12月 24 2025
安らぎのないリベラルと保守思想 安らぎある神のお力
今日は朝から雨です。先ほどまでずいぶん強い雨が降っていましたが、この雨で少しは頭を冷やしてもらいたいものです。こちらの人たちもです。
どこかの会社だけではなく、昨日もブシュブシュ、ガンガン、ゴホゴホしてくる人が何人もいたからです。
しかし、そういう人たちを放置しておくと最後には核戦争になります。(間違いの極致にまでいってしまい)
それに気づいてもらうためにも、そういう人たちは祈らないといけないでしょうね。祈っておくなら、そのようないまだ間違えている(遅れた)人たちを神が正しく導いてくださるからです。
しかし、この状況でまだ間違えますか。これだけの天罰が降りてきていてです。
天罰まで降ろしてもらい、これだけ神理も伝えてここに本当の神の教えがあると知らせているのに、それでもまだ無視し逆らう、だから滅びの道にも進むのです。
いつまでも神理を無視しているということは、それは神を無視しているということであり、神を無視しているのなら、決してよいことは起きてはこないからです。
だから、リベラル左翼はもちろん、核武装を唱える保守にもいいことが起きないのです。そういう人たちは神を信じないからです。
だから、どちらの思想でも奇跡は起きない。奇跡が起きているのは、この神理を信じ実践している(感謝している)私たちだけ。
神を心から信じているのは神理を信じる私たちだけであるからです。他の人たちでは神を信じろといくらいわれても、なんの奇跡も起きないでは心から神を信じることなど出来ないであろうからです。
最近は核武装、核武装とやたら話題になっているので(官邸筋がそんな話をしたというよりも、中国があまりにちょっかいをかけてくるものですから)そんな核武装をいう人たちにもいいたいんですが、そういう核武装をして、それで争いのない明るく幸せな世界が実現すると思いますか。
核武装をするのなら攻められることはないと、だから皆が(多くの国が)核武装するなら争いはなくなると、そういうことをいう人もいますが、そのような妄想の中にいるのはいいんですが(それは妄想でしかないからです。核武装をしている国でもバンバン攻められているからです)では、周り中が核だらけの状況の中で暮らしていて、それが本当に楽しい生活なんですか。
そんな状況の中で暮らしていて、心が安らぎますか。明るい生活が出来るのですか。そんないつ核戦争が起きるかしれない超危ない状況の中にいてです。
そんな生活が楽しいわけないでしょう。それでそういう生活を続けていて心が安らぐはずもない。そういう核などなくさないと、そのような安らぎある生活は出来ないからです。
そういう現実を無視して現実逃避の核武装ですか。(どっちみち日本は出来ませんが。アメリカが許すはずないからです。日本が核など持てばアメリカのいうことをきかなくなるかもしれないからです)核武装をいくらしたところで争いなど止まらないのにです。
もちろん同じようになんでも反対のリベラル思想も一緒です。常に反対で重箱の隅を楊枝(ようじ)でほじくるようなことをいい続ける、そんなリベラル思想では明るく幸せな生活など出来ないのです。
そこまで細かく反対されては心が安らぐはずがないからです。それでは不調和な闘争が常について回るからです。(リベラルに闘争はつきものですが)
だから、保守もリベラルも常に争いがつきまとい、明るさも楽しさも、そうして心の安らぎもないのです。
なぜだと思いますか。なんでこうなると思います。どちらの考えでもです。
先ほどから書いていますが、そこに神がないからです。
神がないところには安らぎがないからです。だから、明るさも楽しさもない。神がないところに幸せはこないからです。我々、神の子である人間にとってのです。
リベラルはもちろんですが、保守も神を認めません。もちろんリベラルほど保守の人たちは神を否定しないのでしょうが、しかし、そういう争いを神が止められるなど思いもしません。ある程度は神を信じる人たちが多いはずの保守の人たちでもです。
神がなにかしてくれるわけではないと、そう思っている人が多いのです。だから、神抜きで平和を望もうとする。
するとこういう世界しか現れないということです。夢も希望もない、ひやひやしながらただ生きているだけの、そんな生き地獄しか現れてはこないということです。
いつまでも神を抜いて考えていてはです。
しかし、神のお力だけで平和な世界をつくられた方が3000年前に存在しています。もちろんモーゼといわれた方です。(何度もいいますが、旧約聖書をそのまま信じてはならないのです。そんな3000年も前に起きたことが3000年後の今日まで、そのまま正しく伝えられているはずがないからです。正しく伝えられた部分と正しく伝えられなかった部分は必ずあるからです)
3000年前に出来たことであるならば、現代でも出来るのではないですか。
同じことがです。
これまで、そのような神のお力だけで平和な世界を現わした方々は何人もいられるからです。(その代表格がモーゼ、キリスト、釈尊です)
もちろんそこにいくまでには多くの争いが起きるのですが、それも説法と神の奇跡でおさめられていったのです。そのような方々はです。決して力づくでそれを解決されたわけではありません。
だから、そのようなことは出来るのです。神の力であればどんな揉め事も解決出来るのです。爆弾では出来ませんが。
こちらでは釈尊、キリスト、モーゼが起こされたような奇跡が次々に起きています。(私の周りで起きている天罰もほぼ過越しの祭りですしね)
そうしてそのような奇跡は夢も希望も安らぎもあるのです。動物たちが喜んで寄ってくるなら、それだけでも楽しいからです。そういう夢と希望と安らぎの中で平和に向かって進んでいけるのです。神理を行っていくのならです。
立ち上がってもらえませんか。この神理の流布にです。
そうすれば夢も希望もある平和な世界が実現するからです。
もう捨てませんか。小さな心はです。そんな心でいつまでもいるなら不幸になるのは自分自身であるからです。



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