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6月 23 2020

布施の有難さ

10:33 AM ブログ

昨日もずいぶん怒っている人が多かったですね。

この辺りは怒っている人ばかりでまったく反省しようとしませんが、これでは止まらないでしょうね。災いはです。(しかし死んでいる人までいるというのによく怒っていられますよね……こんなこと書いているからみんな怒るんですかね。しかし事実だし)

この正法神理はコロナ禍でも抑えられる力があるのです。では、多くの人々に病を現すことなど造作もないでしょう。

こういうことを人がやれるわけがありません。この起きている現象はこのブログを見ている人が思っているほど小さなことではないのです。

個人が勝手に起こしている程度のそんな現象ではないからです。

天上界の多くの神々が(光の天使たちが)計画の上で行っていることなのです。その計画は神理に沿って行われます。

この神理に逆らうのではなく従いませんか。そうすれば奇跡が起きてくるからです。私たちに奇跡が起きていることが、私がいっていることが嘘ではないという何よりの証拠であるからです。

現実主義もけっこうですが、この辺りは不思議な現象が次々に現れているのです。(私に起きている奇跡も含めた)そういう不思議な現象が次々に起きているにもかかわらず、それを一切無視して自分たちの生活だけを頑なに通そうとしても、それはそうもいかないでしょう。

周りに起きてくる現象が変わって来ているのなら、それに合わせた考えは当然もたないといけないからです。そうしないと周りと不調和を起こすからです。

周りと不調和を起こすなら当然不幸になります。調和してはどうでしょう。逆らうのではなく私に起きている現象などとも調和してはです。

そうすれば癒されるような奇跡が次々に起きてくるからです。(ほんと私とケンカすることしか考えない人ばかりです。それではいいことは起きないでしょう。奇跡が起きている私とケンカしていてはです)

私のいうことを信じ、この教えを実践してみませんか?そういう人には必ず幸福が訪れるからです。

その私のいうことを信じる方から昨日また布施をいただきました。この方はもうこれまで何度も布施をいただいている方ですが、昨日は「徳を積ませていただき、ありがとうございます」というメールまでいただきました。

私も「そのような心がけ大変よろしいかと思います。ありがとうございました」とメールを返しておきました。

前に書いたことがありますが、昔、園頭先生に布施された人が「こちらは二百万円も園頭先生に布施したのに(その方は二百万円園頭先生に布施されたそうです)園頭先生は全然私に気を使ってくれない。もう少し気を使ってくれてもいいではないですか」と、園頭先生の奥さんに文句をいったそうですが、そういわれたと奥さんからきいた園頭先生は「何で私が布施された人に気を使わないといけないのか。私に布施して徳を得るのは布施した人の方であって、私ではない。こちらは布施する人に徳を得させているのだから、何でそれ以上こっちが気を使う必要があるのか」とそんな話はききもしなかったそうです。

その二百万円園頭先生に布施された人は、正法会の会員で長年神理を勉強していた年配の方であったようですが、それなのにその方は布施の意味を知らなかったようです。

その布施は園頭先生のためではなく、実は自分のためにしているのであるということです。

しかし、昨日布施された方は、すでにそのことを知っています。(布施は自分の徳になり、自分のためになるということをです)いやいやさすがですね。このブログをよく(しっかり)読んでいられるなと安心しました。

このブログをいい加減にしか見ていない人も多いのですが、ウナッシーさんに続いて、この方もしっかり見ているようです。この神理をです。そうであるなら、やがてこの方も奇跡が周りに現れてくるようになるでしょう。

そういう資質があるからです。(あとは普段の行いですね)

そういえば、この園頭先生に二百万円布施された人は後日談がありまして、その人は園頭先生の奥さんにそんなことをいったくせに、しばらくしたら、その二百万円が必要になったそうです。(仕事がうまくいかなくなって)

それで園頭先生に、仕事が行き詰まり資金が足りなくなりましたので、布施した二百万円を返してもらえませんかと話されたそうです。(奥さんに文句をいわれたわりにはずいぶんカッコ悪いです。〔苦笑〕)

園頭先生は「それはお困りでしょう」とすぐに二百万円返されたそうですが、その人はそういう考え違いをしているから、そういう結果が現れてくるのです。

普通であるならです。神理を説かれていた園頭先生に布施されたのなら、仕事の調子もよくなって利益も上がって来なければいけないはずなのに(天上界の協力が得られますから)逆の現象が現れているのです。

それはこの人がせっかく園頭先生に布施をされたのに、その心が間違っていたばかりに間違った結果が現れたということです。

行いがどれだけ正しくても、心が間違っているのなら、それは正しい行いではないからです。

正しいということは、その心も行いもどちらも正しくないと正しいとはいわないからです。

こういう正法神理を長く勉強していた人でも、全然布施の意味を理解していなかったという人もいるのです。

そこにいくと、このブログを読んで布施してくださる方々は、布施の意味をよく理解していられる、だから私は安心したと先ほど書いたのです。

自分が布施する有難さを自分自身が正しく理解していないと、いくら私に布施をされても意味がないからです。

しかし、布施の意味を正しく理解し、そうしてされる布施は、その徳は何倍も、何十倍も、何百倍にもなって天に宝を積むことになるからです。

前にも書きましたが、この世の宝をいくら積んでもです。その宝は盗まれてしまうかもしれませんし、火事になれば焼けてしまうかもしれませんし、天変地変など来たらグチャグチャになって使い物にならなくなるかもしれません。

しかし、天に宝を積むのなら、その宝は盗まれることも、焼けることも、グチャグチャになることもありません。(もちろん腐ってしまうこともです)

後の世で必ずその天に積みたる宝は自分のためになるのです。

この世の宝を積むよりも、天に宝を積みませんか。その天に積む宝の方がです。

この世の宝より、何倍も、何十倍も、何百倍も、そうして何千倍も価値あるものであるからです。

追伸…今日の中日新聞に書いてありましたが、なんですか、名古屋市の例の一律十万円の定額給付金の支給が(六月十九日現在で)まだ4.7パーセントにとどまっているそうですね。

マジですか。全国平均の支給率はもう五十パーセントを超えているというのに、何でしょう、この名古屋のすこぶる遅さはです。

もし私が餓死したらそれは河村市長のせいですね。どれだけ段取りが悪いのでしょう、名古屋はです。いってはいけませんが市長の器量のなさがアリアリと分かります。

あまりにせこいことやりすぎなんじゃないですか。普段からです。

だからこういう時にみな協力しない。職員や議員の給料を下げることばかり考え上げることは考えないからです。

市職員も市会議員もみな名古屋市民には変わりないのです。

そうであるなら、名古屋の人たち全員の収入を上げることを考えないといけないでしょう。名古屋市長であるならです。それが徳川宗春の考えであるからです。(……宗春は関係ありませんかね)

これからは河村市長のことをです。総理を狙えない男と呼ぶことにしましょう。

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