12月 04 2020
心は知っている
昨日はまた金山の方を回って来たんですが、かなり怒っていましたね。電車の運転手連中などです。
もう止まりそうなんですかね。電車がです。(苦笑)あまりに天罰がくだりすぎてです。
この近辺もそんな感じなのです。もう止まらないんですって、この近辺などほとんどのところがドン引きしていますから。どこも怒りまくっていたのにです。
あの金山にいく途中のずっと嫌がらせをし続けていたところも、先週は久しぶりに嫌がらせをしてきたと思ったら、今週はまたドン引きしていました。どこも怒れば怒るだけ出るんでしょうね。
天罰がです。
だからもう私のいうことに従って詫びを入れて、感謝して布施しなさいって。
嫌がらせをしていたところの天罰を止める方法はそれしかないからです。
そういう正しい態度を取るならです。天罰が止まるだけではなく、前回書いたような心から無上の喜びがわいてくる人もいるはずだからです。
その時はじめて分かるのです。ああ自分は大変な間違いをこれまでしていたのだとです。心がそれを教えてくれるからです。
正しい行いをするなら分かるのです。正しいことがです。しかし、間違った態度しか取らないから正しいことが分からないのです。いつまでたってもです。
だから災いも起き続ける。態度を間違えているからです。
すべて心が教えてくれるのです。多くの人は、その心の声をきこうとしないからいけないのです。
例えば、自分が悪いことをすれば自分の心はどうなるでしょう。
自分が悪いことなどすれば心はざわついて落ち着きがなくなり、自分はなんて悪いことをしたのかと、自分くらいダメな奴はいないと、そのような思いが心から上がって来て落ち込むのではないですか。
表面上はともかくです。心の内では、そのような思いが上がってこない人などいないはずです。
では、よいことをした時はどうでしょう。
逆によいことをした時など、自分の心は喜び安らいで、自分はなんてよいことをしたのかと、自分くらいよい人間はいないと、誇(ほこ)らしい思いが上がってくるはずです。
何でこういうことが起きるのか? ということです。
それは心は知っているからです。何が正しくて何が間違っているのか、ということをです。
だからそのような思いが誰も上がってくるのです。心は自分のしていることの善悪をみな知っているからです。
だから、心に問うてみれば分かるのです。いま自分がしていることは正しいのか間違っているのかはです。
しかし、このブログを見ている多くの人が、そのようなことをしない。ただ頭で考えたことを(感情に任せて)そのまましているだけ。だから、こんな悲惨な結果になるのです。
そこらじゅうで天罰がくだって病人が続出している、このようなひどい結果にです。
自分のしていることを自分の心に問うて、自分の行いを顧みないからです。
私が心のことをこれだけ書いているのです。ソロソロその心のことをもう少し詳しく理解されてはどうでしょう。
そうしないとこれだけもったいない話もないからです。わざわざあちこちいかなくても、心が教えてくれるからです。
正しいことをです。
だから、心が喜ぶことをすればいいということです。それが一番正しいことであるからです。
怒ってばかりいて心が喜びますか? 人の悪口をいったり嫌がらせなどしていて心が喜ぶのですか? あるいは仕事や遊びばかりしていて、それで心は喜ぶのでしょうか?
そのどれも喜ばないと思いますよ。やれば分かるからです。そういうことをしながら、自分の心の声に耳を傾けてもらえればです。
では、何をすれば心が喜ぶのですか?
昨日も書きましたが、やってみれば分かるのです。この神理に対する布施でもです。そうすればどれだけ心が喜ぶか知れないからです。
なぜなら、神理を実践するくらいの善行はないからです。一番の善行が神理に協力することなのですからしてみれば分かるのです。それをするなら、どれだけ自分の心が喜ぶのかがです。
ということは、それだけ正しい行いもないということになります。
こう考えてみれば分かるはずです。自分たちが(本当に)求めていたものは一体どこにあるのかとです。
それは有名な神社や仏閣、あるいはパワースポットなどにあるわけではないのです。
自分が本当に求めていたものは、実は一番身近な自分自身の心にあったのです。
わざわざ、そんなところにいかなくても、思えば(祈れば)自分の心が教えてくれるからです。すべての事の善悪をです。
それがまだ分かりませんか。このブログを長く見ている人たちなどです。私がこれだけ心の大事さを説いているにもかかわらずです。
それがなぜ分からないのか?
それは実践がないからです。その一点に尽きるのです。
前回の話ではありませんが口だけではダメなのです。頭で分かっているだけではダメなのです。行って初めて分かるのです。
心の偉大さ、心からの真の思いはです。
だから後は神理を実践するだけなのです。実践すれば分かるからです。ここに書いていることがいかに正しいのかはです。
神理の実践、それをするなら分かるのです。この正法神理の偉大さがです。しかし、それをしないからいつまでたっても分からない。
本当に分からないままでいいのですか? それだけもったいなく残念な話もないからです。
(特にこの辺りの人たちなど、神理を実践しない限り天罰は止まりません。天罰が止まらなければ新型コロナの感染も止まらず、そのかわりに〔かわりにというのも変ですが〕電車が止まってしまうかもしれませんね。この辺りなどです。本当に前代未聞のことが起きかねないのです。いつまでたっても神理が分からない人が多いとです)
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追伸…しかし、新型コロナの感染が止まりませんね。やはり勝負の三週間はあまり勝負にはならないようです。(中途半端ですもんね。やっていることがです)
それで大阪などついに「赤信号」がともったらしいですね。新型コロナの警戒度のです。
大阪は新型コロナの感染者が増えすぎて通常医療との両立が危機的状況にあるとか。二重行政の無駄などと普段から唱えていたつけが出ていますよね。もろにです。
病院や保健所を減らすなど今考えると気違い沙汰なんですが(だからそういうものはすべて無駄ではなかったということです。無駄ではなく予備として余裕を持たせておかなくてはいけないものであったということです。このような非常時の時のためにです)だから長が(知事や市長が)間違った考えているとこういうことになるのです。
ひどい状況が必ず現れるということです。これもまた天罰の一つですね。
しかし、そのような天罰は神理を実践すれば止まるのです。まあ、この辺りは全然止まっていませんが、私に天罰がくだらないのがそのよい例でしょう。
私のように正しい行いをしている者にはこちらでこれだけくだっている天罰もくだらないのですから、それが何よりの証拠です。
正しいことをしている者には天罰などくだらないというです。
まあ、昔からです。間違ったことをしている人たちに天罰がくだったのですから、それは歴史が証明しているということになるのですが、そうであるならです。
新型コロナも止まらないのですかねえ。新型コロナも天罰と考えるならです。
やはり神理の祈りと実践は効き目があると思うんですけどね。この新型コロナに対してもです。
まあ、このブログを見ている多くの人たちは信じませんが。(苦笑)



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