6月 23 2024
悪魔の洗脳
梅雨に入ったとたんよく降りますね。雨がです。
こちらも先ほどまでよく降っていたんですが、今はやみました。今日は大雨になるところもあるとか。またひどい被害が出ないことを願ってやみません。
しかし、こちらはこちらで土砂降り状態ですね。どこかの球団もです。昨日も打てませんでしたね。また1点しか取れなかったからです。
昨日は1-3で負けたんですが、しかし、3点くらいは取られますよね。ピッチャーもです。それに六回まで3点以内に抑えるならOKなんでしょう。ピッチャーはです。(なんとかっていいますよね。いい方は忘れましたけど)
しかし、この球団が3点も取られようならまず勝てない。もはや祟りです。これほど長いこと打てないのはです。(…まあ、本当に祟られているんだから仕方ありませんが)
それでいよいよ最下位の独走状態にも入りました。元四番もシャレにならないくらい打てません。私が思っていた以上にこの球団は成績が悪くなっています。というよりひどいことをされています。なにせこの球団、一時期は首位を走っていたからです。
それが最下位になるなどあり得ないほど極端であるからです。その成績もです。(天国から地獄だからよけい苦しいでしょう。そんなことになっている球団はです)
予想以上のひどい成績、それだけ神も急がれているということでしょう。神理に感謝出来なければまだまだこんな地獄は続きます。それでも無視を続けるのですか? どこかの球団は神理のです。早く感謝してください。神理に対してです。そうすれば、そんな苦しみはなくなるからです。
別にこの球団だけではありませんが。天罰がくだっているのはです。もうこちらなどそこらじゅうでくだり続けています。
そこで怒るのではなく愛を出しませんか。そういうところで愛をです。神理に愛を出すなら、そんなひどいことは起きてはこないからです。
神理は常に愛を出しているからです。それなのに、それを受けている方がまったく愛を出さない。愛を出すどころか怒りしか出さない。それでは天罰もくだるでしょう。それだけ愛のない行為もないからです。
天罰も愛を出すための一つの気づきの現象でしかないのです。このように神理は常に愛を出し続けています。そんな愛をもらっているのなら愛で返しませんか。そうすればもっと素晴らしい愛がもらえるからです。それが愛の(善の)連鎖となるからです。
私にはその通りのことが起きています。昨日、一昨日でしたか、白鳥公園にいっていて中にある池の辺りを歩いていたら、その池の周りの鳥たちはたくさんやってくる(スズメやハトやカラスやツバメ、その他)池の中からはカメがたくさん顔を出してこちらに泳いでくる、魚もたくさん出てきて跳ねたり寄ってきたりする。
凄くにぎやかでした。私の周りはです。
そこから少し離れたところに大きな工事現場があり(あれはマンションかなにかつくっているんですかね?)そこの現場の人たちは、その光景をよく見ていたはずです。そこのやたら怒っている工事現場の人たちはです。(苦笑)
私の周りに起きている、今あなたたちの周りに起きている現象とは正反対の現象をです。
神理によく感謝出来るなら、そんな私の周りに起きている現象と同じ現象があなたたちの周りにも起きてきます。もちろん、いま起きているであろう恐ろしい現象も止まってです。
どちらがよいのですか。そんな愛ある現象が周りに起きるのと、恐ろしい現象が周りに起きてくるのとです。
それは考えるまでもないと思います。謙虚に自分が悪かったと頭を下げませんか。そうして素直に神理には感謝されませんか。そうすることこそ人としての正しい態度であるからです。
しかし、それをさせないのが、例の自由、平等、民主主義という思想です。そんな悪魔の思想に洗脳されてしまっているため、そういう正しい行いが素直に出来ないのです。
あまりに個人の自由、個人尊重を教えられてしまっているため、どれだけ自分たちに悪いことが起きてきても、それでも自分たちの悪いのは認めず、すべて責任転嫁のお前のせい。自分たちが死ぬかもしれないのに、それでも認めない。自分たちの間違いはです。
そのような(自分は悪くないという、そんなの自由だという)悪魔の思想に芯から洗脳されてしまっているからです。
だから自分の間違いなど絶対に認められない。それでプライドばかりが高くなり、お前と俺は平等のはず(必殺の自由平等思想で)そんな平等のお前が同じ平等の俺様に(自分は俺様。プライドが高いから)なにをいうかということで、そんな(下の)お前のいうことなどきけるかということで、全然私のいうことなどきかない。
どれだけひどいことが起きてきてもです。どれだけ私のいう通りのことが起きてきても、それでも私のような下の者のいうことなどきかない。
その下である私のような者のブログはどれだけよく見ていてもです。それで知らないことをたくさん教えられ心まで救われていても、それでもお前のような下の者のいうことはきかない。それだけでなく起きてくることも全然違っているのにです。
私の周りには愛ある奇跡が、そうしてそういう不遜な態度で私に対している人たちには苦しみの災いが常に起きてきていてもです。
それほどの違いがあっても、それでも私のことは認めず、いつまでも自分より下に見ていうことはきかずにいる。それで滅ぼされてしまう人までいるのにです。
それほど恐ろしいということです。悪魔の洗脳はです。心の底まで洗脳してしまうからです。すると、その人にどれだけ教えられていても、どれだけ周りに恐ろしいことが起きてきても、そうして自分自身にもその恐ろしいことが起きてきても、それでも従わない。怒りと憎しみが先にきていては感謝も恐怖も感じないからです。
だからどれだけ悪いことが起きてきても、それでも私のいうことには従えない。自由、平等、民主主義という悪魔の思想に心の奥まで洗脳されているからです。
愛と慈悲と調和を説くのが、この正法神理の道であり、怒りと憎しみと不調和を説くのが、自由平等民主主義の道であるのです。
だから、それを信じている人は、そういう心しかないのではないですか。表面上はともかく、心の中では怒りと憎しみで一杯なのではないのですか。自由平等などいっている人たちはです。
何度もいいますが、そういう思想であっては調和はこないからです。不調和にしかならないからです。一人一人が自由で平等で、民主主義(それは自分中心主義ということでありますから)であるならです。
まとまりっこないのです。それではです。一人一人が自分のことだけでなく相手も思う、愛と慈悲の心がなければ調和しないからです。心が自由平等など強く思っているならです。
なぜなら、人は生まれながらにして不自由であり、不平等であるからです。人の生き死にを自分で決められるわけもなし、自分の人生もすべて自分の思い通りになるわけではありません。それに顔のよしあしも違えば、一人一人の能力も全部違うのです。
私たち人間は最初から不自由であり不平等なのです。そこに自由平等を持ってくる、最初からいっていることがおかしいのです。無理があるのです。そういっていること自体にです。
そうして民主主義、たしかにほどほどの民主主義は正しいのでしょうが、それが過度になるなら先ほども書きましたが、自分中心主義となり、それではまとまるわけがないのです。そんなことを一人一人がいい出したらです。
だから、それより先にくるのが愛と慈悲と調和であり、それを基盤にして秩序ある自由と平等と民主主義を行うというのならよいのですが、愛慈悲調和を抜かしていきなりの自由平等民主主義ではもめるに決まっているのです。
だからそこに悪意があるといっているのです。それが悪魔の洗脳であるとです。よい意見も、その前提を抜かすと悪い意見になってしまうからです。よいとみせかけ実は悪いことを教えているのが悪魔の洗脳であるからです。
それを分かっていて意識的やっているのが欧米の悪魔左翼リベラル思想であるということです。
だからどの国も、もめているのです。自由平等民主主義しか出さないからです。それだけでは必ずもめるからです。
それを意識的にやらしている人たちがいるということです。そういう人たちを打倒するためにも神理は必要であるのです。
いい加減、悪魔の洗脳から目を覚ましませんか。
そこから始まるからです。自分の正しい人生はです。



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