4月 07 2021
神の思想に従えば幸福に 悪魔の思想に従えば不幸に
ですから何で現在はこれだけ災いが多いのか?
それは悪魔の思想に洗脳されている人が多いからです。だから悪いことばかり起き不幸になる。
悪魔の思想に従っているからです。
しかし、神の思想に(神理に)従っている私たちは奇跡ばかりが起きてくる。それが幸福になる道であるからです。
その通りのことが起きているのですから、これだけ正しい話もないわけです。
そうしてそれが分っていても、それでも多くの人が神の教えに従うことが出来ない。何度も書きますが悪魔の思想に洗脳されているからです。
だから従うことが出来ないのです。悪魔の思想の正反対のものが神の思想です。相容れないのは当然で、このブログを見ている多くの人が神理に従わないのもよく分かります。それだけ悪魔の思想に洗脳されている人が多いからです。
だから神の思想を受け入れることが出来ないのです。だからこのブログを見ていながら神理を無視している人が多いのでしょう。このブログを見ている多くの人が悪魔に洗脳されているからです。知らず知らずのうちにです。
これが悪魔の思想の怖いところなのです。気づかぬうちに悪魔と同じ心になっているからです。
そうでなければおかしいでしょう。奇跡が起きる教えを目の前にして無視をし続けているなどです。
普通であるなら少しくらい実践しようとするはずです。しかし、このブログを見ている多くの人が神理の無視をし続けている。奇跡が起きてくる教えですよ。何で無視しているのか意味が分かりません。
神理に興味がないのなら、このブログを読んではいないはずだからです。
しかし、このブログを読み続けているにもかかわらず、それでも実践しない。それは気づいてはいませんが相当やられているからです。悪魔の思想に自分の心がです。
だから、神理を実践することが出来ない。悪魔の思想を知らず知らずのうちに実践して、その悪魔の思想に心が染まっているからです。
だから、自分がやりたいことはやる、そうして愛ある行いもする人がいるのですが、しかし、神の思想だけは行わない。
そういう人でもこと神理に関することだけは絶対にしないのです。(偽の神の教えに対しては出来ますけどね。偽の神と悪魔は仲間ですから)悪魔に心が侵されていては神理のことだけはやれないからです。他のことは出来てもです。(神理以外のことは悪魔は許しますから。それがよいことであろうとなかろうとです。関係ありませんから悪魔にはです。神理が拡がることだけが悪魔が許せない一番のことであるからです)
だから私がどれだけいっても神理に布施などしない。自分たちに罰が当たっていてもそれでもしない。自分がどうなっても神理流布の方がいけないことであるからです。
普通では考えらえませんが、そういう(悪魔優先の)思想になってしまっているのです。悪魔に洗脳されているからです。
そうでなければこれだけ罰が当たっているのです。少しくらいは布施しようとする人もいるはずです。我が身大事であるからです。
しかし、そのような当たり前のことが出来ない。悪魔が洗脳しているからです。
悪魔が耳元で、布施などしなくても大丈夫だと(いい加減なことを)ささやいたり、悪魔の思想に染まってしまったその心を神理にソッポを向くよう仕向けたり、悪魔がそのように導くのです。
だから、したくても出来ない。この神理に対する布施がです。やろうとしても、急にそういう気がなくなったり、急に腹が立ってきたりしてです。
何であいつにそんなことをいわれなければならないのかとか、布施しようがしまいがそれはこっちの勝手だろうなどと、そういう布施に反する思いが出てくるわけです。悪魔に心を導かれているからです。
しかし、よく考えてみれば分かるのです。本当にこのブログを見ていて布施しなくていいのかどうかはです。
だって、このブログを見ていて布施をしない人たちにドンドン災いが現れているのです。布施しなくていいわけがないでしょう。そんなこと起きてくるブログなど、このブログだけなのですから。
そういうブログを見ていて布施を無視するなど、やっていることが明らかにおかしいのですが、それが全然分からない。
そんなブログがあるなら(ある意味そんな危ない)誰だって布施くらいするはずなんですが、その布施を死んでも嫌がるのです。考えられますか?
これが悪魔の支配の怖いところなのです。それがどれだけ危ないことであろうと、その危ないことを敢えてさせるのです。悪魔はその人がどうなってもかまわないからです。そんなことより神理を流布された方がよほど悪魔は嫌だからです。(神理が流布されるなら自分の存在が分かり、自分の住処〔すみか〕がなくなるからです。悪魔は人間の間違った汚い心にしか住めないからです。しかし、神理が拡がるなら、その間違った心が正しく、汚かった心がきれいになります。そうなったら悪魔の居場所がなくなるからです)
だから、こちらなどその神理に逆らい続けている人が多いものですから、どれだけ天罰がくだっているのか知れませんが、それでもまだ逆らい続けているのです。多くの人がです。そういう人たちのほとんどが悪魔に支配されているからです。
だから神の教えには絶対に従わない。それでドンドン不幸になっているのです。悪魔の思想に従っているからです。
そうして神理を説いている者に嫌がらせです。神理を説いている者にそういう態度を取るなら絶対に不幸になるのです。
嫌がらせをしなくても、神理を説いている者に非協力的だったり、神理を説いている者をだましたりするならば、そういう人もみな不幸になります。
こちらの人たちのように病気になり死ぬまではいかなくても、死んだ方がましだと思うくらい大恥をかいたり、また何をしてもそれを悪くとられて決してよくは思われなかったり、そういう不幸なことが起きてくるのです。
神理を説いている者に対しよくないことをする者たちはです。
なぜなら神理を伝えられるほどの恩もないからです。その恩を仇で返すなら、その人の人生は一変に悪くなって、そういう不幸な人生を歩んでいかなくてはいけなくなるのです。
実際そうなっている人もいるはずです。それは神理に対し恩を仇で返しているからです。だからそれだけ悪い方、悪い方へと導かれるのです。
それだけ悪い行いもないからです。
だから、もしそのような悪い巡り合わせしか巡って来ないような人たちがいるのならばです。そういう人たちは、自分たちの行いを反省し、この神理に感謝の布施をすればいいのです。
そうするなら、そのような悪い巡り合わせは段々よい巡り合わせへと変わってきて、よい方向にもいけるからです。それだけ善い行いもないからです。
しかし、そのようなことをしない限り、悪い巡り合わせをよい巡り合わせに変えることはなかなか出来ないでしょう。
自分の心をよい方に変えない限りは巡り合わせは変わっては来ないからです。
ですから、こういうことを考えても分かるのです。そのまま悪魔の思想に従っていればいいのか、それとも神の思想に(この正法神理に)従った方がいいのかはです。
悪魔の思想に従ったままでは、どれだけ順調な人生であろうと、いつ、どこで、どんな落し穴が待っているのか知れないのです。そうして、一度その落し穴に入ってしまうと、下手すれば死ぬまで出て来れないのです。
悪魔の思想に染まっていてはよくなる方法はないからです。悪くはなってもです。
しかし、神理に従っているのならよい方向にも導いてもらえ奇跡ばかりが起きて来て、仮に、そのような落し穴にはまったとしても、それこそ奇跡が起きて救われる道がついて来て前以上によくなるということにもなるのです。
神理の実践をしていての落し穴は、それは自分の心の成長のための落し穴なのであって、悪魔の思想のような本当の不幸の落し穴ではないからです。
このように悪魔の思想にいつまでも従っているのなら不幸にしかなりませんが、しかし、神の思想に従うのなら奇跡も起きて、自分の心も成長し、幸せにしかならないのです。
これは嘘でも何でもなく、最終結果がまったく違ってくるということです。悪魔の思想に従うか、それとも神の思想に従うかではです。(それは生きている時だけでなく死んでから本当によく分かるのです。結果の大きな違いはです)
神理に従うのなら幸福にしかならないのですが、それでもまだ悪魔の思想に従い続けるのですか? このブログを見ている多くの人たちはです。



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