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3月 25 2021

我が強い弊害

10:53 AM ブログ

もういい加減にしたらどうでしょう。

どれだけ怒っても死ぬ人が増えるだけです。どこかの会社など怒れば怒るだけ死ぬ人がドンドン出てくるのです。昨夜もまた出たようですしね。急死する人がです。

しかも一人ではない。(もう今日など朝からドン引きしてるんで「昨日は何人死んだんだ」ときいたらよけいドン引きしていました。一体、何人死んだんでしょう。〔汗〕)

だからもう頭を下げるしかないのです。まだそれが分からないんでしょうか。これだけ急死する人が出ているのにです。

昨日もやたら怒ってでかい音を立てていたのに、私が近くまで歩いていくとピタリとそのでかい音を立てるのをやめて、後は私が何をいっても無視している会社がありましたが、あんなところも出ているんでしょうね。急死する人がです。

態度がおかしいからです。もういくところ、いくところ、私に嫌がらせをしてきた会社などみな出ているようだからです。急死する人がです。

最近は私がこんなことばかり書くからでしょうか、やけくそになっているところも多いようですが、しかし、私はこの辺りで起きていることをそのまま書いているだけなのです。

もうこの辺りはすでに相当危ないことが次々に起きて来ているから、その起きていることをそのまま書いているのであって、今のままでは、その危ないことが起きて来そうな人がまだこの辺りにはたくさんいるから書いているのです。

このままではこの辺り、まだ死ぬ人がたくさん出そうであるからです。

何回も書きますけどね。こんなことが起きれば昔の人たちならもうとっくに頭を下げ布施してくれていたのです。だからそんな災いはおさまったのです。

多くの人たちが心を入れ替え行いを変えたからです。

例えば、三千年前にモーゼが現された過ぎ越しの祭でも、もし、あの時エジプトの王が我を張り続け、どれだけ死ぬ人が出て来ても折れなかったとしたら(奴隷を開放しなかったとしたら)どうなっていたでしょう。

エジプト中の長子が死ぬことになったのです。つまりもっと多くの不幸が現れたということです。

そういうことと同じことをしているのです。いま現在の多くの人たちはです。だからこんなことをこのまま続ければ一気に急死する人が出るか、またはどれだけ大きな現象が現されるか知れないのです。つまりもっと多くの不幸が現れるということです。

今のまま多くの人が我を張り続けるならです。

もうその気配が出て来ています。だから他の地域の人たちも他人事のようにこちらに起きていることを見ているのならです。

これもまた何度もいいますが、どんな大地震やすさまじい大雨や台風などくるか知れないのです。

これは脅しでも何でもなく、ちょっと考えれば分かることなのです。もうこちらでは人が次々に死に始めているのです。こんなこと人が起こせることではないのです。

だから神が起こしているのです。

そういうことが起きているのに、誰も全然態度を変えないというのなら神の怒りはもっと激しくなります。では、当然そういうことも起きるでしょう。

神の怒りがもっと激しくなるのなら、もっと激しい災いが起こり出すのは必然であるからです。

だからいつまでも我を張っているからいけないのです。あまりに我が強ければ不幸にしかならないからです。

自分の周りで考えてみてもそれは分かるはずです。我があまりに強い人が自分の回りに一人でもいたらどうなるでしょう。その人だけでなく周りも不幸になるのではないですか。

例えば、仕事場に我がやたら強い人がいたとします。そういう人が一人でもいるなら、その仕事のやりにくいことといったらないでしょう。

そういう人がいるなら、当然、その人の仕事のやり方に皆が振り回されるからです。

それは家庭でも同じでしょう。やたら我の強い夫や妻がいるなら、その家庭は不調和になりうまくいきません。

だからそれはどこでも同じであるということです。

このブログを見ている人はあまりに我が強い人が多いため、絶対に神の心に(神理に)従おうとしません。その我の強さがこれだけの不幸を呼んでいるということです。日本中にです。

この辺りの人たちなどその典型でしょう。(どこかの会社など典型中の典型)どれだけ私が神理を見ているのなら、気持ちだけでいいから布施してくださいといっても絶対に布施などしません。(それなのにこのブログだけは見ている)

そうして神理を説いている者に嫌がらせなどすると罰が当たりますので、そういうことはしてはいけないとどれだけいっても、それをいえばいうだけしてくる人もあって、私が何をいっても絶対にきかないのです。この辺りの人たちはです。

その結果、これだけの不幸が起きているのです。癌やら何やらおかしな病気になる人が多数いて、そうして最近は次々に人が急死しているというのに、それでもまだ私のいうことをきこうとしないのです。

死んでもきかないというのですから恐れ入りますが、だから死ぬほどのことも起きてくるのです。そういうことを自分でしているからです。自分がしていることが自分に返る、因果応報です。(確実にそのような法則は作用しますから)

しかし、このような人たちがもし私のいうことを素直にきいていたのなら、これだけの不幸は起きなかったのです。(それは断言出来ます)

不幸どころか、人によっては奇跡が現れる人もいて、多くの人が幸せになったのです。

私のいうことに我を出して逆らわずに素直にきいてくれさえしていればです。

しかし、我を張りまくって未だ私のいうことに逆らい続けている人たちばかり。その結果、災いは止まらず、その災いのひどさが増してドンドン不幸になる人が増えているというのです。この辺りはです。

それでもまだ逆らう気は満々のようです。どこかの会社などはです。(まだ、じゃましていますから。このブログを書くのをです。小さい音でですが。〔苦笑〕)

しかし、ソロソロ理解する人が出て来てもよいのではないですか。もう即座に滅ぼされる人まで出て来ているからです。自分の我があまりに強いがためにです。

それをいつまでも偶然や責任転嫁していたところで、それではいつまでたってもよくなっては来ないのです。自分の行いを変えない限りはよくならないからです。自分の回りに起きていることはです。

自分の回りに起きていることは自分が変われば変わるのです。自力本願です。

人はどうでも自分が変われば少なくとも自分の回りに起きていることは変わってきます。すべて自分の回りに起きていることは人のせいではなく自分のせいであるからです。

だからまず自分の態度から変えませんか。自分の態度が変われば回りに起きていることも変わってきて、自分の回りが変わってくればそれに刺激を受けて変わる人もいるからです。

特にこの辺りはそれが深刻なのです。これほどひどい現象が現れていても、それでも態度を変えず神理を説いている者に対し平気で嫌がらせなどしてくる人も多いからです。

そんなことすればさらに神の怒りが増し、そういうことをする人の回りにはよけい恐ろしい現象が現れて来ます。その時に自分が逆の態度を取っているのなら、その現象はずいぶんやわらぎ当然自分自身は助かるのです。

自分の正しい行いが自分だけではなく周りも助けるからです。(当然そうなります。間違った行いをする人がいれば周りも不幸になるのですから、それと同じです。正しい行いをする人がいるのなら、その正しい行いに救われる人は周りに当然いるのです)

だから正しいことは一人でも行わないといけないのです。そういう人が一人いるだけでもずいぶん違うからです。そこに現れる現象はです。

この正法神理に従うなら奇跡が現れて来ます。(従わないからこれほどの不幸も現れているのです)

一人でも従いませんか。その従った人から順番に救われていくからです。

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