6月 13 2012
人間神の子
この大宇宙は神によってつくられました。大宇宙が発生する以前の大宇宙には光明という神の大意識がそこにありました。
神は、その意識の中で意思を持たれます。そうして大宇宙の創造が始まったのです。
エネルギーを発生せしめ、原子をつくり、分子をつくり、気体を発生せしめ、やがて液体となり固体となって、大宇宙は神の意思のままに整然とつくられていきました。
神ははじめに天体をつくられました。大宇宙をつくり銀河系宇宙、太陽系そしてその中にある地球をつくられ、地球に大地と空気層をつくられました。これらは皆鉱物です。
しかし、鉱物はつくられたままで、それ自体として増殖する生命力を持ちませんでした。そこで神は、自ら成長するものとして今度は植物をつくられます。しかし、植物も成長する自由は与えられていましたが、自ら位置を移動する自由がありませんでした。それで神は動物をつくられます。しかし、この動物も動く自由は持たされましたが、与えられた本能のままに動くだけで、自分の意識によって何かをつくり出すとか、変化する創造の自由を持ちませんでした。
鉱物は鉱物として、植物は植物として、動物は動物としての意識はあっても、それらは皆自由意思を持たない、他によって支配されるのを待つという受身的な存在でありました。
そこで神は、最後に完全な自由な想像力を持った人間をつくられます。
人間は万物の霊長として、神の意思を受け継ぐ神の子として、この世に生まれました。
従って、現在言われている人間は猿から進化したという進化論は間違いです。人間は元から人間としてつくられているのであり、猿は元から猿としてつくられているのです。
進化論のおかしさは前に何度も説明しましたので、ここで改めて説明するのは省きますが、簡単に言えば進化論が正しいのであれば、進化途中の人間がいなければおかしいのであるし、また、人間からさらに進化した人間(か宇宙人か知りませんが)がいなければおかしいということです。
残念ではありますが、そんな化け物のような生き物(半分猿で半分人間または半分人間で半分宇宙人?)など地球上には存在しないということです。(これは動物でも同じです。生物が段々進化して違う生物に変わった、などという生き物は存在しませんし、進化途中の動物などいません。進化途中であると言われている生物は元々そのようにつくられているのです。それにジャワ原人、ペキン原人は猿で、ネアンデルタール人とクロマニオン人はただの人間ということも分かっていますし、何億年も進化していない生物も〔シーラカンス、ヘビ、ワニなど〕存在します。進化する生物と進化しない生物はどのように分かれるのでしょうか?)
人間は元から人間として神につくられたのであり、神の心を受け継ぐ神の子としてこの世に現されたのです。
神は自らの意思によりこの大宇宙を創造されました。それと同時に神の子である人間は、神が創造された地球上に、神がつくられた素材を利用して、人間自らの自由意思によって創造的に生き、神の心の現れである、大調和の世界、すなわちユートピアを建設するため使命を持って生まれたのです。
このような大きな使命を持って生まれた人間が、その神の心を現そうとせず、自分たちのことばかりやっていてよいのでしょうか?
それがどれほどの間違いか、これからいやというほど知ることになります。
私たち人間の本当の使命は“神の心をこの世に現す”これを一としなければならないからです。
追記…前にこのブログに書きましたが、賛助会員になっていただいている方の(この方、岩田さんと言われる方ですが)末期癌であった、お母様が先日お亡くなりになったそうです。
この岩田さんは、もう早くから賛助会員になっていただいていたのですが、私が(猫や鳥の病気がよくなったので)人も癒せるかもしれませんので、試してもいいと思われる方は連絡ください、とブログに書い時も真っ先に連絡をいただきました。
お母様が末期癌であったということもありましたが、私の祈りを最初に信じていただけた方であったと思います。(そうでなければ即座にメールをいただけなかったと思います)しかし、奇跡は起きました。
岩田さんのお母様(八十四歳)は、医者から年内五分五分と言われていたにもかかわらず、私が祈ると、急に持ち直され、しかも癌の腫瘍まで小さくなり外泊許可まで出たのです。
末期癌の患者の腫瘍が(若干とはいえ)小さくなるということがあるのでしょうか?そればかりか岩田さんのお母様は、岩田さんが私に祈ってほしいというメールをくれるまで、癌の痛みもひどく危篤状態であったのです。それが持ち直されて癌の痛みもなくなり、この六月まで生きられ、しかも亡くなられる時も、痛みもなく眠るように亡くなられたとのこと、このような出来事は、やはり奇跡というほかないのではないでしょうか。
岩田さんには大変感謝していただきましたが、このような奇跡が起きたのも、岩田さんが神を信じ、法を信じ、そうして私を信じてくださったからだと思います。
そのような「信」あるところに奇跡が起きるのです。
法は「信即行」「行即光」といわれます。これは法を信じたら実行しなさい、法を実行するのであれば光が出ます、という意味です。法を知っただけで何も実行しないのであれば、それはただの時間の浪費にしか過ぎません。
私たちは神の子であるから奇跡が起こせるのです。しかし、実行のないところに奇跡は起きません。実行があるところに光があり、そこに奇跡は起きるのです。



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