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4月 04 2012

原発について

10:15 AM ブログ

昨日は列島大荒れでしたね(今日もまだ北陸や北海道は警戒が必要だそうですが)春の嵐だとか言われますが、そんなレベル超えてましたね(私の地元でも四月としては観測史上最大の暴風が吹きました)低気圧が日本海で突然発達しだしたそうですが(去年の台風15号を彷彿させますね)何か天が怒っているようにも感じました…我を出すなと言っているのに、あてつけのように我を出してくる子がいるのですから、天が怒りもするでしょう。(呆れますね、上の方々カンカンだと言っているでしょう、あなた誰に我を出してると思ってんの)天から警告を受けているにもかかわらず、それを平気で無視しているのですからいい根性しています。

今回は原発の話を書こうと思っていましたので、その件は次回詳しく書きます。

現在は福島の原発事故のせいで、ずいぶん原発を悪く言う人が増え、脱原発どころか原発を全廃せよという意見まで出てきています。

こんな逆風の中、原発擁護の発言をすればボロカスでしょうが、しかし、原発をなくしてはいけないというのが天の心なのですから、私はその天の心に従い原発の再稼働を促し、脱原発は間違いだと言うほかありません。

だからボロカス言われようと、原発の再稼働に賛成ですし、原発事業は進めた方がいいと思います。それに原発を再稼働させないと電力の心配だけでなく、日本社会全体に深刻な影響を与えるのではないでしょうか。(東電の値上げの件でもそうですが、東電に電気料金を値上げされたら、潰れる企業もたくさん出てくるでしょうし〔病院まで潰れかねないそうですが〕どう考えても、当面は原発を再稼働させて乗り切るほかないと思うのですが…)

しかし、冷静に見ていただければご理解いただけると思いますが、現在の脱原発、原発全廃を唱えている人は、福島原発の事故の被害のひどさを見て、そういっている人が大半なのではないでしょうか、つまり感情論で脱原発、原発全廃を主張している人が多いのではないでしょうか。

こう書けば、そんなことはないと多くの人は言うでしょうが、では、福島の原発事故がなかったと考えたらどうでしょう。東日本大震災であんなにひどい原発事故が起こらなかったら、それでもこんなに多くの人が脱原発、原発全廃を声高に言われたのでしょうか?

まず、言われなかったでしょうね、ということは、やはり感情論でそういっている人が多いと言わざるを得ません。

だって原発の怖さは皆さん昔からよく分かっていたわけでしょう。それとも原発事故が起きて初めて原子力の怖さに気づいたのでしょうか?そうではないはずです、ということはただ原発事故にビビって脱原発、原発全廃を叫んでいるに過ぎないということにならないでしょうか。

だいたい動かしても動かさなくても危険度は同じなのに、原発を再稼働させるな、と言っていること自体、すでにおかしな議論だと思いませんか?原発を動かすか、全廃させるか、と言う議論なら分かりますが、何で危険度変わらないのに原発を稼働させる、させないで揉めているのでしょうか?

こういうところを見れば“集団ヒステリー”といわれても仕方がないのではないしょうか。

原発がなくても電力が足りてるか足りてないか実験する、などという議論は危険でしょう。もし電力が足りなくなったらどうするのでしょう。大停電でも起こしたら、病院で死ぬ人たくさん出てくるでしょうし、莫大な損失を出す企業もたくさんあるのです。そうなったら誰が責任を取るのでしょうか。(企業の損失の責任は取れても、電気が止まったばかりに亡くなった人の責任など誰も取れないでしょう)

あまりに無責任なことを言う人が多すぎるように思いますが…。(何日か前に大阪の橋下市長が原発の再稼働は認めない、もし電力が足りなくなったら、自分一人で責任を取るようなことを言われていましたが、そのお気持ちは立派でも、現実にはそんな責任誰も取れないのです。それに橋下市長、口では脱原発だ、原発の再稼働反対だと言われていますが、実際のお心はどうも少し違うようです…最近心変わりされたのですか〔笑〕)

どちらにしても、こんな中途半端なところで原発事業をやめてしまって本当にいいのでしょうか?では、放射性廃棄物の処理はどうするのでしょう。この先電力は足りるのでしょうか?原発事業をやめて日本の経済は発展するのでしょうか?いろいろ問題が出てくると思いますが、全廃を主張する人は、その後の展望も言わないと無責任であると思います。(ただやめろでは書生論にすぎないでしょう)

やはり原発事業は進めないと、日本の経済は発展していかないのではないでしょうか。安全性の確保はもちろんですが、自分たちのことばかり言っているのではなく、世界の人々のためにも、また後世の人たちのためにも、この核燃料リサイクルなどの原発事業は完成させておかなければならないし、そうすることが世界貢献、ひいては後世の人たちのためにもなるのであるし、自分たちの身が危ないだ、原子力のリスクを考えると原発事業は損だ、などという損得の問題ではなく、そのような高所、大局にたった見方が大事なことなのではないでしょうか。(そのような見方が未来の発展に繋がるのです。その先の未来にまた私たちは輪廻転生して生まれるのですから、結局、現在の原発事業を進めるということは、次に生まれることになる私たち自身も助けるということになるのです)

そのような心で事に当たってこそ、道は開けるものであり、また、そのような実践の積み重ねが人々の心を向上させるのです。

犠牲的精神とまでは行かなくても、そのような技術を進めることが、世の人々のためになると思えば、少々私たちが犠牲になっても、そのような技術は進めるべきではないでしょうか。

自分たちの命もたしかに大切ですが、それだけにとどまるのではなく(世界の人々のために尽くすという)神の心をこの世に現す、そのことの方がより大切なことなのです。

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