5月 18 2010
園頭広周師⑦
軍隊では毎週月曜日に一時間、中隊長は精神訓話をすることになっていました。精神訓話をして中隊全員の意識を統一させることが、中隊長の重要な任務の一つであったからです。ところが中隊長であった園頭先生の話の内容が、宇宙即我の体験をされてからガラリと変わってしまいます。体験されたばかりの宇宙即我の話や人間は神の子であるという話をされるのですから、兵隊たちも戸惑ってしまいました。
そんな話ばかりされるようになった園頭先生の耳に聞こえよがしに入ってくるのは「うちの中隊長は病気をしてから頭がへんになった。神があるとか、人間は神の子であるとか、どうもおかしい」ということだけでした。
こうした空気、雰囲気を解消し、中隊長が話したことは事実である、ということを部下に信じさせるには自分自身が神の実在を証明する以外にない、と考えられた園頭先生は次のように祈られます。
「神よ、神が実在ましますことを、私の体を通して証明せしめたまえ」
園頭先生は、神の実在を多くの人に知ってもらえることを願い、このように祈られました。しかし、このように祈られたことにより、園頭先生ご自身が、戦場でそれこそ命がけのものすごい体験をされることになったのです。
園頭先生が所属されていた鹿児島の歩兵第四十五連隊は、昭和十六年九月、中国で第一次長沙作戦を行うことになりました。
第一次長沙作戦とは、中国第九戦区(長沙方面三十七万その他十三万)を撃破する目的を以て四ヶ師団で行われた作戦です。この時園頭先生が所属されていた鹿児島歩兵第四十五連隊は新墻河を渡河され前進しました。
園頭広周先生著「宇宙即我に至る道」より抜粋します。
<第一次長沙作戦での奇跡
(中 略)
私は配属されていた山砲中隊(砲二門)を山の上に上げて退路遮断のために砲撃を命じ、大隊長の命令でいつでも攻撃前進できるように山の上に布陣した。
敵はそのままだと追いつめられて殲滅(せんめつ)させられるから、日本軍の前進を食いとめるために向こう岸に迫撃砲を据えてこちらに向けて射ち出した。ポーンと発射音がするとそこから砲煙が上がるから敵の迫撃砲の位置がよくわかる。そこにめがけてこちらから山砲を射ち込む。敵の迫撃砲は十三門にふえた。こちらは二門である。そのうち敵の迫撃砲の一発が山砲の直前で破裂して、山砲の砲身の中に砂が入って発射できなくなった。迫撃砲弾で山砲の馬がやられた。最初は山の前方に後方に遠くに落ちていた迫撃砲弾が、だんだん私のいる山頂に集中しだした。私が「ここにおれ」と命じていた兵隊達が、余りに砲弾が飛んでくるので、その砲弾を避けようとして私が命じていた場所から山の下へ下りかけようとした。そのとたんその真ん中に一発炸裂して一ぺんに八人重軽傷者が出た。負傷者の仮手当てをして後方へ担架に乗せて下げる。
負傷者が出たことで中隊は一瞬動揺した。連隊主力が前進してくるのを待ったが、二キロ後方にいた連隊主力は第二十三連隊寄りに方向を変えてしまって、私の中隊は孤立することになった。その時である。「坐れ」という声が天から聞こえてきた。
こちらから敵の迫撃砲陣地が見えたのであるから、双眼鏡で見れば向こうからは私が山上で瞑想、禅定している姿が見えた筈である。
「坐れ」という声を聞いたとき、これで神の実在を証明できるんだと、一瞬の間に思った。
鉄甲(てつかぶと)をかむったまま、胡坐(あぐら)をかいて軍刀を肩に立て掛けて私は坐った。
「今、ここがこのまま神の世界である。われは神に守られている。この瞬間われは敵と戦うという意識を捨てて、神の大調和の世界に入るのである。神の世界は平和である」と、自分の身体の回りに神の光の輪を描き、この神の光の輪の中には絶対に敵の砲弾は入ることができないのであると念じたのである。恐らく敵の方からは山上に坐っている私の姿は見えたであろう。一門残っていた山砲もそのうちに射てなくなってしまった。
「ボーン」という発射音がするとすぐ頭上を空気を切って飛んでくる迫撃砲弾の「ヒュルヒュル」という音が聞こえる。すると前と後ろで「グワン」と破裂してその砂塵が身体を覆う。
「ヒュルヒュル」と空気を切って飛んでくる砲弾の音が耳に入るとその瞬間、あの砲弾が破裂したら自分のこの肉体は木っ端微塵(こっぱみじん)にふき飛んで戦死だ、どこかへ隠れよう逃げ出そうという思いに駆られるのである。恐怖心が起こるのである。恐怖心が起こった瞬間、その恐怖心をパッと切り捨てるのである。切り捨てた瞬間、「ここがこのまま神の実相の世界だ」と呼吸をとめて想念するのである。書くと大分時間がかかるように感ぜられるけれども、それはまさに一瞬の間である。
遠くに落ちたか近くに落ちたかは目をつむっていても音でよくわかる。地面にずしんと突きささったその振動が尻に伝わってくる。今に爆発しはしないかと思っていると、ふしぎにも近くに落ちたのは破裂しなかった。何十発砲弾が飛んできたかわからない。
すると、砲弾が飛んで来なくなった。砲煙が薄れた。見ると廻りには部下は誰もいなかった。あまりにも砲弾が飛んでくるので部下達は砲弾の飛んでこない山の下の方へ退避していたのであった。一番先に山の下から私のところへ上がってきたのは指揮班長の加藤准尉であった。「中隊長殿、ご無事でしたか」といった。
敵の砲弾が飛んでこなくなったのは、都城の第二十三連隊が敵よりも早く渡河して敵の背後に出たためであった。この殲滅戦で第二十三連隊は感状をもらったのであった。
私はこの体験によって、神と一体感を持った時の人間の想念の力が、どんなに偉大なものであるかを教えられた。
このことがあってから「うちの中隊長は若いが豪胆だ」といわれるようになった。>



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