7月 04 2024
自己逃避より潔さ
昨日は暑かったですね。
昨日は母を病院に連れていっていたものですからね。それで朝から出ていったんですが、そうしたらもう朝から暑い。(苦笑)
そうして母の施設まで歩いていくとその途中にいくつかあるんですよね。やたら怒っている工事現場がです。それでよけい気温も上がりそうで(苦笑)それでまだ怒っているのかなと予想しながら歩いていったんですが、そうしたらもう予想以上の怒りよう。ほんと呆れました。
それで昨日もいってやったんですけどね。こちらはただ歩いているだけだろうとです。実際そうなのです。私はその工事現場の近くをただ歩いていただけなのです。
それなのに勝手に怒って、勝手にやかましことをして、その怒りがどんどん増している。だから私は知らないと、なに勝手にやってんのと、そういっていたわけです。こちらとしてはそうだからです。
実際そうでしょう。こちらには一切関係ないことであるからです。私はただその近くを歩いていただけであるからです。
だから、その近くの工事現場でなにが起きようが私が知るわけがない。なんでそれを私のせいにしているのか。そこと私は全然関係ないのにです。私はただその工事現場の近くを歩いていただけの一住人にすぎないのにです。
それなのに私の顔を見ると勝手に怒り、勝手大騒ぎして、そこで起きた悪いことを勝手に私のせいにしている。本当に意味が分からないんですが、そういう意味が分からない工事現場がたくさんあるのです。この辺りにはです。
別に私がその近くでなにかやかましことをしたとか、そこの工事現場の人たちにいきなりバカ、アホ、ボケとかいったとか、そういうことをしたというのなら、それはそこの工事現場の人たちが怒って、私を見かけると嫌がらせしてくるというのも分かりますが、こちらは一切そんなことしていないのです。
ただ、黙ってすたすた歩いていただけなのです。それなのに、そこの工事現場の人たちはいきなり私の顔を見るとでかい音を立て始め、私が近くを歩いているあいだ中やかましい音を立てるのをやめない。それが仕事であるなら別に構わないのですが、もし私に向かってわざと大きな音を立てて嫌がらせをしているというのであるなら、それは罰が当たるからやめた方がいいと、そう注意していただけなのです。
そういう人がごまんといるからです。この辺りはです。神理を説いている私に嫌がらせをして罰が当たっている人がごまんとです。
それなのに本当に罰が当たったら、それを全部私のせいにして怒りまくってくる。いやいや今生の人たち、昨日の伊藤さんのコメントではありませんが、あまりに心のレベルの低い人が多すぎです。
このように順を追って書いてみれば分かるはずであるからです。それは全部そちらが悪いとです。
こちらはなんら悪いことをしていないからです。単に私は、そのような工事現場の近くを歩いていただけであるからです。
そんな善良な一市民の私に一方的に嫌がらせをしてきたのはそちらの方なのです。にもかかわらず、もし私に悪いところがあるというなら、ぜひ教えてください。メールでも電話でもなんでも結構ですから、そういう私に対しやたら怒っている工事現場の人たちはです。
ただ怒っているだけのあなたたちとは違って、私はちゃんときくからです。自分の悪いところがあるなら、その悪いところをです。(もちろん、そういうところがあればという話ですが。もしそれが難癖であるならそれは反論しますが)
しかし、結果がそれを教えているんではないでしょうか。神理は口でいうだけでなく現象が現れてくるからです。よい方にはよい現象が(奇跡が)悪い方には悪い現象が必ずです。
だからそちらに一方的に悪いことが起きているということは(こちらにはなにも起きていませんので)そちらが一方的に悪いからでしょう。だからこのような結果が現れている。
それだけのことなんですけどね。悪いことをしている方に悪いことが起きている、ただそれだけのです。
それを直(じか)に教えてあげているのですから、これだけ有難い話もないでしょう。そんなことは神理にかかわらなければ分からないことであるからです。口でお前が悪い、いいやお前が悪いといくらいったところで、その悪いことを悪いことをした方が認めない限り、どちらが悪いかは分からないからです。
特に最近はああいえばこういう、などという言い訳ばかりがうまい輩が増えた。それでは裁判でもしない限り、どちらが悪いか分からない。しかし、その裁判も所詮は人間が裁くのであり神ではありません。
だから実際はどちらが正しいのかは分からないのです。裁判だけではです。(まあ、そういう制度であるので仕方ありませんが)しかし、神理は人間ではなく神が裁くのです。天によいか悪いかをきくのです。だから間違いないということです。人間は間違えても天が間違えることはないからです。
その天の言葉が現象として現れてくるのです。天の言葉とは、そのような現象であるからです。人間の言葉と天の言葉は違うからです。
このようなことは神理以外では起きえないことです。(本当はすべてのことに起きているんですが、それが起きるまでに時間がかかりすぎてよく分からないということです。神理以外のものではです)だから私は感謝されこそすれ怒られるようなことはなにもしていないんですが(こんない分かりやすく善悪の判断が出来て)不思議とこの辺りの人たちは、一人としてその神理を認めず、私に嫌がらせを繰り返しています。
自分たちにさんざん罰が当たっているにもかかわらず絶対に自分が悪いとは認めず、それはすべて私のせいなどと見苦しい見え見えの言い訳を繰り返してです。
それで自己満足しているだけなのです。自分は悪くない。悪いのはすべてあいつと悪いことを無理やり私のせいにしてです。
そんな自己逃避をいつまで続けるのですか。自己逃避など、どれだけ続けていたところで救われるものではないのです。
だからよけい苦しむ。それでは悪の上に悪を続けているのと同じであるからです。
自己逃避などどれだけ続けても、最後には、その悪から逃げている自己逃避の(悪の)分まで自分自身に返ってくるのです。神がつくられた法則からは私たちは絶対に逃れることは出来ないからです。
だから、そんなことをしている人たちにももうバンバン天罰がくだっている。どんどん罪をつくっているからです。そのように見苦しく自分の罪から逃げ回っている人たちはです。ただ罪に罪を重ねているにすぎないからです。
潔く自分の罪を認め、潔く頭を下げませんか。そのような苦しみから逃れられる唯一の道は、そのような謙虚な潔さしかないからです。
(昨日はあまりに怒っているところが多かったものですからね。それで今日はこういうブログになりました。〔帰ってきたらどこかの会社もやたら怒っているし〕もう急いだ方がいいと思います。潔く頭を下げることをです。そうしないと昨日もいいましたが勢いを増しているからです。くだる天罰がです。そうして、その天罰は一生続くからです。死んでも止まらないからです)



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