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6月 29 2021

神理に対する感謝と報恩の行為 天の証明

11:06 AM ブログ

昨日も夜まで騒いでいましたね。どこかのバカ会社の連中がです。

夜になってもガンガンやってくるもんですからね。それで「お前ら夜まで騒いで周りじゅう迷惑だぞ」と叱りつけてやったんですが、そういうとよけい怒ってガンガンやってくるのがいて、それからしばらくしてからでしょうか。

また急に怒りだしたのがいて、その後、怒りまくっているものですからね。ああ、また何か起きたんだなと思って「ザマーミロ、そんなことばかりしとるからだわ」といってやったんですが、そんなこといったらよけい怒って、もうガンガンやっているのがいます。

ほんと迷惑極まりないですね。この連中はです。自分たちがそんなことしているからそうなっているのにです。これだけ分かりやすい天罰もないのにです。

それなのに、それを全部責任転嫁しています。こんな態度で止まるわけがないのです。そのように次々にくだる天罰がです。そのような傲慢な態度がその天罰を呼んでいるからです。

そんなだから今日の朝はさぞ怒っているだろうと思えば、ドン引き状態です。(ところどころで怒ってはいますが)もう止まらないんでしょうね。災いが(天罰が)です。

悪因悪果の典型ですね。

自分たちが悪いことの原因をつくっているから、自分たちに起きてくる災いが止まらないのです。いい加減それを認め反省しない限り、その災いはそういう連中がみな滅びてしまうまで出続けるのです。そういう現象がすでにこちらではあちこちに現れています。

本当に恐ろしいことなんですが、その恐ろしさを全然認めようとしない。怒ってごまかし続けている。本当に哀れとしかいいようがありません。そんな態度をし続けていればやがてはみな滅びてしまうからです。

素直に頭を下げ反省することです。それ以外、助かる道はないからです。

などといくら書いても、このブログを書き出すと始めますからね。書くじゃまをです。またやっています。本当に哀れです。今さらやめられるかとかなり無理してやっているんでしょうが、そういう態度を取るならまた今日もこの会社の連中にこれから天罰がくだることでしょう。必ずです。

もう頭を下げるしかないのです。その災いを止めたいのであればです。それ以外でその災いを止める方法は絶対にないからです。

しかし、こういうことをしてくる連中はたくさんいます。大丈夫なんですかね。工事現場や工場などずいぶん引いているところも増えてきて(やたら怒っているところも多いんですが)トラックもずいぶん減ってしまい、すれ違っていく人など嫌がらせをしていっても後々どうなっているか分からない。

この感じではもうずいぶん出ているんではないですか。災いがです。この辺りなど(このブログを読んでいる人が多いのに)誰一人感謝の布施などしようとしないからです。布施どころか、嫌がらせをしていく人ばかりであるからです。もう何年にもわたってです。

こんなことを何年も続けていれば、さぞ災いもあちこちで起きているんだろうなと思うんですが(それだけ罰当りな態度もないからです)その通りのことが起きているんではないですか。しかも次々とです。

こちらの状況を見ればそれはもう自明であるからです。

だからもうどこかの会社だけではなく、そういう罰当りな人たちはいい加減、頭を下げ(自分たちが悪かったとです)感謝の布施をされませんか。昔の人たちは神理などきけば皆そうしていたからです。

だから救われる人も多かったのであり、そうしない限り、その周りに起きている(起き続けている)災いは止まることはないからです。いつ自分に現れてくるか知れないからです。

だから分かるまで書き続けます。そういうことを(感謝の布施を)行う人が出てこない限り、この辺りに起きている災いは止まることはないからです。止まるどころか、増えていく一方であるからです。

どちらにしても、日本中で起きている災いを止める方法はそれしかないのです。

『神理に対する感謝の心と報恩の行為』そのような徳ある行いを多くの人がすることによって災いはおさまっていくからです。(善因善果)

では、やってもらうしかありません。この神理を見ている人たちがそれをです。だから、やってもらえるまでしつこくいい続けます。それをしてもらうことが、これだけたくさんの災いが起きている日本を救うことにもなるからです。

そう書いていることが嘘ではないということは私に起きている奇跡で証明出来るのです。

昨日でも買物がてらしばらく庄内川にいましたが、川岸を歩いていればあこちこの草むらからすずめが飛び出してきて、私の回りを飛び回り中には足下近くに降りてくるものまでいます。

バッと数羽のすずめが私の回りを囲んだかと思ったら、それがみな小すずめばかりで「何だお前ら元気がいいな」などと声をかければ喜んで飛び回っています。

小すずめだけにピィピィ鳴きながら飛び回り動き回り本当に元気がいいのです。

そういうすずめたちと戯れながら、川の水面近くで少々休んでいると、昨日などは(いつもは細かい魚たちがたくさん上がってくるのですが)大きなのがすぐ近くでガボっとかしてくるので(背びれとかしっぽとか水面から急に出してきて)「何だいるのか」などといいながら、近くの水面をキョロキョロながめていると、ずいぶん大きくてごっついのが(鯉か何かですかね。そのわりには身体がごつかったんですが)水面近くをスっーと泳いでいきました。

あんなごっついのがいるのか、などと思っていると、あっちでバシャン、こっちでバシャンとこれまた大きな魚が跳ねています。(四~五十センチクラスだと思います)

こういう不思議で愛ある奇跡が私には次々に起きてくるのです。しばらく休んでいるだけでもです。

こういうことが(奇跡が)起きる人がいますか? こういう奇跡が次々に起きてくることが、私のいっていることが正しいという何よりの証拠なのです。口からでまかせをいっている者にこんな愛ある奇跡が起きてくることなど絶対にないからです。

正しいことをいっているから、正しいことが起きているからです。

だからそれだけ大事なことであるということです。神理に対する感謝と報恩の行為はです。

それをきちんとする人には奇跡が、それに逆らっている人には災いがこれだけ起きているのです。

それをやらないでいることが、一体どれほどの罪なのかはいい加減理解してください。それをずっと無視しているばかりに、これほど多くの災いが、この辺りなど、これだけたくさん現れているからです。

ということは、私に起きる奇跡だけではなく、その私のいっていることに逆らっている人たちに起きている災いも、私がいっていることの正しさを証明しているのです。

これだけ奇跡も災いも現れていて、それもまだ観念しないのですか? まだ認めずに(自分の)罪を私に擦りつけ続けるのでしょうか。このブログを見ている多くの人たちはです。

それではあまりに情けなく見苦しいのではないでしょうか。ここまで起きてくることが違い、私のいうことが正しいと天が証明までしてくれているのにです。

天が証明してくれているから、これだけ起きてくるのです。奇跡も災いもです。私の周りにはです。その起きる奇跡と災いが何よりの天の証明だからです。

その天の証明をいつまで無視し続けるつもりなんでしょうか。このブログを見ている多くの人たちはです。

このブログを見ている多くの人たちが、神理に対し感謝と報恩の行為を行わない限り、たくさんの災いはまだこれから現れ出続けるのです。

私は口だけではなく、天の証明までもらっています。ただ単に怒り狂って責任転嫁しているだけの人たちとは違うのです。

ここまでしていることが正しいと証明されているにもかかわらず、それをいつまでも認めようとしないのはあまりに見苦しく、人の道からも外れています。

もう潔く自分たちのこれまでの間違いを認め、素直に感謝の布施をしてもらえませんか。神理に対してです。

そうすることこそ、人としての正しい道であり、またそうすることが人として当たり前のことであるからです。

(こちらは人間として当たり前のことを当たり前にしてくださいといっているだけなのです。何でそれが分からないんですか? いつまでたってもです。これほどのことが起きているのにです)

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