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6月 30 2010

気づき

10:49 AM ブログ

この前久しぶりに気づきを与えられました、と書くとカッコイイのですが、何のことはない悪いことをしたので、そのお返しがきただけなのですが……。この前した悪いこととは次のようなことでした。

私はよく昼飯を漫画喫茶で食べるのですが、そのよく行く漫画喫茶でのことです。

その漫画喫茶はスタンプカードを出していて、そのスタンプが十個たまるとコーヒーが一杯ただになるというシステムです。その日、私はスタンプカードのスタンプが十個以上たまったので、コーヒー一杯ただにしてもらおうと会計のときに「今日のコーヒー代そのスタンプでやっといて」と会計をしているスタッフに頼みました。するとそのスタッフはコーヒー代はただにしてくれたのですが、スタンプカードの方には何のチェックもいれません。(二十個スタンプが押せるカードなので、十個のところにチェックを入れないとそのスタンプカードが使われたのかどうか分かりません)

私はそのスタッフが、スタンプカードにチェックも何もせず返してきたので「これチェックか何かしないと分からなくなるよ」と一言言いました。するとそのスタッフは「えっ、そのままでいいですけど」と言ってさっさっと行ってしまいました。そのスタッフはよく行く私が初めてみる顔でしたので、たぶん入ったばかりの子だったのでしょう。チェックを入れるということが分からなかったようです。

私はそのとき他のスタッフに一言言えばよかったのですが「こちらが一言言っているのに、そっちがいいというならもういいわ」と思い、そのまま次に行ったときもスタンプの事は言わず、そのスタンプカードを使い続けていました。そのうちにチェックのことも忘れてしまい、スタンプカードが一杯になったので、その日コーヒーを一杯ただにしてもらいました。スタンプが二十個たまっていたので、一度コーヒーをただにしてもらってももう一杯はただで飲めます。ラッキーと思いもう一杯はただで飲めるなと思いながら喫茶店を出ようとしました。

すると外は雨が降っていたのですが、来るときに持ってきたはずの傘がありません。誰かが私の傘をもって行ってしまったようでした。外はザーザー雨が降っています。傘がないとびしょ濡れです。誰かが間違えて持っていったかも知れないし、他の人の傘を持っていこうかとも思いましたが、それも泥棒をしているようでいやでした。

たぶん店に余分な傘が置いてあるだろうと思い(大きい漫画喫茶なので)スタッフに傘のことを聞いてみました。すると店に余分な傘はないといいます。「ゲッ」と思いましたが、今さら人の傘を差して帰るわけには行きません。

仕方がないので雨がザーザー降る中、ずぶ濡れになって帰りましたが「なぜ、今日に限って」と考えながら雨の中帰ったのですが、その時フッと気づきました。

「今日使ったスタンプ分はあのチェックしなかった分だ」と。

それでこんなことが起きたのだなと思い、久しぶりにこのような目にあわされ反省したというよりも何か笑えてきました。こういうことがあったのも(このブログにも書きましたが)たしか十数年前に夢の中で虫だらけの洞穴に連れて行かれ、おかしなもの(カエル)を食べさせられて以来です。

ということは、私は十年以上も悪いことをしなかったということになります。ずいぶん私も善人になったものです。十年以上も悪いことをしていないのですから。

しかし、そうではないのです。この十数年の間、私がまったく悪いことをしなかったということはありません。

喧嘩をしたこともありますし、人のことを悪く言ったこともあります。車に乗っていて法定速度以上のスピードで走ったこともありますし、駐車禁止区間に車を駐車したこともあります。厳密にいえばこのようなことも悪いことでしょう。

それに野球などを見に行って、終盤になって観客が帰り始めると、勝手に席を替わって選手が見やすい席で見ています。こういうことは小さいときからしているので、特別悪いことだとは思いませんが、これもよいことではないでしょう。(選手を見やすいところで見るというのは、取らぬ狸の何とかといわれるかもしれませんが、プロ野球選手の誰がGTS心の研究所にきてくれるかもしれませんので、できるだけプロ野球選手の顔を覚えたいという理由もありますが)

しかし、このような悪いことをしても別に気づきが起きるようなことはありません。

なぜでしょう。なぜ、同じ悪いことをしているのに、ある時は気づかされ、ある時は何も起こらないのでしょうか。それには次のような理由があるからです。

天はすべての悪の行為に対して、気づきを与えるということはしないのです。天はその人の心の程度に合わせて気づきを与えてくれるということです。

もし天が、その人のするどんな小さな悪に対しても気づきを与えるとしたならば、その人はどうなるでしょう。何をするにしてもこれはよいことなのか悪いことなのか、そればかり考え臆病になってしまいますし、自分がどんな小さな悪いことでもすればたちまち罰を受けるということになれば、人がするどんな小さな悪でも許せなくなり、ほとんどの人を悪人と見るようになってしまいます。

悪いことはしないほうがいいに決まっていますが、あまり極端なことを天がすると、それをされた人は四角四面の極端な性格になってしまうのです。四角四面の極端な心では悟ることはできません。丸く大きく豊かな心にならないと悟れないのです。

それが少々の悪を犯しても天が何も気づきを与えない理由です。

少々の悪は、その人が自分で気づいてそれを自分で直せるようになるまで天は待ちます。神が神の心をすべての人が知るまで、辛抱強く待ち続けていられるようにです。

しかし、ある一定の線を越えた悪に対しては天は気づきを与えます。そのような悪を犯し続ければ、その人の修行が遅れるということに対しては、天はたちまち罰を与えるのです。

こうみてきますと人が見ていようと見ていまいと、悪いことをすればそれをみな天は知っているということになります。

悪いことをしても、人が見ていなければいいと思っている人もいますが、それはとんでもない間違いです。自分のしたすべてのことを、天は知っているのです。でなければ私にこのようなことが起こるはずがありません。

自分のしたすべてのことは、天に記録されているということを知ってください。

人が見ていようと見ていまいとよいことはすればいいし、悪いことはしないほうがいいのです。

(アメリカで活躍している投手がやっと勝てたようです。その試合の最後の最後に前と同じことが起きたようですね。不思議なことです。これからも頑張ってほしいと思っています)

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