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2月 06 2021

怒りより感謝 自分の人生は自分が主役

11:04 AM ブログ

もうどこも凄いようですね。そういう言い方も変ですけどね。

もうどこかの会社も止まらないようですし(ドン引きしても怒ってもどうやっても止まらないようです)S運輸の人たちもあれだけ前回書いたのに、まったく反応して来ません。(昨日も何台かトラックを見ましたが。そうして声もかけましたが)

もうドンドン出ているようです。天罰がです。そこらじゅうにです。

昨日のことです。この前はじめて入った薬局に昨日またいくと凄く怒っているスタッフがいます。だからいったのです。この前、会計にいた男のスタッフに会計が終わった帰り際にです。

「感謝して布施してな」とです。そうしないと病気になるからとです。この前の薬を買って会計した時、くだらない嫌がらせを(鼻をすするような)そのスタッフはして来たからです。

本人はまさかそれくらいのことで病気になるとは思っていなかったのでしょうが、なるのです。それくらいのことでもです。残念ではありますが天罰はくだるのです。

もうどれだけ多くの人たちが、そのようなくだらない嫌がらせをして天罰を食らったことか、だからいっているのです。神理を見ているのなら感謝しないといけないとです。

そうしないとまず天罰がくだるからです。なぜなら、天罰はそのような表面的な理由からくだっているわけではないからです。天罰は内面(心)の問題が大きいからです。

表面上は大したことない行為であってもです。その心はどうでしょう。私に対する嫌がらせをするその心はです。ずいぶん怒りが強いのではないでしょうか。私にじかに嫌がらせをしてくるくらいだからです。

その怒りの心に天罰がくだっているわけです。神理に対し怒りのお返しをしているようでは、その怒りは全部自分に返ってくるからです。

それが天罰(病気)となって自分に現れるわけです。その怒りの理由がどのような誤解からであってもです。

私に対する怒りなど誤解以外の何ものでもないでしょう。だって、私はその人を知らないわけだし、その人も私のことなど知りません。

ただ、私の噂とブログを見て怒っているだけなのです。そんな噂など正しいわけがないのにです。にもかかわらず、くだらない噂を真に受け神理を見ていて怒りを持つなど間違い以外の何ものでもありません。そのような心に天罰がくだるのです。

私に嫌がらせを実行した、それが引き金となってです。

だから、表面上は大したことをこちらにして来なくても、自分の心の私に対する怒りが自分自身に返ってくるのです。天罰(病気)となってです。

だからいってるのです。神理を見ているのなら感謝して布施してくださいとです。そうしないと危ないからです。そういう不遜な心では(神理を知らされていて怒っているなど)必ずどこかで罰が当たるからです。

神理を伝えられるくらいの恩もないのです。しかし、その恩に対し怒っているというのですから、それだけ大間違いな心もありません。だから人によってはひどい病気にもなるのです。

その大間違いな心が自分に返ってくるからです。だからひどいことにもなるわけです。その間違った怒りの心が大きければ大きいほど返ってくる怒りも(病気も)大きくなるからです。

だから、その薬局の怒っていたスタッフにもいったんですけどね。感謝して布施しないと今度は自分にも罰が当たるとです。だから感謝の布施を必ずしてくれとです。

本当にそうなるのですから、もっと真剣に私のいうことをきけばいいのですが、現代の人たちは、そういうことをまったく理解しようとしません。そうして悪魔の左翼思想の虜となっています。

また責任転嫁して怒っているだけでいうだけ無駄でしょうが、しかし、いわなければ死ぬまで正しいことが分かりません。いい続けるしかないのです。すぐに理解しないと分かってはいてもです。

それ以外でこのような人たちが神理を正しく理解する方法はないからです。

しかし、これまで起きなかったことがこれだけ起きているのです。いい加減、少しずつでも理解されてはどうでしょう。神理を正しく理解し行わない限り、その起きている災いは止まらないからです。

その薬局の近くで工事をしている(道路を)連中がいたのですがこの連中も怒っていました。この前、その薬局にいく時にやはりこの連中も嫌がらせをして来たからです。

とたんに出たのでしょう。薬局のスタッフと同じように天罰がです。それで怒っているのですが、怒っていてはまた出ます。

そういうものなのです。天罰とはです。自分たちがそのような罰当たりな態度を改めない限り出続けるのです。天罰はです。

もう傲慢な左翼思想は改め、謙虚なこの正法神理の教えに従ってはどうでしょう。そうしない限り、これからは悪いことが次々に起きてくるからです。

怒りよりもっと感謝の心を持たないといけないからです。そのような怒りばかりを持っている心が(こういう人たちは普段からそういう怒りの心を持っているのでしょう)災いを呼んでいるからです。

だから、こういう人たちは、この神理にかかわって天罰を受けなくても、結局、新型コロナとか、癌とか、天変地変とかの災いを受け、不幸になったのです。そのような心ではです。

その不幸が少し早く来ただけなのです。神理(を説いている私)にかかわったがためにです。

だから同じことなのです。そのような心の悪い人たちはどちらにしても自分の人生の中で、そのような悪いことは(苦しみは)起きてくるからです。

しかし、これもまた有難いことなのではないですか。反省出来るチャンスをそれだけ早くいただけたからです。

反省のチャンスが早ければ早いだけ、反省出来る機会は増えるのです。晩年に反省のチャンスをもらっても反省出来ますか?

よぼよぼの年寄りになって、そこで癌になったら年だから仕方ないで終わってしまうでしょう。そうなって病気になっても何も反省など出来ないのです。

例えば、早い(若い)時期に自分が人に嫌がらせをしたとたん癌になったなどとなれば(他の病気でも同じですが)何でこういうことになったのかとたくさん考えることが出来るのです。

そういうことが起きて「こうなったのはお前のせい」で終わらせていてはこれだけもったいない話もないのです。それだけ不思議なことが起きたのなら、それだけいろいろ考えさせられることも多いはずであるからです。

そうではないでしょうか。これは偶然起きたことなのかとか、やはり噂通りあいつが病気にしたのかとか、しかし、そんなことが起きるのだろうかとか、本当に神の力が作用しているのだろうかとか、あいつが悪魔で悪魔の業にかかったのだろうかとか、いろいろです。

そういう中から正解を見つけるのです。自分自身でです。正解を見つけるなら、その癌はドンドン快方に向かうからです。しかし、正解を見つけられなければよくなったり悪くなったりの繰り返しで、あまりに正解から遠い心のままなら、そのまま癌で亡くなるということにもなるのです。

ただ一つだけいっておきたいことは、もうお前のせいでこうなった、などという甘い考えは捨てることです。

お前のせいもへったくれもなく、みな自分のせいでそうなっているからです。だから自分が苦しむのです。自分のせいでそうなったからです。自分のせいでそうなったから自分が苦しんでいるのです。

人のせいでそうなったのなら、そうした人が苦しむのです。この世はそのような仕組みになっているからです。

よく考えてみてください。まさか、自分の人生を人の人生などという人はいないはずです。

自分の人生は自分だけのものであり、その自分の人生の中で自分が苦しんでいるのですから、ならそれは自分のせいでしょう。

仮にそれが人のせいでそうなったとしてもです。それは、その人が自分が苦しむきっかけをつくったにすぎないからです。それもすべて含めて自分の人生には変わりがないからです。

そういう自分の人生の中で自分が苦しむのも、楽しむのも、全部自分が主役でそうなっているのであり、だから全部自分のせいなのです。自分の人生は自分が主役ですべて自分がつくっているからです。

だから、そうなる原因は自分にあるのです。

苦しみをつくる原因も楽しみをつくる原因もです。その人生の主役である自分が苦しんだり楽しんだりしているからです。では、その原因は自分でつくっているでしょう。

要は、自分が主役の自分の人生に人が入り込める余地などないということです。

人には人の人生があるからです。他の人は、他の人自身の人生の主役であるからです。

だから、お前のせいなどといって責任転嫁している人たちが、いかに的外れか少しはお分かりいただけるでしょうか。

自分の人生は自分が主役なのであり、その主役は脇役に影響など受けないのです。全部自分でなんとかなるからです。だから脇役に何をされようがいくらでも自分の人生はよくなるということです。自分のやり方次第でです。

主役はどこまでいっても主役であり脇役ではないからです。

その自分の人生の正しいやり方を(演じ方を)教えるのがこの正法神理です。

責任転嫁など、自分が主役である自分の人生の主役を自分で降りているのと同じなのです。そんなバカげた行いもありません。

自分が主役である自分の人生です。幸せに楽しく暮らしませんか。それにはこの正法神理は不可欠なのです。

(それと分かる現象が次々に現れて来ています。いい加減正しく理解しませんか。この正法神理をです)

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