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8月 13 2012

コメントの検証

10:25 AM ブログ

前に私は、高橋先生の弟子たちが言っていることはどこかが違っている、と書いたことがありますが、ちょうどいいです、十日に福岡のオジちゃんが送ってきたコメントは手ごろですので、どこがおかしいか検証してみましょう。

まずこの人「間違っていると書いているその時の心は法に叶っていない」と書いて「批判は法ではありません」と書いています。

では、キリストは人を批判されなかったでしょうか?そんなことはありません。キリストは間違ったことを言う人に、それは違うときつい言葉で叱りけたこともありましたし、正しいものは正しい、違うものは違うとはっきり言われ批判されました。釈尊も同じです。キリストほどきつい言い方はされませんでしたが、正しくないものを正しいとは言われませんでした。

人の悪口はいけませんが、批判することはいいのです。このオジちゃんは批判の意味を知らず、悪口と批判を混同して書いているのです。

悪口とは、事実無根の話をひねり出して、人を陥れようとする悪意を持って言うのが悪口であり、批判とは、正しい事実に基づいてそれがいいか悪いかを意見することで、批判の中には、それ以上間違ったことを言わせないように、もっとこのことを考えて正しく言うようにあらせたい、という善意が含まれているのです。

批判は善意が含まれていますので、キリストも釈尊もされましたし、だから、私もこのオジちゃんを批判しました。そのどこがいけないのでしょうか?従って、このオジちゃんが書いている、批判は法ではない、ということは間違いですし、批判しているその心も当然法に叶っているのです。

次に「善悪の間に正法はありません」と書いていますが、これも違います。

では、キリストは「あの人も正しいですよ、この人も正しいですよ」などと言われたのでしょうか?キリストは善は善、悪は悪とはっきり言われたのです。そんな(この人たちが言っているような)あの人も正しい、この人も正しいなどとは言われず、善悪をはっきり言われました。だからこそ、多くの人が何が正しいのか分かったのです。この人が言うように善悪をはっきり言わない、そんなあやふやなことを言っていて、どうして多くの人を正しい道に導くことができるのでしょうか?どちらにもいい顔をするなどただの偽善でしかないのです。

そんなあやふやな心が絶対の善であるわけがないし、ましてそれが中道の心のはずがないのです。

中道の心とは、やりすぎてもいけないし、やらなすぎてもいけない、どちらにも偏らない、両極端でない、ちょうどいい心のことを中道の心と言うのであり、この人が言っているような、どっちつかずのあやふやな心を中道の心とは言わないのです。

中道の解釈さえ間違っているのですから、その後の「今心は静かで中道の光の中にいます」と書いてあることも嘘であるし「あなたもそういう境地を求めてやられることを希望します」と言われても、言っていることがデタラメなのですから、こちらもどう答えて言いか分かりません。

たったこれだけの短いコメントでも、これだけの間違いがあるのです。

このようなコメントを法を知っている者が読めば、一体何が書いてあるのか?よく意味が分からない、それくらい法とはかけ離れたことをこの人は書いてきて、本人は法を書いていると思い込んでいるのです。

特別、この人だけではありません。高橋先生の教えを勉強していると言われる人たちはこの人と大差ありません。皆、高橋先生の言葉の上っ面だけ知って、その真意を知らないのです。だから解釈も間違っていてだから現象(奇跡)も起きないのです。(天も協力しませんので)

このような人たちを見ると、園頭先生は正しく高橋先生の教えを理解され、それを私たちに分かりやすく教えてくださったと、改めて思います。(だから現在の私のように、このブログに書いたことが次々に現象化するという奇跡が起きるのです。それは正しく法を伝える師に巡り会い、正しく法が理解できたお陰で、正しく法を理解している者には天が協力しますので、次々に奇跡が起きるという、天の証明がなされているのです)

本当によい師に巡り会えたとつくづくその縁に感謝しますが、その師を平気で裏切る人たちもいるのですから、園頭先生の弟子たちも正しい師を見抜いたところまではよかったのですが、その後の精進を真剣にやらなかったため(結局この人たちも心の浅いところでしか法を理解されなかったのです)園頭先生が倒れられると途端に裏切ったのです。(要は肉体がきかなくなった途端という意味です。この人たちも、園頭先生があれだけ分かりやすく私たちに法を説いてくださったのに、法をしっかり自分のものにしていなかった、園頭先生の肉体だけしか見ていなかった、その典型のような人たちです)

このような人たちばかりだったから天もこの人たちを見捨て、私に他の人たち(法をまだあまり知らない人たち)に法を伝えよ、と命じたのです。

しかし、この如来の弟子たちもダメでしたが、これから法を知ることになる人たちも唯物無神論などという間違った教えに犯され、神の存在をなかなか認めようとしないのです。どれだけ目の前で現象が起きようと、そのありがたみが分からず神の教えを信じようとはしません。

如来の弟子たちも頑なですが、これから法を知ろうとしている人たちも頑なのです。では、現在のように日本が壊れかけているのも仕方のない話ですね。(皆さん一向に法を理解されようとしないのです。天は次々に法を知らせるため現象を起こします)

このような現象が次々に現れているのに、まだ、協力してくれないばかりか、嫌がらせしている人までいるのですから呆れます。(それでもそういう人は減りましたが…しかし、分からない人は自分に何か起きるまで分からないのです。本当に哀れです)

しかし、早く気づかなければ、よいことは起きてきません。気づかれた人から実践していただきたいと切に願っています。

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