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12月 19 2011

戦国武将

10:23 AM ブログ

前回戦国武将の話を書きましたので、もう少し戦国武将の話を書きましょう。

有名な戦国武将の中で他の武将とは少し違う、特異な武将が一人いるのですが、それが誰だか分かりますか?

戦国武将は嫁ももらうのですが側室がいるのは当たり前でした。しかも相手が弱いと見れば、その領地には手を出す、上昇志向が強く下克上も頻繁に起き、自分が上に行くためには人を平気で裏切る、という者もいたのですが(マァこのような人は現代でもいますが)そういう人たちの中で、一人そのようなものには目もくれず、人のために尽くした武将がいます。

その武将とは“義将”といわれた越後の上杉謙信です。

謙信は他国の武将から援軍を頼まれると断ったことはありませんでした。謙信は“軍神”とも称され、戦は無類の強さを誇っていました。そのため、力の弱い国からよく援軍を頼まれますが、その紛争が自分たちの領地とかかわりがなくても、困っている武将に頼まれると謙信は援軍をいやとは言いませんでした。どんなところへでも出向き、援軍を頼まれた武将のために戦ったのです。

そうかといって謙信は、援軍を頼んだ武将から、その見返りに領地をよこせとか、金をよこせとかいう要求をしたこともありませんでした。ただ、人のために尽くしたのです。

当時の人たちは(戦国武将も含め)神への信仰心は厚かったのですが、謙信はその信仰心が人一倍ありました。謙信は毘沙門天を信仰していましたが、その毘沙門天の生まれ変わりと自分を信じていたのです。(謙信はそれを証明するため、自分は神に守られているので、敵の矢玉は一つも当たらないと豪語し、敵の軍勢の目の前に座り込んで酒を飲んだことがありますが、謙信が言ったように、敵が謙信目がけて打った矢や鉄砲の弾は一つも謙信に当たりませんでした…何か園頭先生と同じようなことを謙信はやったのです)

家来たちの領地争いに嫌気が差し出家しかけたこともあり、地位や物への執着もなく、宿敵であった武田信玄に塩を送ったこともあり、慈悲の心も強かったのです。謙信は側室はもちろんのこと嫁さえも娶りませんでした。

信仰心が人一倍強く(おまけに自分を毘沙門天の生まれ変わりと信じ)人から頼まれるといやとはいえない愛があり、慈悲もあり、執着や欲がまるでないとは、まるで僧のようですね。

そのはずです。上杉謙信の過去世は「シュバリダ」という名の僧でした。このシュバリダとは、釈尊の最後の弟子として仏典に書いてある、あのシュバリダです。

謙信は釈尊の弟子としてこの世で修行したことがあり、その過去世の業が戦国武将として生まれても、まともに出ていたのです。だから、謙信は戦国武将としては(まるで出家僧のような)特異な存在であったのです。

このような過去世の業は、多かれ少なかれ自分の性格として現れます。

この過去世の業が、そのまま現れていた戦国武将が今世の日本に生まれています。

その戦国武将とは美濃の斉藤道三です。

道三は油売りから身を起こし、一国一城の主になったことで有名ですが、この道三は美濃一国の城主とはなりましたが、美濃一国だけでは満足していなかったのでしょう。(やはり道三も天下統一を夢見ていたのではないでしょうか)

その強い思いが今生現れ、その方は土建屋から、日本の総理大臣にまで上り詰めます。

私の年代以上の方で、二~三十年前の総理大臣で一番印象に残る人は誰ですか?と聞かれたら、この総理を挙げる人が多いのではないでしょうか。

その斉藤道三の過去世をもつ方とは、田中角栄元総理です。この方は“今太閤”などとも言われましたが、そうではなく“今道三”であったのです。(ただし本物のですが〔笑〕)

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