1月 08 2013
陽主陰従と陰陽の調和
大阪の性犯罪の多さは深刻らしいですね、橋下市長も頭を痛めていられるようです。
少々条例を厳しくしたくらいでは収まりそうもありません。どうですか橋下市長、このブログを読んでるだけでなく法を本格的に勉強されては。
市長や知事が本格的に法を勉強されるなら(当然心が変わってきますので)天が力をかしてくれます。市長や知事の心が変われば大阪の性犯罪も劇的に減るでしょう。何時までも(法に対して)動こうとされないとご自身が損です。よくよくお考えください。(橋下市長とは思えない行動力のなさです〔笑〕)
さて、そのような犯罪も多発しているということなら、もう少し詳しく男と女の役割を書いておきましょう。
そんな性犯罪が横行しているということは(大阪はひったくりや車上狙いなども多発しているとのことですが)やはり愛が足りていない証拠ですね。愛はこの世の潤滑油であって、その潤滑油が足りなければ(当然調和できませんから)あちこちに問題が起きてくるのも仕方がないことでしょう。
私は前に陽主陰従ということを書きました。(すべてのものは左から始まる。左が先で右が後。それはつまり男が先で女が後)しかし、そういう法則があることは事実でありますが、その一方で陰陽の調和という言葉もあります。この言葉は陰が先になり陽が後になっています。(陽陰の調和とはいいませんから)
では、この言葉は間違っているのでしょうか?
そうではありません。実はこの言葉もまた法であり天地の法則のなのです。
いっていることが矛盾していると、思われる方もいられるかもしれませんが、この陽主陰従と陰陽の調和は二つで一対なのです。二つ揃って初めて神理といえるのです。
この二つの言葉は、外にあっては男が先で主となり(陽主陰従)内にあっては女が先で主となる(陰陽の調和)という意味なのです。
外では男が主となって物事を進めないといけませんが、内(家庭)では逆に女が主となり物事を進めないといけないのです。
なぜそうしないといけないのか、それは、男と女の役割が違い出す愛も違っているからです。
男の愛は破壊の愛です。古いものを壊し新しいものをつくりだす、そのような愛なのですが、女の愛は、すべてのものを癒し、浄化し、育む愛です。ですから、この二つの愛が調和した時、初めてそこに神の国ができるのです。
このように考えますと、なぜ、外では男が先になり、内では女が先にならないといけないのか、お分かりいただけると思います。
もし内で(家庭内で)男が先になって破壊の愛を出してしまえば、当然その家庭は破壊されますし、また逆に外で女が先になり癒し、浄化し、育む愛を出されても、男が先に立って物事を進めていなければ、その愛は何の役にも立たないでしょう。
つまり男が家庭内で、先になってあれこれ口を出せばケンカにしかならないし(破壊の愛しか出せませんので)外の仕事のことに女が先になって口を出せば、これもケンカにしかならないということです。(まったく出す愛が違っているからです。女の愛では外で通用しないのです…しかし、最近の女性は破壊の愛を出す人も多いのですが〔笑〕)
ですから外で仕事をする、とうことは男の使命(破壊の愛を出すこと)なのですから、当然しなければならないし、家庭内の主婦業というのも女の使命(癒し、浄化し、育む愛を出すこと)なのですから、しっかりやらねばならないということです。(主婦業と仕事を両立できるといわれる人もいますが、そんな掛け持ちみたいなことをして、夫や子供にしっかり愛が出せますか?しっかり出せるという人ならどうぞおやりください、そのかわりしっかり愛が出せていなければ、そのつけは後で必ず現れます。その時に泣いても遅いのです)
何か主婦業を、遊びの延長くらいに捉え軽く見ている人もいますが、とんでもありません。主婦業はただ、家事育児をやるということだけではないのです。(それなら家政婦でも雇えば十分でしょう)他の誰にも出せない、夫への愛、子供への愛を出せるのは、その家の主婦だけなのです。ですから、男が外に働きに行くことと、家庭の主婦業は同じくらいの価値があるのです。そんな軽いものではないのです。(ただ、愛を出す、とは口を出すこととは違います。そこはお間違えのないように)
夫に対する愛、子供に対する愛は、その夫や子に大きな影響を与え、また、多大なエネルギーとなって、世の中に大きく貢献することになります。
その妻や母から、多くの神の愛を貰っている人は、犯罪など犯すことはなく常に神の心を世の中に具現することになるのです。当然、そのような女の愛で満たされた人が増えるのであれば、くだらない犯罪など消えてなくなるでしょう。
くだらない犯罪をなくすには、条例を強化し、それで縛り付ければなくなるというものではありません。愛ある家庭を増やすことです。そうすればくだらない犯罪はなくなるのです。
陽主陰従、陰陽の調和、そのような天地の法則を誰もがよく理解し、実践しなければ平和な世の中など何時までたっても現れてはこないのです。
追伸…世の中優れた女性といえば、政治的に活躍した人とか、人気のある人ばかりを取り上げて評価していますが、私は女性に対し、そのような評価の仕方はおかしいと思います。
釈尊在世当時のインドでは、シャリー・プトラーの母のシャリーは、良妻賢母の呼び声が高く、その評判はインド中の人に知られていたそうです。
女性の評価の仕方は、そのようでなくてはいけないのではないでしょうか。(社会的に有名になる人は、女性の使命からすればほんの一握りの人たちだからです。ほとんどの女性は、家庭でいかに愛を出すかの使命を持って生まれてきているからです)
女性への評価とは、日本で一番の良妻賢母であった、そのような女性こそ、女性として№1の人である、という評価が正しいのではないかと私は思います。
そういう人を、№1の女性と早く評価できる日がくることを願わずに入られません。そのような日が来た時、真の平和が訪れる、そんな気がしてなりません。



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