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3月 09 2025

愛の凄さ

11:11 AM ブログ

これだけ罰当たりな態度はよくないと、それでこんなひどいことにもなっていると、これだけ分かりやすくたくさんの例まで挙げて書いているのに、それでもまだ分からない、そんな愚かな人が昨日も多かったです。本当に残念です。

そういう愚かな人が減っていくなら布施も集まるでしょう。しかし、それが全然集まらない。(同じ人しかしない)

もう惨憺(さんたん)たる思いですね。これでは減らないはずです。天罰がです。

昨日嫌がらせしてきた人たちも全員出ます。そうしてそれは感謝するまで止まりません。

昨日もまたやたら怒っているところがいくつもありましたが、その災いは神理に感謝の布施をするまで止まりません。

神理をきいているのに感謝もせずに嫌がらせをしてきているのはあなたたちの方なのです。

そういう傲慢な態度を改め、謙虚に感謝してください。神理をきけていることにです。

何度でもいいますが、そういう謙虚な心にならない限り、絶対に(死んだ後まで)止まらないからです。その天罰はです。

それは(私ではなく)神が起こしていることであるからです。

だから、どれだけ怒ろうが、無視しようが無駄です。神にそのような態度を取っていては、それは不遜でしかないからです。それもまた罪であるからです。

いい加減、神理を説いている私のいうことを信じ、そのような神の業を畏れ、素直に頭を下げませんか。

そうした人から救われていくからです。

しかし、どれだけいってもそれが分からないようです。このブログを見ている多くの人にはです。(かなり傲慢さが進んでいます。本当に残念です。そこまで悪魔にやられてしまっていてです。〔涙〕)

あの大船渡市の山火事は消えたのでしょうか。あれほどの山火事も、そうしてそれを実質消したあの雨もです。

あまりに長引いてはと神も哀れに思われ、そうしてあの雨を降らされたのでしょう。もっと早くも起きるのです。あのような雨はです。神を思う心がもっとあるならです。

しかし、その山火事を消されたのも神なら、それを起こされたのも(これほどの乾燥をもたらして)神なのです。

東京は昨日もまた雪が降ったそうですが、その雪がこの一週間で3度も降っているそうですね。東京はです。

もう三月です。それなのにこれだけ雪が降る。そうかと思えば、シャツ一枚でも寒くない夏のような陽気にもなり、その極端さが半端ありません。(もはやここまでくると陽気ではなく妖気ですね。東京には妖気がただよっています。〔苦笑〕)

なんで東京はこんなことになっているのですか?(別に東京だけではありませんが、東京は特にひどい)

まだ神を信じませんか。東京の人たちもです。神を信じ、もっと神を思うなら、東京にもこんなひどいことは起きないのです。東京などもうずいぶん長いことこんな異常現象が続いているからです。

日照り、乾燥、長雨に大雨、今回のような雪に暴風、そうして地震まで多いと、もうなんでもござれです。東京はです。災いのデパートのようになっています。もう何年も前からです。

何度でもいいますが、なんで東京はこんなことになっているのですか?

それは神を無視している人が多いからです。

皆さん、もういい加減(傲慢な心を反省し)謙虚になって、この神理を真剣にききませんか。

そうすれば、そのような災いはおさまるからです。実際に私にはそんな災いは起きはしないからです。起きないどころか、よけていっているからです。

そういう証明がもう何度もなされているのに、いつまで無視しているのですか。だから、それほどの災いも起きるのです。

いい加減、信じ行いませんか。この正法神理をです。そうすれば多くの人たちが救われるからです。

こちらは分かるまでそれをいい続けるしかありませんが、もう15年も同じことをいい、そうして、それに伴う現象も現れ続けているのです。いい加減理解してほしいものです。この神理をです。

しかし、こちらは50年ですか。これはこれで長いですね。(苦笑)

しかし、よくこれだけ長いことおかしなことをいい続けられるものです。前回書いた国際女性デーの話ですが、昨日は名古屋・栄の辺りでデモまで行われていたそうですね。今日の中日新聞に書いてありました。

女性への差別や暴力の反対などを求めてのデモですか。

それは別にしてもらえばいいのですが(私も反対ですから。女性への差別や暴力はです)しかし、夫婦別姓の導入まで求められてはね。明らかにいきすぎだろうと思いますよね。

それほど夫婦が同姓で困ることなど今の日本ではないはずだからです。むしろ別姓にした方が不利益が大きいはずだからです。(前回も説明しましたが)

「事実婚では不利益なことが大きく、結婚11年目で法律婚をした。夫の姓で呼ばれるたび喪失感や悲しみがたまっていく」などと今日の中日新聞に、そのデモに参加した参加者の夫婦別姓に賛成する人の意見が書かれてありましたが、しかし「夫の姓で呼ばれるたびに喪失感や悲しみがたまっていく」って、この人、夫に対する愛がないんでしょうか?

夫に対する愛があるなら、逆に夫の姓で呼ばれるなら幸福感や嬉しさがたまっていくはずですが、夫の姓で呼ばれるたびに、この夫婦別姓に賛成している人は喪失感と悲しみがたまっていくそうです。

しかし、まあ、こんな夫婦間で愛のない人のインタビューを載せるより、もっと愛ある夫婦の人のインタビューを載せた方がいいのではないですか。中日新聞もです。

そうした夫婦の方がずっと多いだろうし、それに、そうした記事の方が、それを読む人たちの心もずっと安らぐであろうからです。

それなのにわざわざ、こんな愛のない夫婦の人のインタビューを中日新聞は載せている。さすがUSAIDにやられている新聞です。(苦笑)このように洗脳されるということです。

なにかそちらの意見の方が多いような、そんな気分にさせられてです。新聞に書かれるなら、そう思うからです。しかし、実際はそんな意見は少数意見であるということです。

そんな愛のない夫婦の方が少ないからです。世の中はです。

そうして愛ある夫婦は別々より同じを望むのです。だから夫婦は同姓であらねばならないのです。

夫婦は一体であるからです。キリストもそういわれているからです。夫婦は一体であるとです。

なんでキリストはそういわれたのか?

それは一体とは愛ということであるからです。

それが証拠に、一体である時は相手のすべてが愛おしく汚いものなどないでしょう。興奮して一体となっている時など相手のどんな汚いものでもきれいに思え、汚いという気持ちがなくなるのです。

だから一体の時は(愛がたくさん出ている時は)どんな汚いものでも口をつけることが出来るし、飲むことも出来る。

このブログは小学生まで見ているのでこれ以上は詳しく書きませんが、夫婦のみに許されている性を行う時は皆そうなるのです。相手の汚いものなどなくなるのです。それは愛があふれて一体となっているからです。

それは自分自身を考えてみても分かるでしょう。

例えば、唾(つば)でもそうではないですか。自分がはいた唾をもう一度飲み込めというと、それが出来る人はあまりいないでしょう。

いくら自分の唾とはいえ、はいてしまうと(自分の外に出してしまうと)それを汚く感じてしまい、もう一度それを飲めといわれても飲む気にはならないからです。

しかし、自分の口の中にある唾はどうでしょう。別に汚いとは思わず普通に飲めています。唾などいくらでも口の中にたまるからです。

これは大小便でも同じで、自分の体の中にあるうちは大小便も汚くは感じないのですが、それが一度、外に出てしまうと、誰もが汚く感じてしまう。大小便など自分もの人のものに限らずみな汚いと思ってしまうからです。

しかし、自分の体の中にあるうちは、不思議なことに誰もそれを汚いと感じない。

それはなぜなのか? ということです。

それは自分と一体であるうちは、それは愛があるということであり、その愛があるうちはどれだけ汚いものであろうが、じゃまなものであろうが、まったく気にならないということです。

愛の力は、そのすべてを凌駕(りょうが)するからです。

お分かりですか。愛の強さ、凄さというものがです。愛は、唾であろうが、大小便であろうが、それを超えていくということです。だから、例えば、ある人は寝たきりの親の下(しも)の世話までするが、ある人はまったくしようとしない。

それは愛の違いであるということです。愛があるならどんなことでも出来るからです。汚いことでも汚いと思わずにです。

だから子供が生まれた時は、その子供の世話を夫婦は喜んでするでしょう。あれは愛があるからそうしているのであり、愛がない人はたとえそれが自分の子供であろうと世話などしないのです。

それは子供がらみのおかしな事件など知れば分かるはずです。それを行う行わないの違いは愛があるかないかの違いであるということです。

すべてはその愛が元であり、愛がないとなにごとも出来はしないということです。うまくはです。

その愛のない人の意見を平気で載せる、先ほどの中日新聞の記事など、そういう記事に騙されては(洗脳されては)ならないのです。

愛ほど大事なものはないからです。

こういう愛の大事さまで、ここまで詳しく例を挙げ教えてくれるものなどこの神理しかありません。

もっと真剣にききませんか。この正法神理をです。

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