6月 13 2021
心の成長
昨日も土曜日だというのにありましたね。滅んでいる人が出ている会社がです。
歩いていたらブシューとか急にやりだすもんですからね。「何だ死んだ奴でも出たのか」ときいたらシーンです。もう一ヶ所のところはガンガンやってきて同じようなことをきいたらやはりシーンです。
「ここも出ているのか」「ここはまた出たのか」と、そんな感じですね。他にもやたら怒っているところがいくつかありましたので、ああいうところがみな出ているんじゃないでしょうね。
だとしたら、もうドンドン出ている感じですよね。この辺りは滅ぼされている人がです。
ほんと怖くはないのでしょうか? こういう状況でです。今日も日曜日だというのに朝からやたら怒っているのがいますが(どこかの会社の連中が今日も出てきているんでしょうか?)しかし、どうするつもりなんですかね。この辺りの人たちはです。
このままではドンドン滅ぼされていくからです。そのような(傲慢不遜な)態度を改めない限り止まらないからです。この恐ろしい災いはです。
手を合わせて頭を下げ布施するしかないのです。そうする以外、この辺りで傲慢な態度を取っている人たちが救われる道はないからです。
もうこの状況では神理に頼る以外ないからです。(逆にききたいです。他にどんな道があるというのでしょう。このような恐ろしい状況下でです)
分かるまでいいますが、天罰を食らって怒っているような、そんな横柄な態度を取り続けている人たちなど今の人たちだけなのです。昔の人たちはみな恐れたのです。そんな災いなど次々に現れてきたらです。
もう少し考えたらどうでしょう。自分たちの態度をです。いつまでもそんな子供のような態度を続けるなら、そういう人たちはみな滅ぼされるからです。本当にそうなっているのです。すでにこちらではです。
このような状況の時には、昔の人たちがされていたように神の業を恐れ頭を下げることこそ正しい態度であるのです。しかし、今の人たちは決してそういう態度を取ろうとしません。
それはお前のせいとか、それがどうしたとか、そんな態度ばかり取っています。強がっているのかどうか、それは知りませんが(まあ、強がりでしょう。本当は怖くて仕方がないくせにです)そういう態度を取っている人たちがドンドン滅ぼされています。
素直に神の業を恐れ正しい態度を取ってはどうでしょう。そういう人たちだけが救われていくからです。
しかし、最近など庄内川にいくと必ず釣りをしている爺さんたちがいるのですが、その人たちは同じ場所で釣りをしているので同じ人たちだなとよく分かるのですが、そういえば少し前にニュースで、毎日東山動物園にいっている爺さんがいるということをいっていました。
こういう人たちは年金をもらって悠々自適なのでしょう。悠々自適というより、他にやることがないのでしょう。いくら釣りが好きとか、動物が好きとかいってもです。毎日同じところにいって同じことをしていては飽きもするし、面白くもないはずだからです。
しかし、他に特別したいことがないなら、それをするしかないからです。
私も今月から年金をもらえることになり、もうそういう年になったのかと驚くのと同時に(ほんと早いですね。年金をもらうなどまだずっと先の話だとつい最近まで思っていたんですが、気がついたらもらえる年になっていました)では、私もです。
そういうことをしようと思えば出来るのですが(人が大していないところにいって一日ジッとしている。今の私はそれが一番幸せなんですが。〔苦笑〕)しかし、それではこの世に出てきた意味がありません。
この世に出てきているのならです。やはり死ぬまで心の成長を忘れてはならないからです。だから、心が進歩するための一時の釣りとか、動物園で心を癒して、そうしてまた心が成長することを続けるとか、そのための釣りや動物園にいくなどの遊びなら、それはよいのですが、ただ余生を送るだけのそのような遊びなど時間の無駄以外の何ものでもないのです。
いってはいけませんが、こういう人たちばかりだから次々に滅ぼされていくのです。心が成長しなければもう滅びる、そういう時代になっているからです。
それは特別遊びだけではありません。仕事、仕事と、一生(それこそもう年を取って身体が動かなくなるまで)その仕事をし続け、死の間際まで仕事のこといっているようではこれもまたダメなのです。
それは先ほどの爺さんたちの遊びの部分が仕事に置き換わったにすぎないからです。ずっと、死ぬまでそれ以外考えないでは心は成長していかないからです。
この世の遊びも仕事もそうなんですが、それは心の成長を促すため、心を広げるための一つの道具に過ぎないのです。だから遊びも仕事も心を成長させるためのただの手段に過ぎないのですが、それがいつのまにか目的になっている。手段が目的になっていては心は成長していきません。
遊びはもちろんですが例えば仕事でもそうでしょう。そういう仕事をやり遂げることが目的となっている人が多いのですが(スポーツなどに置き換えて考えれ見れば分かりやすいでしょう。そのスポーツの一番になるとかです)そうではなく、そのような仕事を自分がやることによってどれだけ多くの人が幸せになるとか、助かるとか、自分のためではなく世のため人のために仕事に尽くすと、そういう考えでないと自分の心は成長していかないのです。
だから、自分のことだけしか考えず、自分のことだけしていては全然心は成長していかないということです。いくら仕事などしてもです。(だから食べるためだけとか、金がほしいだけとか、地位、名誉がほしいだけとか、そういうことだけで仕事をしていてはいけないということです)
若い時に一時そのような心になるということは仕方がないことかもしれませんが(若い時はがむしゃらにやらなければいけない時もありますから)しかし、今などそういう人たちばかりなんではないですか。若い人から年寄りまでです。
何でも自分優先で、人のことなど考えない。だから、これほどの災いも起きてきたのです。心が成長していない人が多いからです。心が成長しないどころか、退歩している人が多いからです。
心を成長させなければいけない人たちが退歩しているようでは悪いことも起きてきます。悪因悪果がそのまま現れているということです。いま現在はです。
今くらい心の成長が急務な時代はありません。同じことばかりしてずっと同じ考えのままいるのではなくです。
別な考えを持ち別なこともしてみませんか。そうれすればまた違う道も見えてくるからです。
これまでそういうことはしてきたからではないのです。時代によってやることはドンドン変わってくるのです。これまで通りのやり方が正しいのなら、今これだけ多くの災いが現れてくることはないはずです。
しかし、いま現在、多くの災いが現れている。それはなぜかということです。
もう心を成長させないといけない時代がきています。いつまで同じ態度を続けているのですか? それでは本当に滅びてしまうのです。



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