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9月 08 2024

愛の違い 母の愛

10:35 AM ブログ

それにしてもの暑さですね。もう九月もそろそろ中旬になろうとしているのにまだ35度超えのところが続出。(昨日は名古屋も最高気温が35度を超えました)

本当に異常ですね。この暑さはです。

まあ、異常な人も多いので気温も同じなのでしょう。昨日も異常でしたからね。前のバカ会社はです。あれでは(あれだけ大騒ぎしては)今日は休みとはいえやばいでしょうね。どれだけ降りてくるかしれないからです。天罰がです。

一人バカがいるんですよ。この会社にはです。そいつが大騒ぎ。もう仕事も、周りへの迷惑も、会社の評判も、一切関係なく会社の物をたたきつけてでかい音を出しまくっています。ほぼこいつ一人ですね。騒いでいるのはです。だからほぼこいつ一人がこの会社に毎日のように天罰を降ろしているということです。

こういうことを平気でしている奴だからずいぶん我が強いんでしょうが(だから、周りばかりに天罰がくだり、なかなかこいつにはくだらない)だからそいつを静かにさせろと、そうすれば、そこに降りる天罰もずいぶん減るからと何度もいっているんですが、誰もしない。

たぶん、その騒いでいるのがここの会社のバカ息子であるからでしょう。そいつが一人で大騒ぎして神理のじゃまをしまくって(それで神を怒りに怒らせ)周りにボンボン天罰を降ろしている。

それで周りの従業員もドン引きしているんですが、よくこんな会社で働いています。そこでいくら高い給料をもらっていたとしても、ひどい病気になってしまったらなにもならないからです。

だから社長にそんなバカやめさせろとよく声をかけているんですが、やらせ放題のようです。そんな周りから、自分の会社から、従業員から、皆が迷惑している、そんな愚かな行為をずっとやらせているようです。

そういう教育しかしてこなかったんでしょう。だから子供も平気でやっている。会社の物を使って平気で回り中に迷惑をかけることをです。

それが悪いことと分かっていないようであるからです。そんなことより自分の憂さ晴らしの方がよほど優先するからです。(年は40前後でしょうか? しかし、やること子供以下)

自己中の極み、最近はこういう人が(子供が)多いようです。

話は変わりますが、園頭先生が大東亜戦争中の戦地でのことです。先生は若い頃から隊長として(園頭先生は大尉にまでなられた方です)特に中国によく派遣されていたそうです。

そこでの話なんですが、戦いが終わって夜になると日本のことを思い出されて、よく部下の人たちが家族のことを話されていたそうです。

そうして隊長の園頭先生にも「隊長殿はまだお若いから分からないでしょうが嫁とはかわいいものでなにかいえばすぐにしてくれて、本当にやさしかった。今でもしょっちゅう顔が浮かんできます」とか「そのかわいい嫁から生まれた子供はよけいかわいいもので、早く日本に帰りまた子供と遊びたいです」とか、そのような話を散々されていたそうです。

この頃の園頭先生はまだ独身であったので、そのような話を、そうですか、そうですか、ときいていたそうです。

そうして独身の人たちは「自分は天皇陛下のために死ねます」とか「日本のために命を懸けて戦います」とかいわれるので、独身である自分も死ぬ時はきっと「天皇陛下万歳」とか「靖国神社で会おう」とかいいながら死んでいくんだろうな、と園頭先生も漠然(ばくぜん)と思われていたそうです。

しかし、夜になるとそれほど妻や子のことを、あるいは天皇陛下や日本のことをいっていた人たちが、昼間、敵と撃ち合いになって自分が撃たれて死ぬ時など、皆が皆「かあちゃーん」とか「お母さん」とかいって死んでいくのです。

園頭先生はそのような戦いで死んでいく部下たちをたくさん見たそうですが、その中で一人としてです。

一人として死ぬ時に「天皇陛下万歳」とか「靖国神社で会おう」とか、あるいは妻や子供の名を呼んで死んだ人はいなかったそうです。死ぬ間際、声を出せる人はみな決まって母のことを口に出して、そうして死んでいかれたそうです。

それがその頃の園頭先生には不思議でならなかったそうですが、戦後、高橋先生が説かれた神理と出会われ、そうしてその意味がはじめて分かられたそうです。

それほど母の愛は深いということです。

それこそなにものにも代えがたいほどです。というより他のどんな愛にも勝るのです。母の愛はです。

だから最後の最後になると本音が口から出る。いくら日頃は妻や子供のことを口にしていてもです。そうして陛下や日本のことをいっていてもです。それでも最後の最後に死ぬ時は母を思うのです。誰もです。

母の愛ほど自分にとって深く重いものはなかったからです。

だから私はいっているのです。生まれて少なくとも三歳までは(三つ子の魂百まで、という諺はちゃんと意味があるのです)しっかり母の愛を入れないといけないとです。そうしないと優しい子にはならないのです。それこそ傍若無人(ぼうじゃくぶじん)なそういう人間になるのです。小さな頃に母の愛がしっかり入っていないとです。

だから私は(妻ならともかくです)夫の育児休暇など取ってはいけないというのです。小さな頃は父の愛より母の愛をしっかり入れないと子供はよくならないからです。愛を持った子にはならないからです。

だから今は核家族が多いのでどうしても子供の世話は一人では出来ないと、夫の手も借りないと出来ないというなら、それは仕方ありませんが、そういう時でも夫は出来るだけ子供の世話をするのではなく(夜に子供をあやすくらいにしておいて)昼間は他のことをするべきなのです。(家事の方を中心にです)

子供の世話は妻にまかすべきなのです。全部とはいいませんが大方はです。その方が愛ある子に育つからです。子供はです。

とはいえ、妻の方もです。ちゃんとした母の愛を出せる人という限定ではありますが。

先ほど書いたどこかの会社の社長の奥さんとも前に少し話したことがあるんですが、まあ、きつそうできつそうで、少し見ただけで分かりました。

「ああこの人きつい」とです。

そういう人が子供を育てると、仮に母が育てたとしても、そのような子になるのです。最初書いたような、周りに迷惑をかけようが、会社に迷惑をかけようがおかまいなしという、そんな自己中な人間にです。

やはりそうなるのも小さな時に母の愛を入れていないからです。きつい女性では本当の母の愛は(本当の母の愛とは神の愛のことです)入らないからです。

だから、ああこの子にしてこの母ありか、とつくづく思ったものですが、だから不運にもそういう嫁をもらった人はです。(きつくて我のやたら強いです。〔苦笑〕)

そういう時は自分も積極的に子育てに参加して、そうして神に祈りながらやることです。子育てをです。

そうすれば神の愛が常に降りてきて、その子供にもちゃんと母の愛が(神の愛が)入るからです。それがたとえ男親であったとしてもです。

つまり、子育てとはちゃんと教育するのはもちろんですが、しっかり母の愛も入れないと、将来どれだけダメな子になるか分からない、それほどむつかしく繊細なものであるということです。

だから園頭先生は仕事のやり直しなどいくらでもきくが、子育てのやり直しはきかないと、仕事をしながら子育てなどしていてちゃんと出来るのですかと、いつもいわれていたのです。

おかしく育てられた子供をまともに直すことなどそう簡単に出来ることではないからです。

私は、そのような(出来そこないの)子供をいま目の前でまざまざと観ています。

そういう子供を変えるにはです。まず親が変わらないといけないということを知るべきなのです。

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