11月 06 2020
愚かさと恐ろしさ
昨日は金山にいってきたんですがね。まあ、怒っているところもドン引きしているところもあったんですが(電車の運転手連中はやたら怒っているのが少しいたくらいですが)しかし、最近の傾向としまして怒っているところはです。
だいたいは新しいところばかりなのです。新しいところとは、天罰が起きていないところとか、起きていても、一度か二度何か起きたかなという程度のところばかりです。
そういうところは(会社や現場は)激しく怒っているのですが、もう何年も前から嫌がらせをし続けていたところとか、もう何度も天罰が起きているところなどは軒並みドン引きしているのです。
例えば、昨日金山にいく途中、もう何年も前から私が通ると必ず大きな音を立てて嫌がらせをして来た会社があるのですが、そこなどもうシーンとしているのです。
先週も、先々週もそうでした。もう三度も通っているのに、私が何をいっても少しも音を立てて来ないのです。そこは本当に大きな音を私が通るたびに立てていたところでした。
私が何をいってもやめなかったのです。大きな音を立てる嫌がらせをです。その会社の連中はです。
そういうところがパタリとやめてしまったのです。私に対する嫌がらせをです。
こんなことは初めてですね。そういうところがここだけではないのです。あちこちの場所にあるのです。今まで何年にもわたり散々嫌がらせをし続けていたところが(会社が)何もしなくなってしまった、というところがです。
これまでこういうことはなかったですね。これだけ多くのところが私に対する嫌がらせを一変にやめてしまったなどということはです。
だからいま現在、ちょっと考えられないことが起きています。
そうして、今まで静かだったところが急に怒り出して嫌がらせをしだしたところもありますが、そういうところも次に通るとまずドン引きしています。
まあ、よけい怒っているというところもあるにはありますが、最近は減りましたね。そういうところもです。まず静かになっています。次に通るとです。
こういう状況を考えるならです。もう相当というか、すさまじい数、出ているんだと思いますよ。災いがです。この辺りのあちこちの広い範囲にです。
そうでなければ、そんな長年嫌がらせをし続けていたところが、みな一斉に嫌がらせをやめてしまうなど考えられないからです。(もちろんどこかの会社も含めてです)
だって、そういうところはどこも筋金入りなのです。筋金入りの一刻な奴が何人もいて、嫌がらせをし続けて来たところばかりなのです。
そういうところはよほど執念深い連中がいるのでしょう。そうでなければ何年も続けられないからです。そんな嫌がらせなどです。
普通なら途中でバカらしくなってやりたくもなくなるからです。嫌がらせなどです。そういう人に対し悪いことをし続けるなら、普通は(普通の人ならです)良心の呵責にさいなまれてやる気がなくなってくるからです。
しかし、そういう連中は何年たってもそういう心が出て来ない。平気で私が通ると嫌がらせをし続けている、よほど異常なのでしょう。性格がです。
そういう異常に愛のない者がたくさんいるところが一変に嫌がらせをやめてしまった。では、一体どれだけ出ているのかということになります。
災いが(天罰が)です。
だから最近は、そういう一刻な者たちが嫌がらせをやれないほど、すさまじい数の災いが現れているということでしょう。
ということは、それこそ、自分たちばかりでなく、その家族や縁ある人たちにまで次々に災いが現れているということになるのではないでしょうか。どこかの会社と同様にです。
それくらいのことが起きなければ(それくらい多くの災いが現れて来なければ)こういう筋金入りの連中がやめるわけがないからです。私に対する嫌がらせをです。
こういう連中が急に反省などするわけがないからです。
どちらにしても、同じような時期に別々の会社の一刻な連中が皆一斉に反省するなどあり得ません。だからよほど多くの災いが現れているのでしょう。
超がつくほど執念深く頑なで一刻な連中が、その考えを変えなければいけないほど多くの災いがです。
ということは、いま現在、未だかつてないほど数多くの災いが現れだしたといっても過言ではありません。そうしてその災いがドンドン増えている。
だったらもう感謝して布施した方がどう考えてもいいでしょう。
モタモタしていたら、一体どれだけ多くの人に災いが現れるか知れないからです。
どちらにしても、そんな災いで死んでいくのなら、百パーセント地獄行きなのです。
それはそうでしょう。神理に逆らって災いが起きて、そうして苦しんで死んでいくのですから、その先にはもっとひどい苦しみが待っています。それだけ神理に逆らうということは大きな罪であり、だから生きている間だけでなく死んだ後まで祟るのです。
神理に逆らう罪ほど大きな罪もないからです。
だから、これほどの(すさまじい数の)災いも現れてくるのです。それだけ大きな罪をこちらの人たちは何年にもわたってつくり続けているからです。
だからもう真剣に考えてはどうでしょう。自分たちのそのような行いをです。今のような神理に対し不遜な態度を続けるなら、そういう人には必ず天罰がくだるからです。
それはこちらの多くの人たちを(天罰を食らった)見れば明らかなことだからです。
こちらは別にあり金を全部出せといっているわけではないのです。神理をきいたのなら、感謝の布施くらい(報恩の行為くらい)しないと罰が当たりますよと、だから、気持ちだけで結構ですから布施くらいしてくださいと、そういっているだけなのです。
なんでそれくらいのことが出来ないのですか? その程度のことをしないがために、これほどの天罰がくだっているのです。こちらではです。
その(わずかな布施)程度のことでも神理に対しするかしないかは大きな問題だからです。それをしなければ神理は説けなくなり、それをするなら神理を説くことはこれからも出来るからです。
だから、それが出来るか出来ないかは(神理が説けるか、説けないかは)大きな問題なのです。それでどれだけ多くの人が救われるかどうかも決まってくるからです。
だからそれは、こちらだけの話ではないのではないですか。
他の地域の人たちでも同じなのではないですか。長くこのブログを見て感謝の布施も出来ない人には、あまりよいことが起きていないのではないでしょうか。
程度の差こそあれです。
病気になったり、けがをしたり、あるいは家のこととか、仕事のことでよくないことが起きているのではないですか。
ただそれに気づいていないだけなのです。そういう人たちはです。そういう悪いことも長い人生の中には起きることもあると、漠然とそう思って悪いことを気にもせず暮らしているからです。
だから気づいていないのです。神理を無視していることの天罰にです。そのような他の地域の人たちはです。こちらほど露骨に(分かりやすく)天罰がくだっているわけではないからです。
だから気づかないのですが、しかし、その悪いことの中には、神理を感謝もせずに見続けていることに原因がある天罰も必ず含まれているのです。
だからそれを放置しておくと、いずれ大きな罰が当たるということです。
もう、そのような(神理を無視していることに対する)天罰が、こちらの人たちなどには山のように降りかかっているからです。
どちらにしても、これほどの天罰が広がらないわけがありません。だからいずれ同じことが起きてくるのです。どこに住んでいる人たちであろうとです。神理を見ていて少しも感謝しない人たちにはです。
神理を見ていて何もしないでいいわけがないからです。最低でも報恩の行為はしないといけないからです。
だから、それをしない人たちには必ず天罰がくだるのです。
ここに書いていることは事実であり、決して大げさなことやつくり話など書いているわけではありません。起きていることをそのまま書いているだけなのです。
こちらではこれだけのことが起きているにもかかわらず、それでもまだです。それでもまだ神理の無視を続けるのですか? 今のままただこのブログを読んでいるだけなんでしょうか?
このブログ見ている多くの人たちはです。
しかし、それだけ罪な態度もないのです。
これだけ書いているのです。神理を無視することの愚かさと恐ろしさ、もういい加減理解してもらえないでしょうか。



人目の訪問者です。
