12月 28 2012
年内限りです
最近また救急車のサイレンをちょこちょこ聞くようになりましたが、大丈夫でしょうか。
昨日は金山に行ったんですが、まだシュシュやってるバスの運転手がいますが(ずいぶん小さな音で)コソコソやろうと大きい音をたてようと同じことです。同じ罪に問われるのですから、やるなら堂々とやったらどうでしょう。(その方がまだ潔いでしょう)
マァ、そんな反省のない連中はほっといて、繰り返しになりますが、考えを変えられた方がもしいるなら、詫び入れなくてよろしいんですか?詫び入れないと、せっかく反省されても、罪が許されるわけではないのですから、いつかなにか起きますよ。(脅しでも何でもありません。現実に今でも起きているのですから…救急車のサイレンが聞こえてるということは、そういうことでしょう)
年内に詫びいれられるなら、私も一緒に神に詫びてあげます。(どうぞこの人の罪をお許しください、と)しかし、どうしても詫びをいれないというなら、年明けから「どうぞそのような人たちをより厳しくお導きください」と祈ります。(そのままにしておいても、その人たちのためにならないからです)
そのような祈りは当然きかれます。(それはそうです、相手のことを思い祈るのですから)そうなれば何が起きてくるか分かりませんよ、私にバカなことやった人たちは。(現在もやってる人いますが、起きてるでしょう何か、現在進行形です。別に私は面白がって祈っているわけではありません。そういう人たちが何時までたっても同じ位置にいて、進もうとしないから祈っているのです。人のために祈るのです。だからきかれるのです、祈りが)
あれだけ救急車のサイレンが鳴り響いたのです。(それだけの奇跡が起きたということですので、それ相応の罪を犯しているということです。心当たりのある皆さんは)悪いことはいいません。素直に詫びられた方がいいのです。
今現在、大きな会社に入っているとか、親方日の丸の下で働いているとかいっても、すべての人に寿命はあります。どれだけ大きな組織にいようと死ぬ時は一人なのです。一人であの世に帰れば、このままでは恐ろしい世界に往かなければならなくなるのです。ここに嘘や脅しなど書きません。そんなことを書けば奇跡など起こらなくなるからです。つまりここに書くことは、すべて人のためになることだけなのです。
私に詫びることなどないといっている人など、人一人救うこともできないのです。そんな人の口車に乗れば、その人と一緒に地獄に堕ちていかなければならなくなるのです。
自分自身で判断されないと、後で大変な目に遭うことになるのです。よくよく考えられた方がいいでしょう。
少し状況を考えられただけでも、それは分かるのではないでしょうか。大勢の人がたった一人の私に嫌がらせをしているのです。これが正しいことでしょうか?仮に私が悪いことをしたとしても、大勢でよってたかって嫌がらせなどすれば、そんなことをした人も同罪と思われるでしょう。(それは子供のいじめ問題など考えても分かるはずです)
普通の人でもしないことを、この名古屋に住む大勢の人がしたのです。それも悪いことをした者にそれをしたのではなく、よりにもよって、唯一本当の神の教えを伝えている者にです。(これでは神も許しません)
そんなことをしておいて、詫びも入れず許されると思いますか?誰がどう考えても、そのまま知らん顔をしているだけで、許されることではないのです。当然神もそんなことをした者を許されるはずがありません。
しかし神は、人に反省という慈悲を与えてくださっています。どんな罪を犯そうと、それを心から詫びられ、二度とそのような罪は犯さないと誓うのであれば、神はその人の罪を許されます。
どうされますか、年内に反省されるというのであればその罪は許されます。しかし、どうあっても、おまえなどに詫びられるか、自分は悪いことなどしていない、と開き直られるのであれば、来年からまた恐ろしい現象があちこちに起きてきます。
幸い(?)このブログ、ずいぶんきれいな女性たちが、たくさん読んでいるということが分かりました。(ということは、あなたたちの悪事、全部その子たち知ってるということになります。本当にかっこ悪いです)
そのような女性たちに“ダサい”と思われる方がいいのか、それとも男らしく詫びられ“潔い”と思われる方がいいのか、どちらがよろしいのでしょうか?
今、名古屋は注目されています。(かどうかは知りませんが書くの自由だし〔笑〕)あまりかっこうの悪いことはされない方がいいと思います。今後どのように展開していくか分からないからです。
(何度もいいますが、年内〔あと三日です〕に反省し詫びいれられるなら、私も一緒に神に詫びます。私の不徳もあって、そのようなことをされた人もいるはずですから。しかし、年内に詫びいれないというのであれば〔それはもう反省する気がないとみます〕本格的に年明けから祈ります。詫びてきた人をあれこれ詮索しません。詫びられたい人は気軽に詫びいれてください)



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