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10月 28 2012

地獄界

10:37 AM ブログ

救急車のサイレンも少し減ってきたようです。多い時は朝から、救急車のサイレンがあちこちで鳴っていましたからね、それよりは多少ましになったようですが、その分、七大天使がこちらに意識を向けたということですので、それはそれで怖いです。

現在の名古屋では、毎日多くの人が救急車で運ばれているのですが、例えば、この人たちが全員癌患者(癌患者が救急車で運ばれるなど普通は考えられませんが…だから例え話なのです)であり、あちこちから癌患者が続出したとします。(もちろん例え話ですが、そのようなことが、私が前に入っていた“教育研究会 未来”で実際に起きたものですから書くのです)そうして、その癌になった人がバタバタ死んでいったとします。その死んだ癌患者はどうなるのかと申しますと、行き先は地獄界です。

死と申しますと、これまでは死んだら無になる、だから意識も何もなくなる、と思われていましたが、残念ではありますが、釈尊の過去世を持たれた高橋先生が、この日本に生まれられ、あの世のことも細かく説明され、霊の存在まで証明されました。(現象を現されて)ですから、死んだら無になる、あの世などない、と言っている人たちは、ただ口でそう言っているだけであり、何の証明もされたわけではありませんので、そのような口先だけの人の意見を信じるわけにはいかなくなりました。

従って、あの世や霊の証明までされた高橋先生の言われることを、当然私は信じます。高橋先生が癌で亡くなった人が、どのような世界に行くのか、説明されてみえましたのでそれを書きます。

まず、癌で亡くなった人は(当然ではありますが、癌患者は亡くなる時にひどい痛みに襲われます…特に末期癌の患者の痛みはひどいそうですね)死んでも、その意識のままです。つまり意識はそのままで、その意識だけが肉体から離れますので、肉体だけ見れば楽になったように見えますが、しかし、その肉体を抜け出た意識は、それが理解できず、実際は肉体から抜け出ているのですから、肉体の痛みは無くなっているはずなのに、その意識(霊)は末期癌の痛みを引きずりそのままの痛みが続くのです。(この世は薬で痛みを和らげることなどできますが、あの世に行けばそのようなことできません。末期癌のひどい痛みがそのままずっと続くのです)

その霊が自分が肉体を抜けて死んだと分かるまでです。そんなことすぐ分かるだろうと思えますが、実際はそれがなかなか理解されないようです。自分に置き換えて考えてみれば分かりますが、実際に自分の肉体に痛みがある時、その痛みがひどければひどいほど他のことが考えられなくなります。それにほとんどの人が死んだら無になると思っていますので、意識があるうちは生きていると思っています。死の自覚などそう簡単には得られないのです。

ということで癌で死んだ人は、肉体だけ見れば楽になったように見えますが、実際はその死んだ時点のひどい痛みを感じたまま、死んでも(肉体を意識が抜け出ても)ずっと苦しみ続けているのです。自分が死んだと理解できるまでです。(これが人によっては数年から数十年苦しみ続ける人がいるそうです。ほとんどの人があの世などないと思っているからです。これなど唯物論の最たる弊害です)

当然このような人は真っ暗な地獄界で苦しみ続けるのです。(痛い、苦しいという心はそのような世界を想像します〔まさか痛みや苦しみのある人が、明るく楽しい世界など想像できるわけもありませんので〕その想像した通りの世界に行くことになります)

そのような世界で長い人は数百年も一人苦しみ続けるのです。自分で気づくまでです。ゾッとしませんか?

だから私は、早く神の教えに気づかないといけない、反省しないといけないと言っているのです。(この世でそのような心グセをつけておかないと、死んでからではなかなかできないからです。誰も教えてくれないからです。実際は教えてくれる人がいるのですが…自分の守護、指導霊ですが、その声が痛みで耳に入らないのです。ですから実際は自分で気づくしかないのです)

これは癌で死んだだけの人ですが、これが神の使いに逆らって死んだということになりますと、その苦しみも桁が違ってきます。(神の使いにこの世で出会えただけでも、それほどの幸運はないはずなのに、その方に逆らって自分が命をなくしたのですから、どれほどの罪を負ったか分かりません。だから苦しみの桁も違ってくるのです)

どのような世界にいかなければならないかは、その人の心の程度(どれだけ神の使いに逆らったか)により分かりませんが、私は園頭先生の悪口を、先頭きって言っていた先ほど書いた“教育研究会 未来”の主宰者である北村氏(女性)が、大きな激流の河のど真ん中を、カッと目を見開いて流されていく姿が心に映ったことがあります。

しかも、その激流の大きな河に流れているのは水ではなく、すべて真っ赤な血で、その血の河を北村氏はずっと流されていったのです。

この人はまだ生きていますが、園頭先生の悪口を散々言った心のままで、この人が死ねば、そのような(想像を絶する地獄の)世界に堕ちていくのです。そこで自分が悪かったと反省できるまで、そのゾッとするような地獄の血の河を流され続けるのです。私はそれを十年以上前に天から観せられました。(それを観せられたのはほんの一瞬でしたが、それでも鳥肌もんの気持ちが悪い世界でした。そんなこの世では考えられない気味の悪い世界で、血の河の中をずっと流され続けるのです。そんな状態で自分は悪かったと反省できると思いますか?ちょっとやそっとでは反省できるものではありません。ということは、その苦しみが長く続くということです…下手をすれば数百年もです)

この北村氏の例を見ても分かりますが、神の使いの悪口を言ったり、無視したり、嫌がらせしたりすることは、どれだけの罪をつくっているのか分からないのです。それをこの世の人々は軽く考えすぎているのです。(地獄に堕ちてもしょうがないなどと考えている人が、もしいたとしたら恐ろしいくらい考えが甘いです。地獄とは、そんなに軽く思える世界ではないのです。想像を絶する苦しみの世界なのです)

神の使いに対する思い態度を間違えれば大変なことになります。

今現在の心と行いがどれだけ大事なことなのか、このような地獄界を少しでも知るのであれば分かられるのではないでしょうか。

追伸…やってはいけないことをやってはいけない者にやり、ただで見てはいけないものをただで見ていては天も怒ります。

ということであれば、やってはいけないことをやらず、ただで見てはいけないものにお金を払えば、天の怒りもとけ恐ろしい現象も収まるということになります。

もちろんそれは、その者が本当の神の使いで天からの使者ならば、と言う前提条件がつきますが、しかし、どれだけその者を多くの人が認めなくても、その者の祈りはきかれ、言うことは起り、その者の警告を無視しているばかりに、多くの人が苦しんでいるのです。

そうであるならば、まず、そのことを知っている人がその態度を直さなくて、どうしてその人々の苦しみがなくなるのでしょうか?知っている人から始めなければ何も始まらないのです。

知っている人から始めることが恐ろしい出来事が収まる唯一の方法なのです。そうしなければ恐ろしい出来事は続き、最後は自分自身が滅ぶことになるのです。

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