11月 17 2020
正しい信仰
いやいや凄いですね。この辺り。
特にこの近辺はそこらじゅうの人たちが怒りだしています。会社から家からです。
どこかの会社はもちろんですが(ドン引きしながらずいぶんお怒りのようです。今日も朝からよく電話もかかってきていますから)前のマンションはまた昨日も救急車が来ていましたし(もう連日です)私が歩いているとゴンとかガンとか家の中からきこえてくるところはある、雨戸をガタガタ閉めているところはある、家の前でわざとらしく掃除しているところはあると、そういう家が昨日などこの近辺たくさんありました。
そればかりでなく、この近辺のあちこちの会社が怒りまくっています。さすがに昨日はふらふら会社から出てきた人はいませんでしたが(苦笑)ドンドン増えていきますね。そういうところがです。
しかし、大丈夫ですか。この近辺の人たち、そういう態度を平気で取っていてです。少し離れるとずいぶん引いているところが多いからです。大きな会社など特にです。
そうして、そのように例えば家の中から嫌がらせをしてくる人たちも、最近は次に通るとまず同じことをして来たところがありません。
本当に大丈夫なんですかね、そういう(傲慢な)態度を取り続けていてです。(バカの一つ覚えのようにです)すぐに罰が当たるんじゃないですか。そういうところが多そうだからです。
だって、私にそのようなことをしたほとんどのところが静かになったり出てこなくなるのです。次に同じところを通るとです。
もちろん、全部のところがそうとはいいませんが(しつこく嫌がらせをしてくるところもありますからね。そういうところは相当の奴が〔悪魔が〕いるのでしょう)昨日も数日前に何人も家から出てきて嫌がらせをしてきたところを回ったんですが、また昨日も出てきた人は一人もいませんでした。
今回も声をかけながら回ったのにです。数日前には私が歩いているとあれだけ勇んで出てきた人が何人もいたのにです。
それが二回も通ったのに一人も出てこないのです。その時わざわざ家の外まで出て来て嫌がらせをして来た爺さん婆さんたちがです。
だから何で家から出てこないのか? ということです。
無視しているんでしょうか、それとも出てきたくても出て来れないのでしょうか、そういう人たちに災いが現れてです。
だから出ているんではないですか、そのような嫌がらせをしてくる人たちに次々に災いが(天罰が)です。
そうでなければ出てくるはずであるからです。元気であるなら私が歩いていればまた嫌がらせをしにです。実際出て来ている人もいるからです。また同じところを歩くとです。
だいたい私が歩いているとわざわざ外まで出てきて(あるいは家の外で待っていて)嫌がらせをしてくるぐらいの人たちです。一度や二度、私に嫌がらせをしたくらいで腹の虫がおさまるわけがありません。
何も起きていないのなら、そういう人たちなら(暇な爺さん婆さんなら)私が歩いてきたら何度でも嫌がらせをしてくるはずです。相当私に対し怒っているようであったからです。
しかし、最近は一度出てきて嫌がらせをした人が二度も三度もして来たところはまずありません。(ゼロではありませんが)
だからそういうことをして来た人たちに、次々に現れているのではないのかと思うのです。災いがです。
私が歩いていると、毎回嫌がらせをしてくる人もまだいるにはいますが、そういう人たちも何も起きていないという感じではなく、何か起きているので意地になってやっている、という感じの人たちばかりであるからです。
だから何か起きているはずなのです。私に嫌がらせをしてくるどの人にも災いがです。それがひどいかひどくないかの違いくらいでです。
それだけ、私の説いている神理とは偉大なものであるからです。
だからこういうことになっているのでしょう。この近辺でそこらじゅうの人が怒っているということは、そういうことであるからです。
それだけ多くの災いが起きているから、それだけ多くのこの近辺の人たちが怒っているのであり、そうであるなら、それだけ次々に災いが現れていても決して不思議ではないからです。
むしろそれくらいのペースで(次から次へと)災いが現れるのは必然だからです。それだけ多くの人たちが、この近辺では私に嫌がらせをしているからです。それこそ大人から子供までです。
それだけ神理に逆らうなら、それだけ天罰は現れるということです。
だからいつまでも神理を無視し逆らっていていいのか、といっているのです。
この天罰もそうだし、新型コロナもそうだからです。ずいぶんな勢いで増えだしているからです。
しかし、前に書きました新型コロナを防ぐ祈りでもするなら、天罰はもちろん、新型コロナも、それ以外の病気もずいぶん防げると思うのです。
それだけ本当の神の教えである正法神理の祈りはご利益があるからです。
昨日など、与党の看板を家に掲げているS学会の人たちからも露骨な嫌がらせを受けたんですが(苦笑)何でその人たちは、そういうことを私にする必要があるのでしょう?
そういう人たちなどお題目を上げればそれですむ話であるはずだからです。
題目を上げれば様々な奇跡が起き、そうして救われていく。そういう話をよくされているはずだからです。学会内ではです。
ならそのような人たちには、こんな時でも災いなど起きずに救われていくはずです。
それなのに何で私に嫌がらせをしてくる必要があるのでしょう。そういうことを私にしてくるということは、その人たちにも他の人たちと同じように災いが起きているのでしょうか?
そうでなければ他の人と同じように私に嫌がらせなどしないはずであるからです。
では起きているのですか? その人たちにも災いがです。では、題目を上げていても何のご利益もないということになりますが、そう考えてよいというのでしょうか。
そう思われてしまいますよ。学会の人がそういう態度を私に取るならです。もちろん私からもそうですが、それを見た周りの人たちからもです。
あの信仰は何の奇跡も起きない、偽の信仰であるとです。(苦笑)
それでもよいのですか? 少しはプライドはないのでしょうか、この人たちには自分が正しい信仰をしているというです。
私に嫌がらせなどしてきては、それでは無信仰の人たちと何も変わらないからです。信仰者がそんなことを平気でするなら、その信仰は間違いであると自ら認めているようなものであるからです。
しかし、もし、そのような人たちにも同じような災いが現れているのならです。(まあ、現れているから私に嫌がらせをしてくるのでしょうが)
ではもう正しい信仰に目覚める時が来ているのではないですか。
だから、そういう気づきが与えられているのでしょう。すでにもうその正しい本当に救われる信仰が目の前に出現しているからです。
だからそういうことも起きているのです。気づかなければいけない時が来ているからです。
偽の信仰をいくらしたところで何のご利益もありませんが、正しい信仰をまじめにされるのなら確実にご利益はあります。
もうやるべき時が来ているのです。自分たちの信仰が実は何のご利益もなかったということもこれで分かったはずであるからです。
そういう現実を受け入れるべきなのです。そういう時が来ているのです。もうこれ以上、どれだけ神理に逆らおうが一つもいいことなど起きてこないからです。
しかし、従うなら確実に奇跡が起きてくるからです。神理に従うなら、従えば従うだけ多くの奇跡が現れてきます。(一番従っている私がそうだからです)
だからもうやるべきなのです。この本当の正しい信仰である正法神理をです。それをしないと多くの人に災いが現れる、もうそのような時が来ているからです。
それだけ多くの災いがすでにこの辺りには現れているということです。そうしてそれは日本全国でも同じようにです。
神理の祈りをするなら少なくとも災いが現れるということはありません。信じ行ってみませんか。この神理の祈りをです。いつまでも怒ってなどいないでです。
怒っていたところで何もいいことは起きてこないからです。少しの進歩もないからです。
信じ従ってみませんか、やれる範囲でいいからこの正法神理をです。
少なくともです。この神理の祈るをするなら、これまでうんともすんともいわなかった神が確実に応えてくださるからです。(本当は何も起きないんでしょう。どれだけお題目など上げようとです。しかし、信じ行って正しい祈りをするなら確実に奇跡が起きてくるのです。この正法神理はです)
だから、信じ行ってみれば分かるということです。皆さん方が、これまでしていた信仰とこの正法神理との違いはです。
すぐにでも現れてくるからです。(人によっては)奇跡がです。
何度もいいますが、神理を行うなら少なくとも災いが現れるということはありません。少しずつでも行いませんか、この正法神理をです。
それだけ多くの災いがすでにこの辺りだけではなく、日本全国には(そうして世界にも)現れているからです。
その災いから守られ、なおかつその災いを防ぐには、この正法神理の実践しかないのです。



人目の訪問者です。

こんにちは。私ごとなのですが、ようやく親父になる時がきました。子供が既にいら私が何故そんな事いうのかと言いますと、親父としての務めを行う時が来たからです。それは娘がいるのですが結婚が決まり親として挨拶を交わふ時が来たそのことを言うのです。ここでの役割とは何を指すのかというと、家内は子供を産み育て四六時中手を掛け、学校に行けば参観だの面談だのと親として子供と共に成長するわけですが、私は仕事の毎日で子供の将来を共に考える機会もなく旅行などの家族の触れ合いが主であったような気がします。そう考えると子供といっても仲良しグループのようなものであったと振り返ります。そんな子供がいよいよ結婚となり親同士の挨拶を交わす時が来たのですが、さてどんなことを話そうかと考えていくうちに親父として相手さんから見た時を考えると急に親父としての威厳や家族の中の立場を振り返ったわけです。そうして、この時こそ親父として娘の行先を案じて送り出すのがお役目であり、晴れて親父として成長できるのかと感じました。そんな中で家庭を振り返るとまた新たに違うものが見えてきました、それはまた追々話してゆきます。
ウナッシーさん、今度は父としてもう一段階上がる時が来たということですね。
頑張ってください。