11月 13 2012
法を知らない不幸
人のブログなどを見ると、ああいうところに行って楽しかったとか、こういうものを貰って嬉しかったとか、書いてあります。私も気楽なブログをたまには書きたいなとも思いますが、しかし、そのようなブログを書いている人たちも、本当に心からそのような気持ちで書いているのか、それともただそのように書いているだけで、心の中はまったく別な気持ちなのか分かりません。
少し前にストーカーに殺された女性も、その殺される当日まで、ツイッターか何かに嬉しかったことを書いていたようです。ストーカーにずっと付きまとわれていたわけですから、心の中は不安で一杯であったはずです。それでも、そのような嬉しかったことを書いて不安を見せようとしなかった、その女性に私は同情を禁じ得ません。
もし、この方が法を知っていたのであれば、また違った人生を歩まれたのに、それが残念でなりません。
この方がもし法を知っていたのであれば、ストーカーに付きまとわれることもなく(もちろん法を知っていれば、ストーカーに付きまとわれることがない、心のあり方を知りますから)もっと幸せな人生を歩まれたであろうな、と思うと、つくづくこの法の流布の遅れが、不幸な人をたくさん生んでいると思えてなりません。
また法があることを知りながら、無視しているばかりに不幸になっている人もたくさんいます。(その不幸が私のせいになっていますが)
それもまた自分自身が、本当の神の教えである法を真剣に知ろうとしない、自分が神の子であるにもかかわらず、神の教えを知ろうとしない、自分で自分を不幸にしている、ということに早く気づいてほしいものです。
これもまた法を知らない不幸でしょう。
昨夜テレビを観ていたら、名古屋の港区にある水族館で、そこのスタッフか誰かにインタビューをしていたニュースが流れていたのですが、その時に、救急車のサイレンも一緒に聞こえていました。(ちょうどインタビューしている時に、救急車が、その水族館の近くを通ったんでしょうね)やはりよく救急車が走っているようです。
今日も朝から救急車のサイレンを何度も聞きました。救急車のサイレンはよく響きますからね、この辺りの人かなり聞こえていると思いますが、みなさん一向に考えを変えようとされません。(あまり天の業を無視しているとかなり怖いんですけど。救急車が霊柩車に替わらないことを祈るばかりです)
私たちは神の子なのです。神の子であるならば当然親である神を思い、その神の心に添って生きていかねばならないのです。(ということは神の運動をしなければならないということです)
それを早く知らないと不幸になります。法を知らない不幸は、この世に生まれて、これ以上の不幸はないのです。(現実にそのような不幸が次々に起きています)
正法の世になりつつある現在、神の奇跡が次々に現れ、私たちを正しい道に導きます。
その事実を知ろうとしなければ、不幸にしかならないのです。
追伸…民主もガタガタやってますが、もう誰が見ても早く解散総選挙をした方が、民主にもいいですよね。(傷が小さくて済みます)解散が遅れれば遅れるほど第三極が体制を整えますので、民主は余計票が減ります。(もうどんな政策を出しても支持率上がりませんよ、すでに国民の誰もが知ってますから、民主は口だけだと…中道とかいうのやめてもらえませんか?お釈迦様の言われたことに傷がつきます。民主は中道を勘違いしています。中道とはあやふやとか、どっちつかず、などという意味ではありません)
機を見るのに敏な人が多い民主の人は、それが分かっていますので、もう解散したいばかりなのでしょうが、それが分からない一部の人が解散を愚図っているのでしょう。
しかし、私は民主をずっと祈っています。年内なら何も起きないでしょうが、年明けに解散総選挙がずれ込むようだと分かりませんよ、何か起きだしたら早いですからね。(家の近所かなり恐ろしいことが続いてますので)
こんな政治状況、さっさと終わらせてください。



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