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11月 04 2020

不吉な印(しるし)

10:29 AM ブログ

やはり相当出ているようですね。

昨日など、先週あれほど怒っているところが多かった白鳥公園から六番町の辺りを回ったんですが、先週怒っていたところが全部です。全部静かになっていました。激しく怒っていたところはゼロですね。

微妙に怒っていたところはわずかにありましたが、キレていたところはゼロですね。後はドン引きしていたところばかりでした。(まあ、休みのところもありましたが)

しかし、あれだけ怒っていたところがこれだけ極端に静かになりますかね。よほど騒いでいるところに天罰がくだっているのでしょう。

そうでなければ、これだけ極端に態度は変わらないと思うからです。

とはいえ、では静かにしていたからとそれで災いが起きなくなるのかといえばです。

多分、来週くらい回ると、今度はまたキレているところばかりになるのでしょう。静かにしたからといって、それで災いが止まるわけではないからです。

どちらにしても災いは出るということです。ただ、うるさくするよりは静かにしている方が出る回数は少ないのかもしれません。うるさかったのが静かになって、それからずっと静かになってしまったというところもあるからです。

しかし、キレいたところが、同じようにキレているところはないからです。キレていたところは、次に通るとドン引きしているか、よけいキレているかのどちらかであるからです。

だからキレているところの方が(やはり)たくさん出ているようです。災い(天罰)はです。

そうして、昨日も歩いていると微妙に嫌がらせをしてきた人がたくさんいましたね。前回のようなブログを書くと、いきり立ってよけい嫌がらせをしてくる人もいますが、しかし、もうそういう人には確実に災いは現れて来ます。

だから、昨日嫌がらせをした人ですでに災いが現れている人もいると思いますが(朝起きてトイレにいったら真っ赤だったとかです。血尿が出てです。〔汗〕)そういう人でも、反省して布施された方が、その後の病気の経過は軽くすみます。

そういうことが起きて(もう、そのようなことが普通に起きていると思いますから。私に嫌がらせなどしてきた人にはです)それを逆恨みし(自分が神理を説いている者に嫌がらせなどしたからそういう天罰がくだったのに)私のせいで病気なったと怒っていると、そのような病気は仮に一時よくなったとしても、一生祟ることになります。

だから、そういう天罰がくだったのなら、素直に反省し、心を入れ替えた方がよほど得であるということです。意地を張って責任転嫁していればしているだけ苦しみは長くひどく続いていくからです。

とにかく、神理に対し心を入れ替えないとよいことは起きて来ません。

どうしても心を入れ替えるのは嫌だというのなら、それはそれでかまいませんが、ただ、そういう人は、いつ病気なるか知れないという恐怖とこれから戦っていかなくてはいけないということです。

神理に対し感謝もせずに嫌がらせをしていて、そのようないろいろな病気になっている人がこの辺りにはもうずいぶんたくさんいるようだからです。(今日も朝早くから救急車が前のマンションに来ているし〔つい先日も来ていました〕どこかの会社などドン引きしているし、かなりこの近所も状況が変わって来ていますから)

しかし、心を入れ替え、この神理に帰依するなら、そのような災いが現れることもなく(まあ。実践次第ですが。口だけで全然実践しなくてはダメですが)奇跡も現れて来ます。

このような状況では危なくて仕方ないのです。しかし、心をこの神理に合わせて入れ替えるのなら、どのような危ない状況でも神から守られることになります。

もう、信じませんか。私のいうことをです。私のいった通りのことが次々に起きているからです。(だから、どうせ心を入れ替えるのならです。そのような病気が現れる前に入れ替えてはどうでしょう。そういう病気が奇跡的に治るより、そのような病気にならない方がよほどよいからです)

昨日のことです。私が白鳥公園にいって白鳥公園に入ったとたんです。急に白鳥公園にいるカラスたちが騒ぎだし(最近の白鳥公園はカラスの巣になっていますから)数十羽が鳴きながら白鳥公園上空を飛び回っていました。

すずめくらいならともかくカラスが何十羽も鳴きながら空を飛び回ると、ほんと雰囲気が変わってしまいますよね。一種異様な雰囲気になります。

「お前らあんまり騒ぐな」と声をかけながら白鳥公園の中を歩いていきましたが、そのような雰囲気の中あることを思い出しました。

そういえば私の小さい時によくうちの亡くなった婆さんがいっていたのですが、カラスは人の死が分かるそうです。

私が小さい時などまだカラスがこんな町中までくることはほとんどありませんでした。私が小さい時などカラスなどたまに見かけるくらいで、だからカラスが飛んでいると珍しがってよく追いかけたものです。

それくらい町中でカラスを見ることはなかったのです。(ここ二、三十年くらいでしょう。カラスがこんな町中までくるようになったのはです)

その珍しかったカラスが、ある家の屋根に止まって鳴いていてしばらくしたら、その家の人が死んだとか、ある家に向かって鳴いていたら、その家の人が死んだとか、そういう話を小さい時によく婆さんからきかされたものです。

その話が本当か嘘かは知りませんが、まあ、カラスはです。そのような不吉といいましょうか、不気味といいましょうか、そういう部分があるようです。

しかし、動物たちは自分の死期が分かるともいわれています。(この前の東山動物園のゾウの話ではありませんが)だから、カラスが人の死が分かっても、別に不思議な話ではないでしょう。

自分たちの死期が分かるのなら人の死期が分かるのもある意味当然だからです。

その人の死期が分かるカラスたちが昨日、私が白鳥公園にいくと同時に大騒ぎを始めた。

もしかしたら、私にかかわってくる多くの人たちがこれからたくさん死を迎えるのかもしれません。それが分かってカラスたちがそういう行動を取った、カラスたちは人の死が分かるからです。

そう取れないこともありません。だって、普段は私が白鳥公園にいってもカラスたちはあんな大騒ぎはしないからです。

まあ、それが当たっているか、外れているかは分かりませんが、とにかく私に嫌がらせをしてくる人たちが次々に病気になっているのは事実のようです。

そういう人たちが今度は次々に死を迎える。だからカラスたちが私を見るなり大騒ぎを始めた。そういうことがカラスたちにはよく分かったからです。

ほんと縁起でもない話なんですが(苦笑)そういう縁起でもない話が本当になってもいけません。だから分かるまで何度でもいいますが、心を入れ替えませんか?

そうすれば、そんな不幸なことは起きないからです。しかし、今のままの心では、そういう不幸がいつ起きても不思議ではないからです。

神理を見ているのなら感謝して布施するのが当たり前なのです。昔の人は誰もそのような態度を取っていたのです。

しかし、今生の多くの人たちは、神理をもう何年も見ている人も多いのに、まったくそういう態度を取らない人たちがほとんどです。

昨日の白鳥公園でのカラスたちの行動が、このブログを見ている多くの人たちに対する不吉な印でないことを願うばかりです。

追伸…アメリカの大統領選が始まりましたね。マスコミはバイデン氏が勝つの一点張りですが(苦笑)これでトランプ大統領の再選が決まったら、一体マスコミは何なんだということになって、また(またまたですか)マスコミは信用を落とすことになります。(笑)

どちらにせよ、日本にとってよい方の方が大統領になってくれることを望んでいます。

そういう祈りをしているからです。

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