1月 27 2013
法を伝えることの大事さ
悲惨な結果に終わったアルジェリアの人質事件を見て、日本だけでなく世界各国で、あのような行為は許されない、テロの撲滅を叫ぶ人は多いと思います。
では、どうしたらあのような事件は起こらなくなるのでしょうか?
武装の強化やテロ集団を捕らえろ、などといわれていますが、そういうことも大事ですが、より大事なことは、そのような行為を起こさない心をつくることです。もっと根本的な心の問題を重視した方がいいのではないかと思えます。
それには、本物の神の教えを拡げた方がいいと思うのですが、肝心の本物の神の教えはちっとも拡がりません。嫌がらせはするのに、何で協力はしてくれないのか不思議でなりません。
嫌がらせは即実行するくせに、協力を即実行してくれる人はいません。これではよいことも起きてこないでしょう。ほんと不思議ですね、これだけ現象が起きていて、この教えを本物の神の教えと思わないのでしょうか?それとも本物の神の教えと思っていても、協力などしなくていいと思っているのでしょうか?それとも、そういう考えが一切なく、おまえがムカつくから嫌がらせしているんだ、という子供の発想そのままなのでしょうか?
本当に、私のブログを読んでいる人たちの考えが分かりません。やる気がない人は見ない方がいいといっても、それは聞く気がない(最近は一日にブログ読む人が百人を超えましたので)では、ここに書いてあることを信じないのかといえば、何か起きるとか、何かを祈るとか書けば、即嫌がらせや祈りを邪魔する人が出てきますので、ここに書いたことを信じていないわけではない。人のいうことは聞かないくせに、人のいうことは信じているのです。
それではダメでしょう、どう考えても都合がよすぎるのではないでしょうか?そんな勝手なことをしているから、これだけ異常なことが起きている、といってもそこは信じずに、それはおまえのせい、お前が悪いといっているのです。どこまで都合がいいのでしょうか。(本当に子供の発想ですね)
いいですか、よく考えてみてください。一日百人以上の人がこのブログを読んでいるのです。ではトータルでどれくらいの人が私のブログを読んでいるのでしょうか?
仮にトータルで五百人の人がこのブログを読んでいたとします。その人たちが年に一回一万円を寄付してくだされば年間五百万、五千円だとしても年間で二百五十万はGTS心の研究所にお金が入ってくることになります。
それだけ入ってくるのであれば、私は生活もちゃんとできますし、事務所を借りて個人相談もできます。小さな会場を借りることもできて、そこで座談会や法の講演会などもできるのです。つまり、神の運動ができることになります。だから私は年に一度でいいから寄付をしてください、といっているのです。(それくらいの金額、きれいなお姉さま方でも何とかなるでしょう。海外旅行でのお土産をちょっと減らすとか、化粧品代を少し減らすとか、元がいいんですから、それほど厚化粧しなくてもいいでしょう〔笑〕)
それに、ここに書くブログは、そこらの人が書いている内容ではありません。(それはご理解いただけると思います)昔でいう辻説法を、このブログを通して行っているのですから、よい話が聞けたと思ったら布施してください、といっているだけなのです。
このようにいう私の一体どこが間違っているというのでしょうか?
私が毎回寄付を強要しているとか、金を十万も百万もよこせといっているわけではないのです。お気持ちだけで結構ですからいただけませんか、といっているだけなのです。何で、そのようにいっているだけの私が間違っていて、悪いことが起きるのも皆私のせいなのでしょうか?あまりにそのようにいう人は理不尽でしょう、説法を毎日のように聞いていて、いつまでたっても一銭も払おうとしない人の方がよほど悪いではないですか、どう考えても悪いことが起きるのはその人たちのせいです。
何でこういうことも理解できないのか、不思議で仕方ありませんが、理解しようがしまいが結果は出ています。(出ていますよね、悪いことが起きているのはそのようにいう人たちです)
しかし、いつまでたっても理解していただけないのでいっておきますが、お金を出していただかねば、命を出していただくほかないのです。命を出していただいても法の証明になるからです。(いってる意味お分かりですよね、神の使いのいうことを聞かず、誹謗中傷した人に何か起きれば、その人が本物神の使いであると多くの人が分かるわけであり、それはすなわち法の証明となるわけです)
そのようなことは現在だけでなく、これまでにも行われてきたことであって、それは聖書などの過去の文献に記されてあります。(ということは、そのようなことが起きたということは事実である、ということです)それほど、法(本物神の教え)を知った人の責任は重大であり、法を知ったのであれば、その流布に協力することが当然の責務なのです。
どれだけそれを否定しようと、ここに書かれたことは現実に起きているのです。
否定している暇があるなら、早くその事実を認め、神の運動に協力されることです。そのような人こそ勝利者となり、歴史に名を刻む者となります。
神の教えを知ることの重大さ、拡げることの大事さを知ってください。



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