう、それだけ多くの災いが、それだけたくさんのところで起きだしているということであるからです。
私はあちこち歩いているのでよく分かるのです。そういう事実がです。
よいのですか。いつまでも神理を無視していてです。そういう大変なことがすでに起きているのにです。にもかかわらず神理を無視していて、そのあちこちで起きだした災いをどうやって防ぐのですか。
その災いは心をきれいにする以外で防ぎようがないからです。
それを信じないなら信じないでよいのですが、しかし、その災いでもうコロッと逝く人まで出ているのです。
では、最悪コロッと逝ってしまうかもしれませんが、それでもよろしいのですか?私のいうことを信じない人はです。
その中で私のような奇跡が起きている人はいないからです。
奇跡が起きないなら災いは止まらないのですが、それでもまだ無視を続けますか?私の(奇跡が起きている者の)いうことをです。
もう相当起きているようですがね。その災いがです。この辺りなど特にです。
まあ、あちこちで大雨も降っていて、すでにそこらじゅうで災いが起きているといえばいえるのですが、昨日私はその雨の中、荒子川の川沿いをしばらく歩いていたのですが、その途中でカモが五、六羽かたまっていたところがありました。
「あれ、ここはカモがかたまってるな」と思って、そのカモたちを見ていたら、あまり大きなカモではないのです。正確にいうとその中の一羽のカモは大きいのですが、あとのカモたちは小さいのです。
といっても、子ガモのような小ささではなく、大人のカモと子ガモのちょうど中間くらいの大きさのカモが四、五羽いて、あと一羽のカモが大きい(大人の)カモのようで、要は、親ガモが一羽いて、あとはその親ガモの子供のカモのようでした。
その子供のカモたちが私が見ていると、私の前にたくさん来て、バシャバシャやりだしたのです。
羽をばたつかせて暴れているものや頭の方を水の中にいれて足をバタバタさせているもの、草にガブガブかぶりついているものなどいて、大人のカモではしないような動きをして騒いでいます。
本当に楽しそうで見ていても面白いのです。
「お前ら元気がいいな」とか「そんなことしていたら死ぬぞ」とか、こちらもいろいろ声をかけながら見ていました。(笑)
しばらく見ていて「分かった、分かった、お前ら元気がいいのは分かった。じゃあ、またな」と声をかけて、その場を離れたのですが、しばらく歩くとまた後ろからバシャバシャきこえてきます。
それで後ろを振り返ると、一羽の子ガモが凄い勢いでバシャバシャやりながら親ガモの方に帰っていくのです。するとそれを見ていた他の子ガモたちも同じように凄い勢いで親ガモの方に帰っていきます。
それで私が「お前ら最後まで元気がいいな」といいながら、歩いていきましたが、その仕草がなんともかわいかったですね。その子ガモたちはです。
「ほんと、人とえらい違い」などとブツブツいいながら歩いていきましたが、私は必ずこういうことが起きますね。歩いているとです。
何か生き物が癒されるようなことをしてくるのです。神理を説いている私に対してです。
しかし、この辺りの大方の人たちは、神理を説いている私に対し、なんと嫌がらせをしているのです。まったく感謝もせずにです。(ほんと無礼千万ですね)
その結果が、次々に現れる災いということになっているのでしょうが、動物たちでさえちゃんとお礼をしているのです。(愛でです)
それにもかかわらず人間たちは、未だそのお礼一つ出来ない人がたくさんいるのですが、そういう人たちに次々に災いが現れだしたようです。
それでもまだそういう(不遜な)態度を続けますか?お礼一つする気にならないのでしょうか?動物たちでさえしているのにです。
このブログを見ている多くの人たちがどれだけ神を認めなくてもです。こういうことが起きているのです。(災いにしろ、今回のカモたちの癒しにしろです)
こういうことが人の力で起こせるのでしょうか?偶然で起きますか?このようなことはもうどれだけ起きているか知れないのにです。
一度や二度こういうことが起きたというのではないのです。こんなことこれまで数限りなく起きているのです。それはこれまで何度も何度も書いています。
ここに書いていることは事実であると、この辺りの人たちはもちろん分かっているのでしょうが(目の当りにしている人も多いし、体験している人も多いですから)他の地域の人たちでもです。
想像でこういうことが書けると思いますか?毎回書くことが違うのですよ。(動物たちのことなど毎回起きることが違いますから)書けませんよ。ほぼ毎日こういうことを書いているからです。
しかも、もう十年以上にわたりです。
こういうことを想像で書くなら相当苦労すると思いますよ。毎日考えないといけないからです。鳥や魚たちとどういうことが起きるのか、あるいはどういう災いが起きたのかなどなどです。
そんなこと毎日考えていたら大変でしょう。しかし、私は全然大変ではありません。その日起きたことを翌日ブログに書いているだけであるからです。
それならいくらでも書けます。起きていることをそのまま書いているだけであるからです。
だからいっているのです。もう神を認めるしかないでしょうとです。
こういう体験を一人の人間が出来るわけがないからです。何かの力が加わっていなければこういうことは起きないからです。
だから、何の力も加わっていない人には何も(そのような不思議なことが)起きないのです。
その人には神の力が現れないからです。
昨日書いたキリストでもそうでしょう。キリストに神の力が現れているから、あのような奇跡も起きるのです。
これだけ起きることが違うのです。そうして確実に現れているのです。私の周りには不思議な奇跡がです。
ではもう認めるしかないのではないですか。神の力をです。どれだけ多くの人が認めなくても現れているのは事実であるからです。その神の不思議な力がです。
だから起きるのです。私の周りには不思議なことがです。
神は存在し、その神の力が私には確実に現れているからです。
神理を実践すればするだけ、この神の力は現れてきます。
それでもまだ無視を続けるのですか?この正法神理をです。しかし、すでにこちらでは多くの災いが現れだしています。
神を信じませんか。そうして行いませんか。神の心であるこの正法神理をです。そうしないと災いを防ぐことは出来ないからです。
昨日書きましたが、もう小さな心は捨ててください。もっと心を広げ大きな心ですべてを受け入れ、そうして正しいものだけを行う。
そういう人に奇跡は起きてくるからです。
これからの時代、奇跡が起きない人が救われることはありません。どれだけ金を稼ごうが、どれだけ有名になろうが、コロッと逝けば、それで終わりなのです。
そのようなものはすべてこの世だけで通用するはかないものでしかないからです。
しかし、神理を実践すればするだけ心は向上し広がって徳も得ることになります。その心の向上、広がりは永遠に自分のものであり、徳は天に宝を積むことになるのです。
天に宝を積むのなら、その宝は盗まれることもなければ腐ることもありません。それもまた永遠に自分のものとなるからです。
神理を実践した方がいいのか、それともしない方がいいのかはこのようなことを観ても明らかなのです。
すでに多くの災いが現れてきています。その災いから逃れる道は神の力を回りに現す、それ以外にないのです。
その神の力を自分の回りに現すその一番の方法がこの正法神理の実践なのです。



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