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12月 28 2025

不徳と聖書の間違い

10:46 AM ブログ

本当に急に寒くなりましたね。暖かい年末年始を当てにしていたものですからね。(その方が体が楽だから)私的には少々残念です。

しかし、冬は寒くないといけないのでしょうね。そうしないとまたあちこちおかしくなる、しかし、そんなおかしさはいまだ続いているようです。

仙台市など、まだクマの出没が続いているようなんですが、昨日秋田でもクマに襲われた人が出ているようですし冬眠しないんですかね。今年のクマはです。

いまだクマ禍は続ているようだからです。

そればかりかひどい事故や事件も続いていますしね。群馬で車やトラック67台がらむ大事故が発生したり、静岡で15人もの人がけがをする切りつけ事件が発生したり、最近の火事でもそうなんですが、起きる事件や事故までひどくなっています。

よくもここまで悪いことが起きだしたものです。そうして、その悪いことがどんどんひどくなっている。

なんでこんなことになっているのでしょう。どんどんどんどん悪いことが増え、さらにひどくまでなっているのでしょう。皆さん方の不徳のいたすところなんではないですか。こういうことになっているのはです。

それを傲慢な現代の人たちは認めませんが、不徳な人が多くなければこんなひどいことがどんどん起きてはきません。

いい加減、謙虚になり少しは徳を積みませんか。(金儲けばかりではなくです)そうすれば悪いことも減ってくるからです。

こういうことを教えてくれるのはこの神理だけなんですが、感謝のかの字もありません。感謝どころか相変わらずくだらない嫌がらせです。嫌がらせしている暇があるのなら神理に布施しませんか。

そうすればどれほどの徳積みとなるかしれないからです。

私は口だけでなくちゃんと裏付けとなる現象が現れているのです。口だけの人たちと違ってです。

そのような口だけの人たちには起きない現象(奇跡)が現れる、私のいうことをもっと信じませんか。昔の人たちは、そういうことが起きてくる人のいうことなら信じたからです。

だから、災いもおさまった。奇跡が起きる人のいうことは正しいからです。

しかし、現代は、そんな奇跡が起きてくる人のいうことよりも、なんの奇跡も起きない口だけの人のいうことを信じている。だからこうなるのです。

起きる災いがどんどん増えさらにひどくもなるのです。その口だけの人のいうことは間違っているからです。

もうそのようなことを15年もいい続け、それが正しいという裏付けの現象も出続けています。いい加減信じ素直にききませんか。私のいう神理をです。

そうすれば確実に災いは減っていくからです。

しかし、本当にいい加減こちらのいうことをきいてもらわないと核戦争まで起きかねません。(究極の災いがそれですから)海外では、そんな危ない状況になっているところが現実にあるからです。

急ぎませんか。神理の流布をです。それをいつまでもしないでいるなら、そんな究極の災いが起きかねないからです。

本当に、まったくそんな危なさを理解しないのだから恐れ入りますが、そういう海外で危ない戦争を続けている皆さんもいい加減ご理解ください。そんなことばかりしているあなたたちを神は大変お怒りであるとです。

聖書を読むなら分かりそうなものですが、しかし、その聖書も間違いがたくさん書かれています。そこは鵜呑みにしないよう願います。力づくで戦ったり責任転嫁や偶像崇拝しているところなどは、みな間違いであるからです。

モーゼやキリストはそのような指導はされなかったからです。

エジプトに出世されたモーゼは、六十万の民をひきいてカナンの地まで数十年の歳月をかけていかれますが、本当はカナンの地までいくのにそんな時間はかからなかったのです。いこうと思えばそれほど時間もかからずいけたのに、モーゼはわざわざ時間をかけていかれたのです。

それはなぜか? ということです。

それはエジプトからカナンの地までいく間には、多くの部族がいたからです。その部族に神理を説きながらいかれたからです。

それもモーゼはただ神理を説くだけではありませんでした。それをきいた部族たちが、その神理を信じるまでその地にとどまり、神理を説き続けられたのです。

もちろん、神理が正しいという裏付けである多くの奇跡を現わしながらです。ひどい日照りのところには雨を降らし、嵐などくるなら、その嵐を鎮め、疫病で困っているところではその疫病を癒し、多くの奇跡を現わしたのです。

そういう奇跡が次々に現れるなら、当時の人たちはモーゼが説かれた神理を信じます。しかし、なかにはなにが起きても、お前のいうことなど信じないと土着の教えを頑なに信じる人たちもいたのですが、モーゼはそのような人たちにも辛抱強く神理を説き続け、その人たちが神理を信じるまで、その土地にとどまったのです。

そのように神理を説きながら(もちろんそれはエジプトから連れてきた民にも同様に)時間をかけて進まれたから、モーゼ一行がカナンの地までいくのにそれほどの時間がかかったのであり、モーゼは、そのような多くの部族たちを無視して、あるいは力づくで滅ぼしながら進まれたわけではないのです。

もし、そんなことをモーゼがされていたのなら、あれほどカナンの地までいくのに時間はかからなかったであろうし、また、そんな力づくでモーゼがカナンの地までいったのなら、モーゼ一行も無事ではすまなったであろうからです。

モーゼがエジプトから連れ出した民は、ほとんどが奴隷で女子供も多かったからです。手に武器など誰も持ってはいなかったからです。

そういうことでも分かります。モーゼがカナンの地までいくのに力ずくなどではいってはいないということがです。

にもかかわらず、モーゼが多くの争いをしながらカナンの地まで進んだという記述は明らかにおかしと思いませんか。

だから私はいっているのです。聖書は間違った部分もあるとです。

だから、それを考えるならです。明らかにおかしくないですか、キリストが説かれたキリスト教はもちろん(キリストは力ずくの争いなどされませんでしたから)モーゼが説かれたユダヤ教を信仰している人たちが、多くの武器を使い他国を攻撃していることなどです。

モーゼはそのようなことは一切されなかったからです。神の力のみで多くの人たちを正しい道に導いていかれたからです。

だから武器を持って戦っている人たちなどみな間違っているのです。そのようなことをモーゼやキリストはもちろん、預言者といわれている人たちは誰も説いてはいないからです。

逆に一切の武器は捨てよ、と教えていられるからです。

武器さえ捨てるなら、後は話し合い、神に祈るならば、その争いごとは段々解決していきます。正しく神に祈るなら、そこには神の力が降りてくるからです。その神の力こそ正しいからです。

その神の力が現れるのはこの正法神理だけです。

止めなくていいのですか。

核戦争をです。

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