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1月 07 2025

天上界と地獄界

11:07 AM ブログ

大丈夫なんでしょうか。昨日はいきなりのロケットスタートぽかったようであるからです。(ずいぶんたくさん天罰がくだっていたようです)どこかの会社などです。

それでもまだ同じ態度を続けるのでしょうか。しかし、そんなことを続けているうちにもう寿命がきて終わりということにもなりかねません。いま寿命が尽きるならこれほど面白くない人生もないでしょう。表面上は怒っていますが、内心はいつ自分に天罰がくだるのかとビクビクの人生をもう何年も続けているからです。

神理に頭をさげるなら楽しい人生が送れます。(どんどん奇跡が起きて)そろそろ謙虚な態度を取りませんか。昔の人たちは皆そうしていたからです。

しかし、このブログを10年以上も(あるいはそれ近く)読み続けている人もいますよね。このブログを見ている人たちの中にはです。それで一切、感謝なしですか。

もし、そのような人たちが、それこそ寿命がきて亡くなっていくなら、その人たちは確実に地獄に堕ちていきます。そういう人が家族や仲間内にはすでにいるのではないですか。このブログを長年見ていて一切感謝せず亡くなった人がです。(そりゃ15年もブログを書いていれば、その間に死ぬ人は必ず出るでしょうから)

そういう人たちはいま地獄にいます。地獄で非常に苦しんでいるのです。それは嘘ではありません。これだけ奇跡が起きている私がいっているのです。もう少し真剣にきいてはどうですか。私のいうことをです。

いま現在の坊さんなどなんの奇跡も起こせないのです。では、そんな人にお経を上げられたからと、それで死んでいった人たちが成仏すると思いますか。その人たちはただ昔からのやり方を踏襲(とうしゅう)しているにすぎないのです。

日本は昔から、死ぬ人が出たらこのようにすると、それをそのままやり続けているにすぎない。だから亡くなった人の、その魂が本当に救われているかどうかは分からないのです。

それが分かるほどの人であるなら、当然その人には(何度もいいますが)神の業である奇跡が起きてこないといけないからです。

そのような証明がなければ、ただいっているだけでは、それでは詐欺師とさして変わらないのです。死んだ人が成仏したかどうかなど、生きている人たちには分からないからです。

だから確認しようがないのですから、どうとでもいえます。このお経を上げれば引導を渡せますとか、こちらの高い戒名などつければ亡くなった人は成仏しますとか、どうとでもです。

しかし、その坊さんがそういうのであればです。その証明は確実に必要であるということです。なにか、そんな現象が現れるようなそんな証明はです。

本当は、そのような証明はいくらでも現れているのです。死んでいった人が天上界にいったのか、地獄界にいったのかが分かる、そんな証明はです。

それを知らないだけであるということです。現代の人たちはです。

例えば、親など亡くなってすぐその後、いいことが起きてくることなどあればです。その亡くなった親は確実に天上界にいけていることでしょう。だから、その亡くなった人はこの世の人たちにこの世でお世話になったお礼として、そのような奇跡を現わしてくれているのです。

私がそれで一番心に残っていることがあるのですが、それはあるプロゴルファーの人の話です。もうずいぶん前の話でうろ覚(おぼ)えなんですが、たしかその方のお父さんが亡くなってすぐのゴルフトーナメントでのことです。

その方は涙をこらえてその大会に出場されたのですが、なんとその大会で、その方は奇跡の優勝を果たされたのです。そういう言い方は別に間違いではないと思います。だって、その大会でその方は本当に奇跡の連続であったからです。

林に入ったボールが木に当たってフェアウエーに出てきたり、曲がったボールが風に押し戻されてフェアウエーに戻ってきたり、そういうことが何度も起き、そうして最後にはです。

最後の最後には、なんとグリーン上のボールが逆に曲がって入るという奇跡まで起きたのです。だから奇跡の優勝と私は書いているのです。

これは新聞にもデカデカと載っていましたので(しかも写真解説付きで。〔笑〕)よく覚えていますが、普通ゴルフなどしている人はみな知っていることですが、そのゴルフ場のコースのカップがあるグリーンは平面のところも多いんですが、坂になっていたり、芝目とかもあって、その坂や芝目に沿ってボールは転がっていきます。

そりゃそうでしょう。下り坂のところに転がったボールが下っていくのではなく、重力に逆らい上がっていったり、芝目に逆らって転がっていったのなら、逆に怖いんですが、なんとこの時は、それが起きたのです。その怖いことが最後の最後のもう一転がりのところでです。

強くボールをそちらに打ったというのなら話も分かります。強く打つなら上り坂だろうと、芝目がどうであろうと、そちらにボールは転がっていくだろうからです。

しかし、この時は違っていたのです。グリーン上でカップに向かって打ったボールが最後の一転がりで芝目とは逆の方に曲がったのです。だから皆が驚いたのです。

たしかそのパットは優勝を決めるパットだったのではなかったでしょうか。そのパットが入れば優勝、それが入らなければまだ優勝はどの選手になるか分からないと、そのようなパットであったと思います。(間違っていたらすいません。繰り返しますが、もう何十年も前の話ですので)

その優勝を決めるパットを、その方が打つということで多くの人たちがそれを見守っていたのです。お父さんを亡くした直後の大会で、その方が優勝したのなら、これだけの話題も(亡くなった父親に対する供養も)ありません。だから多くの人たちが、その人の優勝を望み見守っていたのです。

私もあの時はその試合をテレビで観ていましたが、その人がその優勝を決めるパットを打った瞬間、多くの人たちからため息が漏れました。

明らかにコースが外れていたからです。カップに入るようなコースではなかったからです。そうして、その打ったパットのコースはカップから外れているばかりでなく、カップから遠ざかる芝目の上を転がっていったのです。

ああ、これは外したと誰もが思ったその瞬間でした。なんとそのボールが(先ほどから何度も書いていますが)芝目とは逆に曲がり、カップに吸い込まれるように入ってしまったではありませんか。

もはや周りでそれを見守っていたギャラリーは大騒ぎ、テレビで観ていた私もです。「え、なんであれが入ったの?」と不思議でなりませんでした。どう見ても外れていたからです。カップに入るようなコースではなかったからです。その方が打ったパットのコースはです。

それはテレビで観ていた私でも分かるくらいコースが外れていたのです。

ところが、そのカップにはとても入らないだろうと思われたボールが芝目とは逆に曲がってカップに入る、その瞬間優勝確定です。

「嘘」とさすがに驚きましたね。私でもです。ここまで見え見えのお陰があろうかとそう思ったからです。

当然、テレビの解説者なども大騒ぎです。その人の優勝より、ボールが逆に曲がったと、私の印象ではなにかそちらの方がよく騒がれていたように思えてなりません。そうしてこれは亡くなったお父さんがそうさせてくれた、お父さんが優勝させてくれたと誰もがいっていたのです。

そりゃそうでしょう。あそこまで分かりやすくお陰が出ていては誰だってそう思うからです。

だから当然、その翌日、そのことをデカデカと記事にし、写真解説までつけていた新聞にもそう書いてありました。あの優勝は亡くなったお父さんのお陰だとそうです。(写真に矢印までつけて解説していたのには笑えました。こう曲がらなければいけないのにこう曲がった、などとです。〔笑〕その方の優勝よりボールが逆に曲がったことの方が話題になっていたのですから、その時の皆の驚きがよく分かります)

少々長くなりましたが(お陰をよく知ってもらいたいものですから)亡くなって天上界にいかれた方なら、このようなお陰がなにかあるのです。このようなよいお陰が子供たちやら身内やらにです。

そのような(天上界にいける)人たちはこの世でお世話になった恩をちゃんと知っているからです。

しかし、地獄界に堕ちていく人たちは逆のことがよく起きるのです。その方が亡くなった後、すぐに身内が事故など起こしたり、ケンカをしたりです。

そういう時は亡くなった人は地獄に堕ちています。そのような時は、生きている人たちが、よく、その人が成仏するよう努めねばなりません。この世の坊さんのいうことをきいていたところで(お経を上げろだの、戒名をかえろだの)その人は成仏しないからです。するとまたなにか祟ってくるからです。

その地獄に堕ちた人は自分が苦しいからです。(この世の人たちにその苦しみを知ってもらおうと)

だからこのブログを見ていて、そのような身内でも亡くなっている人たちはあまりいいことが起きていないのではないですか。何度もいいますが、神理を無視して死んでいった人たちは例外なくみな地獄に堕ちているからです。今ひどい苦しみの真っ最中であるからです。

そういう人(霊)たちを成仏させるには自分たちが模範を示すしかないのです。それ以外で成仏させる方法はないからです。

だから地獄に堕ちている人がいるわけですよね。今の坊さんたちのやり方では死んでいった人たちは成仏しないからです。今のやり方が正しいのであれば地獄に堕ちる人は一人もいなくなるはずであるからです。

しかし、そういった現象で実はすべて分かるということです。亡くなった人が天上界にいるのか、それとも地獄界にいるかはです。

神理を無視して地獄に堕ちている人たちの魂を救うためには生きている人が神理を行うしかないのです。

そのような生きている人たちの態度を見て、死んでいった霊たちは自分の間違いを悟ることが出来るからです。逆に、それしかないのです。死んでいった人たちを救う方法はです。お経を上げようがなにをしようが、地獄に堕ちた霊たちは、なんで自分たちが地獄にいるのかが分からないからです。

そういう人たちを気づかせるのはこの世の生きている人たちの行いしかないということです。

そのような生きている間から死後の世界までちゃんと救ってくれるのがこの正法神理です。

神理を真剣に学びませんか。そうすれば生きている間はもちろん死んだ後まで救われるからです。

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