2月 02 2021
災いの町 道は一つ
もう布施くらいされてはどうでしょう。
そんな泣きべそかきながら怒っていられてもこちらもどうしようもないからです。どれだけ怒ったって布施してくれないと止まらないからです。その災いは(天罰は)です。
それ以外どうしようもないのだからすればいいでしょう。布施くらいのことです。それで起きてくる災いも起きなくなるのです。ではその方がよほどいいでしょう。怒れば怒るだけ起きてくるからです。
そのような災いはです。だからもう真剣に起きてくることを考え正しい態度を取ってはどうかといっているのです。何度も繰り返しますが、それ以外ないからです。救われる道はです。
家の近くの会社なんですが、そこはちょこちょこ嫌がらせをして来たところなんですが、最近急に静かになって(何か起きたんでしょう)何もして来なくなったと思ったら、昨日また急に怒り出してシュウシュウやり出しました。
そこは怒っていると私が通るとエアーを勢いよく吹き出してシュウシュウやってくるのです。
それで「もう感謝して布施しろよ、そうすれば天罰も止まるから」などといってもききません。怒ってブシュ―とやりっぱなしです。だから「じゃあ、病気になってもいいのか」というとピタリとエアーの音が止まります。
「なら布施しろよ」というとまた怒り出してブシュ―です。
じゃあどうするのか? という話です。
病気になるのも嫌なら布施するのも嫌。そんな子供ではないのですから、どちらか選ばなければいけないものはいけないと、もう理解すべきなのです。これだけ災いが続いているからです。
布施が嫌なら災いは止まらないし災いが止まらないなら、ドンドン自分たちが病気になって最後には滅ぼされるのです。この辺りは周りもそんなところばかりなんですから、そうなるでしょう。
自分たちもです。もう時間の問題なのです。もっと大きな不幸が降りかかってくるのはです。
もはやこの辺りは災いの町と化しているからです。それだけこの辺りにはたくさんの災いが起きているということです。
だから真剣に考えろといっているのです。
病気になり滅ぼされた方がいいのか、それとも感謝して布施して幸せになった方がいいのかをです。
そういう状況なのです。もうこの辺りはです。そういう人が(滅ぼされている人が)次々に出ているんですから、これ以上の事実はないはずです。
だから神理に従うべきであるといっているのです。こういう恐ろしい災いから守れるには神理に(本当の神の教えに)帰依する以外ないからです。
神理に帰依するなら本当に災いから守られ奇跡も起きるのです。この私が、その何よりの証拠なのです。神理に帰依している私には災いなど起きず、奇跡もたくさん起きているからです。
では、これ以上の証拠はないではないですか。
それにもかかわらずです。この辺りの人たちは神理を潰すつもりなんでしょうか? 神理を見るだけ見ていながら、私に嫌がらせを繰り返し、一切の布施を拒むということは、そういうことになるからです。
神理を潰すということにです。
それでは神も許さないでしょうし、第一そのような態度は自分で自分の首を絞めているのと同じなのです。
神理を潰してしまって、あとどうやって救われるというのでしょう。
これまでの信仰で救われますか? 今日は節分ですが(二月二日の節分は百二十四年ぶりだそうですが)鬼は外などといいながら豆をまくだけで、こちらで起きている災いが止まりますか? そんなことで本当に邪気が払われるのですか?
残念ではありますが、豆などいくらまいても邪気が払われ災いがおさまることなどないのです。
その邪気を払い災いをおさめるには自分の心を正しく変えないといけないからです。
そうなってはじめて邪気は払われ災いが止まるのです。
では、その正しく変えるための心の基準は何なのですか? それがこの正法神理であるということです。
だから神理を潰してしまったら、自分たちの首を絞めることになるといっているのです。正しさの(本当の)基準が分からなくなるからです。
その結果が、いま現在なんでしょう。心の正しい基準が分かっていない人が多いため、これだけ混迷し災いが起きる世の中になってしまっているということです。
だからこれだけ災いが起きてくるのです。それだけ心の正しい基準を間違えている人が多いからです。
しかし、心が正しければこのような悪いことは起きて来ないということです。それは何度も書きますが、私が証拠なのです。
神理を知って心を正している私には災いも起きないし、奇跡もちゃんと起きるのです。心が正しければそれでよいという(勝手に邪気は払われるという)何よりの証拠なのです。
だから、その正しい心の基準である神理を潰そうとするなら、それを神が許すはずがありませんし、そんなことをするなら自分たちが潰されます。
だからこういうことになっているのです。この辺りの多くの人たちの態度が神理を潰そうとしている態度、そのままであるからです。
そういう態度を取っていていいことが起きてくるはずがありません。だから、次々に災いが現れ災いの町と化すのです。この辺りはです。
この辺りの人たちの態度が(神から観たら)最低最悪の態度を取っているからです。それだけ神理を潰そうとする態度はいけない(危ない)ことであるということです。
だからそのような自分たちの超がつくほどの危ない態度を反省しないといけないというのです。それだけ危ない態度を取っているからです。この辺りの人たちは知ってか知らずかです。(多分、知らないでしょう。自分たちがそれほど大それたことをしているなどです。しかし、起きてくる現象でそれは理解しないといけないのです。自分たちがしていることがどれだけ悪いかはです。すでにこの辺りは災いの町と化しているのです。では、どれだけ悪いことをしているのか自覚すべきなのです。自分たちが神に対してです)
だから、いつまでも、俺は知らんというような無責任な態度を続けているのではなくです。(ほんと危ない。この状況でそういう態度はです)もっとよく考えないといけないのです。
自分たちの態度をです。
そのような(超危ない)態度を変えない限りは絶対に起きてくることは(超危ない現象は)変わっては来ないからです。
だからどこも一つもいいことが起きて来ない。自分たちのあまりに間違った(神理に対する横柄な)態度を改めないからです。
その典型がどこかの会社などでしょう。もう災いが起きっぱなしのようで、会社の中で小さな音を立てて(哀れです)ずっと怒っています。(そうしてところどころでキレて)止まらないのでしょう。起きてくる災いがです。
そのままでは本当に滅ぼされますよ。こちらはもう布施をもらえねば、やれないところまで来ているからです。もうすぐにでも布施をもらいたいくらいだからです。
神理を説いている者がこれだけ困っているのです。にもかかわらず、神理を見ている者たちが一切それを助けようとしない。それどころか、そんなことなど知らぬ顔で嫌がらせをし続けている。
そのような人たちを神が許すはずがないでしょう。だからこれからはもっと激しくなります。起きている災いはです。
だからもう判断しないといけないのです。そのまま態度を変えず、病気になり、滅びていくのか、それともここで改心し、奇跡が起き栄えていくのか、そのどちらにするのかをです。
改心する気がないのなら、そのままの態度を続ければいいでしょう。そうすれば黙っていても災いが起き滅びていくからです。(そうして死後は確実に地獄行きです)
しかし、改心する気がある人はです。ちゃんと頭を下げ感謝の布施くらいするべきでしょう。
そうすれば神は、これまで神に背いた罪を許してくださり、災いは止まり周りに奇跡も起き栄えていくからです。(そうして死後はもちろん天上界です。ただし、その心が変わらなければという条件付きですが)
どちらがよいのでしょう。しかし、このようなことはきくまでもないのです。
どれだけ強がり意地を張ったところで不幸を喜ぶ人などいないからです。だから元々道は一つなのです。
自分たちが救われる、改心して感謝して布施する以外の道はないということです。
本当に真剣にいま起きていることを考えないと、本当に、本当にです。滅ぼされるのです。もうそのような人たちがこちらにはたくさんいるからです。それだけひどいことをしているのです。
こちらの多くの人たちはです。自分たちに自覚がないだけでです。
そのようなことをもっとしっかり考えないといけないということです。この辺りの一人一人の人がです。
そうして正しい判断をしていかなくてはいけないということです。一人一人がです。(何で私がこれだけ一人一人がということを強調して書くかといえば、もうこのブログは子供まで見ているからです。その子供たちも一人一人が自分で何が正しいのかは判断するしかないのです。この辺りの大人たちは正しい判断が出来ないからです。〔その大人がボンボン滅ぼされているからです。自分たちの間違った判断によってです。そういう大人たちのいうことをきくなら自分も滅ぼされるからです〕間違ったことを書く者に奇跡は起きません。私がいうことが正しいのか、それとも私以外のいっている人のいうことが正しいのかは自分では判断するのです。その判断を間違うと自分にも災いは起きてくるからです)
もうわき目もふらず、神理の道を進みませんか。その道こそ救われる(幸せになれる)唯一の道だからです



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