11月 30 2025
善い行いと悪い行い 神理の実践
クマだけでなく今度はイノシシが大暴れして3人の人がけがをしたらしいですね。
動物禍がどんどんひどくなるようですが、大丈夫なんでしょうか。いつまでも神理を無視していてです。
無視どころか、最近は神理のじゃまがひどいんですけどね。昨夜など祈りまでじゃましてきましたから。本当に恐ろしいことをし続けています。現代の人たちはです。
これまでもちょこちょこ祈りのじゃまをしてくるのがいたんですが、昨夜はそんなのが多かったようです。
私の祈りは夜の10時前後から始めます。そんな時間にゴホゴホ、ガハガハ、でかい声で咳をしていれば私だけでなく近所にも迷惑でしょう。そういう人たちになにが起きているのか知りませんが、そういうところを直した方がいいのではないですか。
そのような周りの迷惑など考えもしない、そんな自己中な性格をまずです。
そうすれば、そんな悪いことも起きてはこないはずであるからです。そのような悪いことは、私がどうこうではなく、そのような性格の悪い人に降りてくるからです。(そこが一番の基本ですから。そこはお間違いなく。〔苦笑〕)
そのような自分の性格は行いに出ます。私に嫌がらせをしてくる人は、そういう悪い性格なのです。少し気に食わないと、普段から人に嫌がらせをしている狭量で自己中なです。ご本人がそれに気づいているかどうかは知りませんが。
そういう性格の人にまず天罰は降りてきます。そういうところをまず直せとです。
天罰は天の導きなのです。それを私にせいにしているのではなく、自分の悪いところを勇気をもって反省してみることです。目をそらさずにです。そうすればその天罰はひどくはならないからです。
止まるとまではいえませんが。神理に感謝もせず嫌がらせをしているようではです。そのような行いを変えないことには、もはや一度出てしまった天罰は止まらないからです。
そこは仕方がないでしょう。神理など、そうそうきけるものではないのです。そんな稀有な教えをきかせてもらっているにもかかわらず、それに感謝もせず嫌がらせをしているのです。
それほど不遜な行いもないからです。
それをどれだけご本人が認めなくても、そういう有難い教えだから、その教えに対し悪いことをするなら、すぐに天罰が降りてくるのです。
他の悪いことをして、そんな天罰が降りてきますか。殺人や盗みや強盗などしたところで、その犯人にすぐに天罰など降りないのです。しかし、神理に悪いことをするとすぐに天罰が降りてくるのです。そういう人が多いのです。
それはなぜか? ということです。
それは何度でもいいますが、それだけ神理は有難い(有ることがむつかしい)価値ある教えであるということです。
だから、そんなあり得ないことも起きてくるということです。
そんな稀有な教えによいことをしようともせず、黙って見ているだけとか、あろうことか嫌がらせまでしてしまったとか、そんなことをしていればです。いいことが起きるわけもなく、その典型がどこかの会社であるということです。
もはや毎日ように天罰がくだり、それが当たり前のようになっているのです。(ほんと起きえないことが起きているんですが、誰もそれを理解しません)
だから逆に考えればです。それだけ毎日天罰がくだるなら、毎日のように奇跡も起きるようになると思いませんか。そんな稀有な教えを実践出来るならです。実際、私がそうだからです。なにか奇跡的なことが毎日起きてくるからです。
昨日でもそうです。歩いていると周りにたくさんスズメたちが寄ってきたり、あっちからこっちから鳥が飛んできてギャーギャー鳴いたり(ムクドリ、ヒヨドリ、カラスなどが)嫌がらせしてくる人たちにすぐに天罰が降りたり(昨日もまた出ていって帰ってくるとどこかの会社がおお怒りしていました。神理流布のじゃまなどせず感謝すればいいのにです)普通の人では起きないようなことが、次々に起きてくるのです。
だから、やるかやらないかだけなのです。よい実践をするならよいことが、そしてもっとよい実践をするなら、もっとよいことが、そうして悪い実践をするなら悪いことが、そしてもっと悪いことをするなら、もっと悪いことが起きてくるということです。
それがこの世界の法則であるからです。(善因善果、悪因悪果)
ただ、その法則がいまいちよく分からないのは、この世はその法則がすぐには現れてこないからです。(波動の荒い世界だから)しかし、あの世では、そのような法則はすぐに現れてきます。それだけあの世は波動の精妙な世界であるからです。
神理の周りはその波動が精妙になります。(つまり、神理の実践を行う人の周りには天上界が現れているということです)だからすぐに天罰も奇跡も現れてくるのです。
回りの波動が精妙になればなるだけ心で思ったことが起きてくるのは早いからです。あの世はそうだからです。
もちろん、神理を実践する人の中にも、その実践の程度があります。だからあまり実践が出来ていない人はあまり奇跡も現れず、神理の実践が進めば進むだけ、多くの奇跡が現れてくるということです。神理の実践の度合いにより、周りに現れてくる波動の精妙さは違ってくるからです。
天上界にも段階があるからです。(一番下の幽界から〔幽界の下が地獄界であり、幽界のもう一つ上の心の段階が霊界といわれる世界です〕一番上の如来界まで何段階もありますし、その幽界や霊界などと呼ばれる世界の中にもたくさんの段階の世界があるのです)
だから、その人の神理の実践のレベルにより、自分の周りに現れてくる天上界は違うということです。
だから、神理を知っているだけでは奇跡が現れないのです。神理は行わないと、神の力は現れてはこないからです。神理は(神の心は)実践してはじめて生命が宿るからです。
だから、ただ神理を見ているだけの人にはなんの奇跡も現れてはこないのです。逆に悪いことも起きてくるのです。いつまでも神理を見ているだけでは、それは悪であるからです。神理と巡り合いそれを行はないでは、それは善ではないからです。
だから、私に感謝の布施をしてくれている人はなにかいいことが起きているでしょう。そのような方々が、もっといいことが起きてくる方法は、もっと神理を実践すればいいということです。そうすればもっといいことも起きてくるからです。
しかし、そういう人でも神理の実践の方はあまり出来ずに悪い行いの方が多ければ、そういう人にも悪いことは起きてくるのです。
神理の実践とは、正しく良心に従うということだからです。それがどれだけ出来るかどうかで、周りに起きてくることは違ってくるのです。
善い行いをすれば善いことが、悪い行いをすれば悪いことが確実に現れてきます。
それが最もよく分かるのが神理の実践であるということです。



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