3月 07 2012
縁生
さて、ここで問題です。
親と子は一体どちらが先に生まれるのでしょうか?(どちらが先だと思いますか?)
そんなものは親が先に決まっている、と多くの人は思うでしょうがそうではありません。親とは子供ができて初めてそう呼ばれるのであり、子供ができる前の親は親とは言わず夫婦といいます。夫婦に子ができ、そうして初めて親と言われるようになるのであり、従って親と子は同時に生まれるのです。
ずいぶん勿体つけた書き方をしましたが、何かこの世に生まれてしまうと偶然親子となって、兄弟も友達も夫婦もすべて偶然が重なってそのようになっている、と軽く思っている人も多いと思い、わざとこのような書き方をしました。
夫婦もそうですが(夫婦も結婚して初めて夫婦と呼ばれるのです)親と子もたまたまそうなったのではなく、やはり過去世からの深いつながりがあり、そこに縁が生じて初めてそうなるのであり、決して偶然が重なってそうなっているのではないということです。
特に家族となる人の縁は深いものがあり、その中でも夫婦となる縁のある者は、まったく別な環境で育っていながら同じ家族となるのですから、その縁はより深いものとなります。(だから園頭先生は、妻〔あるいは夫〕は最高の友であると言われていました)
ですからキリストは「神の合わせたもうもの、人これ離すべからず」と言われたのです。
昨今はそのような縁の深さも知らず、ずいぶん簡単に離婚する夫婦が多いようですが、昔など見合いで一度会っただけで(その見合いの席で女性は男性の顔を一度も見なかった人もいたようですが)即、話が決まって夫婦となり、それでも現代より離婚する人が少なかったのですから、やはり昔の人の方が、結婚するという心構え、縁の深さ、大事さをよほど知っていたと言わざるを得ません。(縁の大事さを知るならば、そんなに簡単に夫婦別れなどしてはならないということです。やはり現代の人は縁の深さ大事さをよく知って、その縁に感謝して、もっと考えた行動を取らなければならないと思います。決して縁というものを軽く見てはならないのです。そういう意味では昔の人の方がよほど覚悟があったといえます)
縁があるからそうなるのであり、縁がなければそうなりません。そこは割り切るほかありませんが、しかし、この世の一番大事な縁とはやはり法と出会うことなのです。
「よき師(如来)よき法(神理)に巡り合うこと、まことに難し」
という言葉が残っておりますが、これは如来と、その説かれる法に出会うことが、この世でどれだけ難しいのか、それを言い表している言葉です。そういう方(教え)といつも出会える(またいつまでもいられる)と思うのは間違いで、やはり聞ける時に聞いておかないと、後で大きな後悔をすることになるのです。
どのような縁よりも、この世で如来にお会いし、その法を聞けるほどの良縁はないのであって、今生での縁もそうですが、来世自分がよい縁を持つかどうかも今生の努力次第なのであり、やはりよい縁は切ることなく、よく勉強しておいた方がいいのです。(一時の感情より法に縁を得た喜びを知らないといけないのです。それがどれだけ幸運なことなのか知らないといけないのです)
それによい縁を持ち続けているのであれば、今生でもまた、どこでどのようなよい縁に巡り合うかもしれないのですから、やはりよい縁は切ってはならないのです。(私が言っていることがちっとも分からない人も中にはいますから、そんな人は切れた方がいいかもしれませんが〔笑〕)
聖書に「天の使い来たる時は誰も知る者なし」と書かれてあります。
そんな良縁に恵まれているのですから、その縁を大切にしていただきたいと思っています。



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