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3月 14 2026

神理の価値

10:55 AM ブログ

やっとメールが直ったかと思ったらまだ少し変ですね。

またきかないといけない。ホームページ会社にです。昨日直してもらいましたがまだおかしいからです。

ホームページ会社のサーバーが故障して(なんの原因かは分かりませんが)結局、新しいものに替えたらしいのですが、こういうことは必ず起きるそうです。こういうことに絶対ということはないようだからです。

しかし、その絶対があるのが正法神理です。早く理解してほしいものです。それをです。神理に嫌がらせをしている間は必ず降りてくるからです。天罰がです。

昨夜も遅くまで大変そうでした。どこかの会社はです。なんで毎日同じことをし続けているのでしょう。いつまでも先に進もうとしないのでしょう。だから、また今日も現れる。天罰がです。(断言)

嫌がらせをやめて詫びを入れ感謝の布施をするなら、その災いは止まるのにです。しかし、それは絶対にしない。しかし、嫌がらせだけはしてくる。するとまた天罰がくだる。

その繰り返しです。まったく分かりませんね。止めたくはないのでしょうか。その天罰をです。

そういう天罰が現れているところはここだけではないでしょう。他もたくさん現れていることでしょう。そのような(神理に逆らっていることへの)天罰はです。

それをいつまで「お前のせい」「ただの偶然」などといい続けるのですか。そういうことをしていても、その天罰は止まらないのです。神理に感謝しない限り、その天罰は永遠に出続けるのです。

もう、それが正しいということは分かるはずです。なんで進まないのですか。同じところに居続けるのでしょう。だから、そのような悪いことが起き続けるのです。進歩しないことは悪であるからです。

成長することこそ善であるからです。

この世は善と悪しかありません。その程度問題なだけで、結局、善とは神の心のことをいうのであり、悪とは、その神の心から離れていることをいうのであり、神の心から離れれば離れるだけ悪がひどくなっていくのであり、だから、そのような人には天罰がくだるのです。

神は人間に自由を与えていられますが、その自由の度が過ぎないよう法則もつくられているからです。その法則が作用するわけです。あまりに悪が過ぎるならです。(悪因悪果)

なら、戦争も止めろといわれるかもしれませんが、何度でもいいますが、その戦争も神が人に与えた自由のはんちゅうであるのです。だから許されているのです。まだです。ただし核戦争まで起こしたのならそれは分かりませんが。

それを起こした人たちには天罰がくだるでしょうが、それにくらべれば人に嫌がらせをするくらいいいだろうと勝手に解釈して、軽い気持ちで(?)それを行っているのでしょうが、しかし、それを行っている人が神の教えを説いているのなら、その罪は十倍、百倍、千倍ということになります。

そうなると戦争を行っている人の罪を軽く超えてしまうということです。その嫌がらせを行っている人の罪はです。

それだけ本当の神の教えを説いている人は尊いからです。

これは事実だから書いておきますが(あまりこんなことを自分では書きたくありませんでしたが、これだけいつまでも天罰がくだる人が多くては仕方ないので)釈尊やキリストなど見ても分かるでしょう。

釈尊やキリストはご存命の時はもちろんですが、昇天された後であっても、その教えは遺り数千年たった現在においても、釈尊やキリストのみ教えをきいて救われる人はたくさんいるのです。

ということはです。本当の神の教えを説く人はもうどれだけ大勢の人を救うかしれないということになります。それこそ、数十年、数百年、数千年、それ以上の永きにわたってです。

その教えを説いた方は亡くなっても、その教えは遺るからです。その教えを語る人がいる限りはです。

では、その間どれだけ多くの人が救われるか分からないのです。その教えが遺っている間は何世代にもわたって、その時代時代の多くの人たちが、その教え(神理)により救われていくからです。

では(後々)それほど多くの人たちを救うことになる教えを説いている人に嫌がらせをして、それでその人にいいことが起きると思いますか? その人は、その時代の人たちがどれだけ認めなくても、後の世で多くの人を救うことになるかもしれないのにです。

釈尊やキリストと同じようなことが起きている私には、後々同じようなことが起きてもおかしくはないからです。むしろ同じようなことが起きているのなら、同じような結果が現れるはずであるからです。

だとしたら、私のブログは後々多くの人たちを救うことになるのです。このブログに書かれた通りにするなら確実に奇跡は起きるからです。その逆のことをするから、これほどの災いも(天罰も)起きているからです。(それがなによりの証明)

それで、このブログを見た多くの人たちが救われ奇跡が起きてくるならです。それこそ、このブログは多くの人に読まれ本にまでなるかもしれないし、その解説書まで出るかもしれない。

釈尊やキリストのことが書かれた仏典や聖書は、そのようになっているからです。では、私のブログも後の世にはそうなるかもしれない。仏典や聖書も釈尊、キリスト昇天後に書かれたものであるからです。

だから、戦争はたしかにその起きた時代の多くの人を不幸にしますが、神の教えを説く人は、その時代だけではなく、後の多くの時代を超えて多くの人たちを幸せにするのです。

では、その本当の神の教え(神理)の価値は一体いかほどになるのかお分かりでしょうか?

それこそ、天文学的な価値になることでしょう。この正法神理はです。

だから、私は神理をただで(感謝もせず)きいていてはいけないといっているのです。それほど価値あるものが、この正法神理であるからです。

だからこれほどの天罰もくだるのです。それほど価値あるものを説いている人に嫌がらせなどするならです。

神理の価値をいい加減認めませんか。そうしない限りよいことは起きてはこないからです。

この神理の光明は、この時代だけではなく、後の多くの時代の多くの人たちまで救いを与えることになります。

それほど価値ある神理にいつまで逆らうのですか。だから、それほどの不幸にもなっているということです。

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