5月 16 2021
続、悪因悪果
本当にあちこちで怒りだしましたね。
私がそれらしいブログを書いているから、皆がそういう態度を取っているんでしょうか? それとも本当にあちこちの会社や現場にそれだけ災いが現れているんでしょうか?
どちらか分かりませんが、しかし、ブログが面白くないからと静かになっていたところが、また私に嫌がらせをしてくるとは思えないんですけどね。
そういうところは私に嫌がらせをして災いが起きたから嫌がらせをやめたと思うからです。
それなのに少々ブログが面白くないからとまた嫌がらせを始めるなら、また災いが現れてきます。
そんなバカなことはしないでしょう。そういう性格の人たちばかりなら(少し面白くないことを書いたくらいでまた怒りだすような小さな人たちばかりなら)嫌がらせをやめるはずがないからです。
いつまでも(例えばどこかの会社の連中のように)嫌がらせをやり続けるはずであるからです。
では、やはりそのような嫌がらせをしていたところにまた災いが現れだしたんでしょうね。
そうとしか思えませんね。本当に久しぶりに嫌がらせをしてきたというところがあちこちにあるからです。そういえばここも前は嫌がらせをしていたなと思いだしたところまであるからです。
ほんとたくさんのところから私は嫌がらせを受けていたんですね。この十年くらいの間にです。
改めてそのことを思いだしたんですが(苦笑)この十年で、この辺りのたくさんのところから布施を受けたというのなら、この辺りは今頃は奇跡であふれていたんでしょうが(ほんと残念です。そのようにならなかったことがです。そうなっていたらまったく変わっていたのにです。こちらの状況はもちろん日本の状況もです)たくさんの嫌がらせを受けたというのですから、それは災いもあふれるでしょう。
神理に対してのお返しが嫌がらせでは災いしか現れないからです。
そうであるなら、やはりたくさんのところにまた災いが現れてきたようです。この辺りはです。
そういう態度を取っていて無反省なままではどちらにしても災いは現れるからです。そういうところにです。罪を罪のまま残しておいても、その罪は消えないからです。
その罪の償いはどこかでしなければいけないのです。だからこういうことも起きてきた。その罪を償う時が来ているからです。
だから私に嫌がらせをしていた人たちはもう反省するしかないでしょう。反省しない限り、その罪は消えないからです。
だから、そのままではもういつ自分に災いが現れるのか分からないのだし、またそれに怒って私に嫌がらせをするなら、よけい災いが現れるのだし(最近は特に凄いみたいですよ。私が祈るとドンドン現れるみたいですから。災いがです。どこかの会社などいい例です。最近は私が祈るとすぐに嫌がらせをやめますからね。この札付きの連中がです。前は全然やめなかったのにです)ならもう反省するしかありません。
反省しなければ、その災いは止まることはないからです。まだこれからどれだけ現れるか知れないからです。
そうなるのです。神理を見ていながら感謝もせず嫌がらせなどしているならです。どこかでその責任は取らされるのです。
起きるべくして起きていることなのです。そのような罪をつくったのは他でもない自分自身であるからです。
だからもう詫びを入れて布施しませんか。神理を説いている私にです。昔の人たちは誰もそのような態度を取っていたからです。そうして、そのような態度を拒否する人は誰も滅ぼされたからです。
そのような歴史を私たちは知っているのです。知っているのに、その滅ぼされている人たちと同じ態度を取り続けるなら、同じことが起きてきます。
だから起きているのです。このような滅ぼされるような現象がです。過去に滅ぼされた人たちと同じような態度を取っている人が多いからです。現代の人たちはです。
自分たちが悪かったのです。そのような大事なことを理解しようとしなかった自分たちがです。
だから、これほどのことも起きてくるのです。それこそすさまじい数の災いがです。それだけ神理に逆らっているということは悪いことであるからです。
しかし、その神理に従うなら今度は奇跡が起きてきます。もう従いませんか。この正法神理にです。神理に従えば従うだけ奇跡が起きてくるからです。
そういう人が増えてくるなら、それこそ今度はすさまじい数の奇跡が現れてくるのです。
起きてくる現象で判断しないといけないのです。自分たちのしていることはです。周りに起きてくることが教えてくれるからです。自分がしていることが正しいか間違っているのかはです。
自分たちが悪い原因をつくっているから自分たちに悪いことが起きるのです。
悪因悪果、その悪い原因をいい加減、断ち切りませんか。
悪い原因を断ち切らない限り、よいことは決して起きて来ないからです。
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追伸…昨日ウナッシーさんからコメントをもらったのですが、そのコメントには、苦手だった勉強に集中するということがいつのまにか出来るようになっていました、ということが書かれてありました。
だから私は、それは心が成長しているからです、というコメントを返したのですが、ウナッシーさんは私と同じくらいですので六十歳くらいの方です。
それくらいの年の方でもまだいくらでも成長するのです。心はです。
心と肉体は別であり、この世の肉体はある程度の年までくれば、その成長は止まりますが心の成長は止まることがありません。
肉体は年をとっても心が年をとるということはないからです。自分の考え一つで心はいくらでも若いままでいられるからです。
だから、いくらでも成長出来る。若いということはまだこれからいくらでも進歩向上するということであるからです。
その心を一番進歩向上させるのがこの正法神理であるということです。
いつまでも同じ考えでいては心は成長していきません。考えを変えていきませんか。この神理に合わせてです。
それが自分自身を成長させ心も進歩する一番の方法であるからです。



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