3月 11 2012
現象界と実在界、生と死
今日で東日本大震災が起きてちょうど一年になります。亡くなられた方々には心よりご冥福をお祈りいたします。
被災地の復興が一向に進んでいない現状を見るにつけ心が痛みます。被災地の瓦礫の処理だけでも早く進まないものかと思えてなりません。
しかし、その被災地の瓦礫などを見て、では、その瓦礫の山をそのままそこに放置しておけば、その瓦礫の山が永遠にそこにあるのかといえばそうではありません。
多くの人は錯覚していますが、この世の物で永遠に存在し続ける物など一つもないのです。(瓦礫のような)石や鉄といった長い時間同じ形をして、形が変わらないように見える物でも、実際は数十年、数百年と経つうちに風化し、土や大気に還元されてしまいます。
この物質界の物は同じ形を永遠に保つことはできません。時間が経てば必ず他のエネルギーに変換されてしまうのです。それがこの物質界の法則だからです。
それゆえ高橋先生はこの物質界を現象界(げんしょうかい・一時的には物として現れるが、時間が経つと消えてしまう、現われの世界)と言われ、あの世である意識の世界を実在界(じつざいかい・意識界にあるものは永遠に存在する、実存の世界)と言われたのです。
もちろん人の肉体も同じです。一時的には現れますが、時間が経てば他のエネルギーに変換されてしまうのです。それが死という状況ですが、この世の肉体が無くなっても(他のエネルギーに変換されても)人の本質である意識、心というものは無くなりません、他のエネルギー同様永遠不滅なのです。(物理学でいうエネルギー不滅、保存の法則)
私たち人間は、
心=意識
肉体=意識によって反復されるところの物質
この二つを合わせ持った存在であり、人間の本質は意識、心にあるのです。(それはそうでしょう、時間が経てば消えてしまうような肉体に本質があるわけありません)
とはいえ、いくら人間の本質が意識、心であるからと、では人が死んで実在界に帰れば、光の球のようになってしまうのかといえばそうではなく、ちゃんとした光の肉体が備わっているのであり(霊体のことですが、この霊体のことを高橋先生は光の体である光子体と呼ばれていました)この光子体(こうしたい)で、この世の物質界の生活が終われば、今度はあの世、実在界で生活をすることになるのです。
私たちの意識、心の永遠を知るのであれば、肉体の死だけを見てそれを不幸だと思うのは間違いであるし、生きることにばかり執着して死を嫌がるのも間違いであるのですから、この世に生まれてきたことを喜ぶのは当然として、死に逝く時も喜んで死んで逝く、ということが本来あるべき姿なのです。
人間は永遠に無くならない心、意識こそ尊いのであり、肉体はこの現象界を渡っていくただの乗り舟に過ぎないのです。(もし肉体がそれほど尊いものであるなら、手や足のない人は、その分、人として尊くなくなるのでしょうか?姿形で人の評価ができるのでしょうか?手がなくても足がなくても人の尊さに変わりはないのであるし、また姿形だけで人の評価などできるわけありません。では、一体どこで人の評価や尊さは分かるのでしょう?それはその人の心であり人格、人柄なのです。人としてのその生命こそ尊いのです)
この世に一時的に現れている物に、どれほどの価値があるというのでしょうか。
人間の本質である意識、心こそ永遠に存在する尊いものであり、本当の価値があるものなのです。本当に価値あるものとはなんなのか、ということをよくよく知るべきでしょう。
(最近どうも祈りに集中できませんので、現在一人の人を徹底的に祈っています。当分その祈りに集中したいと思っています。)



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